子供の頃、一年中で何が一番楽しいかと問われると盆と正月ほど、嬉しいことはなかったと思っていました。新しい年を迎える心構えを教えられていたように思っていましたね。 お盆の頃私達が育った田舎では小学校の校庭に若い衆達が丸太たん棒を組み立ててくれた櫓を中心に舞台を作り三日間に亘って盆踊りの競演が行われ町中の皆が一体となって夜通し踊っていました。
盆踊り風景 |
歴史的なことで考えると村社会では、娯楽と村の結束を強める役目を果たしてと思われます。そのため全国各地にご当地音頭も多く存在しオリジナルな地域的音頭も増えて行ったそうです。お盆の時期に行われますが宗教的な意味合いは薄く農村や庶民の娯楽として楽しまれていました。明治の頃には夜通し騒ぐことが不評を買って衰退した時期もありましたが、大正の中頃から農村娯楽として再び復活されていったそうです。夏休みの期間中には練習の期間も含めて夜通し行われることも多かったため治安の問題もあったそうです。
その昔、高名な民族学者の講演があった時に聞いた話ですが、盆踊りは性の解放のエネルギーを原動力に性的色彩を帯びるようになっていき、明治時代には風紀を乱すとして警察の取り締まりの対象となり一時は激減していたこともありました。けれども盆踊りは未婚の男女の出会いの場に留まらずに既婚者の交際の場?にもなって昭和の初め頃まで続いたと云われています。その後戦争がありまして・・・時代は大きく変わりましたね。
令和4年 葉月 八 大
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