天寿国繍帳

 聖徳太子1400年遠忌にあたる今年特別展が今、国立博物館の平成館でで開催されています。日本に仏教を広めるとともに、憲法十七条や冠位十二階などそれ以降の歴史の礎となる事業を推し進めた聖徳太子です。これを記念したゆかりの展覧会が開かれております。それぞれの全てが国宝級でありますが、中でも中宮寺からの天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)は1,400年を経過している刺繍であります。

日本最古の刺繍遺品として知られていますが、もとは縦2ⅿ、横4mの2帳だったが現在は残片を寄せ集めて80㎝四方のみになっています。聖徳太子が亡くなった後、太子に逢いたいという妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)の願いによってつくられた帷(とばり・カーテン)の断片であり太子が往生したという天寿国の様子が緻密な刺繍によって表されております。制作された後は本堂に保管されたようですが鎌倉時代に発見されるまで法隆寺の蔵に眠っていたそうです。

その内容は百個の亀甲が刺繍され亀の甲には一個に四字ずつ、都合四百文字で刺繍造顕の由来が示されていました。幸いに銘文の全文が「上宮聖徳法王帝説」という本に書き留められており、3人の画家と監督した人名前まで書かれていました。

年齢を経るにつれ曼陀羅(絵)は破損していき現存するものは往時のほんの一部にすぎませんが、紫羅の上に白・赤・黄・青・緑・紫・樺色などのより糸をもって伏縫の刺繍が施され繍帳は鮮麗な色彩を残しております。七世紀中頃の染色技術、服装、仏教信仰などを知るうえで貴重な遺品と云えます。

天寿国とは阿弥陀如来の往生する西方極楽浄土のことであります。

 令和3年 文月        八 大



     

 

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