赤山街道
 昔越ケ谷駅の構内に赤山街道の踏切があった。確か20年ぐらい前に鉄道が高架化されて交通渋滞はなくなったが当時は開かずの踏切で事故もあって市民の皆さんには大変に不評だった。
 この辺では日光街道や御成街道・例幣使街道の名前は聞きますが、赤山街道なんてどこへ行く道なんだろう?と前から疑問を持っていましたが先ごろ暇つぶしに越ケ谷から道なりに走ってみました。
 越ケ谷西口から七左町の交差点を真っすぐに進み綾瀬川を渡ると草加市に入り程なくすると川口市安行の文字が、道なりにどんどん行くと赤山の地名が出てきた。小さな表示で赤山日枝神社とありました。細い道を右折するとすぐに小高い丘の上に日枝神社が構えている。駐車場に車を止めて表示の案内に目を凝らすと、なんとこの辺一帯が江戸時代に関東郡代として権勢を誇っていた伊奈氏の赤山陣屋(居城)跡で埼玉県の遺跡指定としての解説がありました。
 徳川家康の信頼をあった伊奈氏の業績は大変なもので利根川の東遷を始めとする河川改修、土木、橋梁、新田開発、富士山の大噴火や大地震に対する対応と村人への配慮は信頼も厚く神様・仏様・伊奈様と崇められていた。
 早速に探検散策を始めるも周りは赤い土一面の植木畑(安行植木)でした。小道を歩くと赤山城址の石碑があり、僅かに何か所か空堀の復元跡がありますが当時の建物は全くありません。
 帰って調べてみると伊奈町小室の地に築いた代官所から3代目忠治の時に赤山の地を開拓し居城として以来200年続いた関東郡代の伊奈家は12代忠尊が家中不取締の罪で改易され赤山城が破却された為全くの更地になってしまったとの事。今ではその地に植木の畑が出来ているとの事らしい。すぐ近くに大蛇のような高速道路が横たわっております。
 奈良時代の東山道や中世の鎌倉街道・日光街道と時の為政者や有力者が築いたものと並んで今でもその名前が残っていることに昔日を偲びます。
 意外と短い街道ではありましたが日光街道への繋ぎ道として当時は賑わいを持っていたことでしょう。    八大




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