

ご存知の太田道灌の話

が鷹狩に行ってにわか雨に遭い、あばら家に駆け込むと少女が出てきた。道潅が少女に蓑を貸して貰えないかと尋ねたところ少女は黙って山吹の花一輪を差し出した。道潅は怒って帰りその近臣の一人にその話をしたところ、その者が「後拾遺集」にある後醍醐天皇の皇子の和歌に「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」と云う歌があることを伝え、「その娘は蓑一つない貧しさを山吹にたとえたのでしょうか」と云いました。
その後の話
その話を聞かされた道潅は己の無学を恥じ
、この日を境に歌道に精進し人の心の中を
理解できる人になっていったそうです。
物語の舞台になったと云われる山吹の里は
埼玉県の越生町周辺と云われ、最近では町
おこしのブームもあり賑わうそうです。
令和2年 卯月 八 大
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