ピンからキリ

古利根川の一本桐
「花札」の世界では、一月の松から始まって二月は梅、三月は櫻、四月は藤と進んで12月は桐となります。古利根川沿いの児童公園際には一本の「桐の木」が寒そうな姿で精気なく春を待っているようで可哀そう。手入れもされず野放図に扱われている姿は余りにも可哀そうです。あの夏の暑い日光を浴びていた頃の生き生きとしていた姿は何処へ行ったの?

俳句で「桐の花」は初夏であり桐一葉は秋であります。それ以来だと思われますが「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」一葉とか、一葉落つと云っても桐の事だとわかります。それなのに季語から外れた桐が何故12月なのか不思議に思っていました。

それを見つけました。言語学者の金田一春彦先生の話によると、これは天承カルタに由来すると云う。このカルタはではⅠの札をピンと云った。サイコロの目と同じ名で、第一、はじめの事であり、そして10をキリと呼んだ。キリは「クルス(十字架)」なまりで、或いは「切り」の意と云われる。

始めから終わりまで、最上等から良くないものまでを指す「ピンからキリまで」はここから出たと云う。その語源はポルトガル語で 「ピン」は1,「キリ」は10の意味から転じて優劣を表す使い方に 「ピン」はポルトガル語のpinta (点)の意から、「キリ」は、ポルトガル語の cruz(クルス「十字架・十字形」の意)からだと言われています。 日本語ではなかったのですね。

 師 走         八 大    
                                






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