忠臣蔵

いざ討ち入りに出陣
 テレビドラマや映画で良く取り上げられる歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は、私達日本人の心意気を良く描いていると云われています。

策略に落ちて罪を着せられた若殿を切腹させられた恨みを晴らすべく、家老以下四十七人が元赤穂藩士たちが、にっくき吉良上野介の屋敷に討ち入りに行く物語は、日本三大仇討物の筆頭として、私たちの心の中に刷り込まれているかのようです。

その原因となった若き赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介にいじめられた末に、堪忍袋の緒が切れて江戸城の松の廊下で一太刀浴びせたことから、罪を言い渡されます。その後のお話の続きは皆さん後存じのとおりです。


そして旧暦三月十四日、浅野内匠頭は辞世の句を残して切腹します。

      風さそう 花よりもなお 我はまた                                                        

                春の名残を いかにとやせん

                           浅野内匠頭     

弥 生            八 大                   

                                                                                                                                                                    


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