玉川上水

羽村取水堰
このところ全国的に猛暑日が続いておりますので、東京の水道について玉川上水のことを調べてみました。
 徳川家康は江戸の城下を作るにあたって水の確保を重視し、天正18年(1590年)大久保藤五郎に小石川を水源として神田方面に通水する「小石川上水」の工事を命じた。
取水口
その後江戸の人口の増加が加速したため承応元年(1652年)江戸幕府は多摩川の水を江戸に引き込むとして羽村に取水堰を計画した。庄右衛門と清右衛門の兄弟が現地調査から工事計画と設計施工を請け負うことに決まった。準備万端を整えると1653年4月に着手し羽村の取水堰から四谷大木戸まで約43㎞の区間をわずか8ヶ月で完成させた事が分かる。
小平付近
羽村の堰から四谷大木戸までの高低差は92ⅿであったから100ⅿ当たり僅か21㎝の落差を自然流加方式で到達させると云うもので当時の流技術水準の高さを示すもので当時としては画期的な大工事であった。
 現在でも玉川上水として拝島・小平・小川橋・桜橋・小金井・三鷹・井の頭公園の近くを通ったところに当時の様子を伺うことが出来ます。
 その後、水門を作り虎ノ門まで地下に水路を延長し、江戸城を始めとして四谷、赤坂、京橋方面に給水管を延長していった。
工事に尽力した兄弟には褒賞として玉川の姓を名乗らせたという。その後昭和33年には、ゆかりの玉川の地に銅像が建てられている。


井の頭水源
全体の説明会書
四ッ谷大木戸の碑














 平成30年7月         八大













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