飛鳥大仏


飛鳥大仏
歴史好きの人には飛鳥大仏を知らない人はいない。蘇我馬子が建立した日本初の本格的仏教寺院には、創建当初のからの「飛鳥大仏」が残されています。大仏の襟元をよく見ると胸元に結びひもを覗かせ肌着のように見えたので学者先生に問う。

605年(推古13年)に推古天皇が造らせ、609年に完成したものと云い、朝鮮半島では寒さ凌ぎの肌着ではないかと学者先生に問う。中国の北魏様式をうけ面長で杏仁形の目、アルカイックスマイルをたたえた唇など独特の神秘性の漂う格調高い仏像であるとの返答がありまし た。

538年(欽明7年) 仏教が百済から伝来するや、蘇我氏と物部氏の間で崇物・俳物の争いが長く続いた。飛鳥寺は、蘇我馬子がその戦勝を記念して創建した、日本最初の本格的仏教寺院で、法興寺、元興寺とも呼ばれた。588年(崇峻1年)に百済から寺工、路盤博士、瓦博士らの来朝を得て建立に着手し596年(推古4年)に完成したと伝えられる。

その後、609年(推古17年)銅・縫の丈六の仏像を造立したが、その丈六金銅仏が今の本尊の釈迦如来像と云われる。平城遷都にともない新都に元興寺を建てたあとも、本元興寺として栄えた。だが、1196年(建久7)の雷火災で伽藍を焼失してからは衰退の一途をたどる。

室町時代の記録によれば唯一残された丈六釈迦像が仮に建てられた茅葺の小屋で雨露を凌いでいたと云う。現在の本堂は江戸時代に建てられたものである。1956年から発掘調査で当初は一つの塔を3つの金堂が囲む特異な伽藍配置であったと。これは高句麗の清岩里廃寺と同形式で朝鮮半島の強い影響を示していると云う。

 如 月           八 大






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