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遠藤さんちの庭園

突然の音信不通から半年・・ご迷惑をお掛けしました。再スタートです!

 この時期には毎年恒例となっいる、遠藤さんちの庭園が今年も見事に開園がなされ小さな駐車場が溢れていました。東武アーバンパークライン(東武鉄道,野田線)牛島の駅から歩いて10分位です。どうしたらこんなにカラフルなお庭が出来るのか何とも羨ましい限り、いろいろな種類の沢山な種類の「バラの花」が迎えてくれますが珍しい草花もあり毎年楽しませて頂いております。  心優しい遠藤さんにいつも感謝しております。

 令和5年 皐月         八 大








他の



長命寺の桜餅

<山本や>
 春の花の四番バッターは何と云っても「桜」です。日本人の心に宿している桜の花がやっと開きました。此のところ新型コロナ問題や急遽出てきたウクライナ問題等が世の中を陰湿ムードに押されていますが、待望の桜の開花で明るさが出て来ました。毎年待ちに待った桜の開花です、気象庁の職員が誇らしげに開花宣言をする姿を新聞やテレビもこぞって取り上げるのも桜以外では考えられません。 

東京隅田川に架かる言問橋・櫻橋の傍に長命寺桜餅の<山本や>があります。随分昔の話になってしまいますが何とも言えない桜葉の香りが忘れられません。辛党だったのに甘党でも行けるんですかと云われても・・・何でそんなことを言いなさるのか?物によっては両党づかいと云う事もあります。何とも贅沢に桜の葉を三枚も使った桜餅です薄皮に、こし餡と塩味のある葉が合わさり何とも上品で美味しい。

長命寺の桜餅
当時の親父さんの講釈を聞いた事がありましたが、長々と蘊蓄を聴かされました。葉っぱと云うけれどこれは大島桜の葉で伊豆大島をはじめとする伊豆諸島や房総半島などで自生するものを採取し塩漬けにしたた物で、大きくて柔らかいのが特徴だそうです。今でもその光景は頭に残っております。花は染井吉野よりも白くて大きく可憐な姿と香りの良さから「純潔」・「優れた美人」という花言葉があります。海沿いが自生地なので潮風に強く丈夫な品種なので街路樹や公園樹にも用いられることも多い。

桜餅の由来 江戸時代、長命寺の門番だった新六と云う人が隅田川沿いの桜から落ちる葉を惜しんで、何かに活用できない物かと考えていました。そこで葉っぱを塩漬けお餅を包んで売ったところ、それが人気を得て「桜餅」の発症になったそうですよ。

関西の道明寺
関西に多い道明寺の桜餅 元々は保存食。 関西の桜餅は道明寺粉(大阪にある真言宗の尼寺道明寺で作られていた保存食が元になっている)で作られているものが多いそうでもち米を一度蒸した後で乾燥させて2つ~3つ割りにしたもので、これを色付けしたもので餡を包んで作るためお米の食感が残りつぶつぶとした皮が特徴です。どちらが美味しいかは食べてみることですネ。

 令和4年 弥生        八 大




お彼岸参り

牡丹餅(ぼたもち)
 今日はお彼岸の中日です。暑さ寒さも彼岸までと云う言葉がありますが彼岸会は春と秋にの2回あり季節の大きな節目でもある仏教の法会のことです。お彼岸には寺院へ詣でたり、お墓参りをしたりする期間ということは広く知られていますが、牡丹餅の思い出は皆さん持っていますよね。

この風習はインドや中国には存在せず、日本独自の習俗が仏教と結び付いて生まれた考えられています。一説には聖徳太子の頃に始まり、平安時代から江戸時代にかけて習慣化、年中行事化したといわれていますが、起源については定かではありません。

また、彼岸会の期間中に行う「六波羅蜜行」(6つの実践修行)という仏教の修業のことであります。経典ですので言葉が難しそうで、入って行けそうに思えませんが内容は基本的な修行を分かりやすく説明してあります。仏教の基本を示しておりますので下段に示します。

「布施」 人の為に見返りを求めず良いことをしたり施しをする        「持戒」 自ら戒めながら規律を守り規則正しい生活を送る          「忍辱」 如何なる屈辱を耐え忍び寛容な心を持つ                「精進」 怠けの心に打ち勝ち目標に向かって前進する           「禅譲」 心の乱れと動揺を鎮め、静かな心で審理を思惟する        「知恵」 正しい行をする為に仏の正しい知識を身に付ける   

6つの修行からなる行の事です。彼岸会の期間中、中日はご先祖様に感謝し、残りの6日間はそれらの修行を一日一つを行う事で、仏の悟りの境地である彼岸に近づくことが出来るとされています。

西国三十三所第17番札所に六波羅蜜寺という真言宗のお寺がありますが、空也上人のお寺があります。そうです口から6体の阿弥陀像が空也上人の小像が吐き出されています。その阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し念仏を唱えるさまを視覚的に表現しております。 6体の小像は針金で繋がっています。

 令和4年 弥生        八 大

一汁三菜の日

3月13日は「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」の日です。 3月に限らず毎月13日は「一汁三菜の日」に制定されていますが、これは13(じゅうさん)の読み方が、一汁三菜に似ていることから来ているとのことです。

一汁三菜はもともと室町時代に確立したと云われ、江戸時代に発展した本膳料理の基本となるもので、ご飯に汁物、なます、煮物、焼き物が付きそこに香の物が添えられるのが通常で、ご飯と香の物は数えないことから、一汁三菜となるそうです。かつて和食は一人ひとり独立した膳で食べるのが一般的で、家庭で食べる日々の食事のことを一汁三菜と呼んでいたとされています。

一方、食文化の頂点に立つおもてなし料理は、室町時代に武家社会で確立した「本膳料理」(一の膳、二の膳、三の膳と順番に膳に載せた料理が出される方法は、小さな膳(銘銘膳)に載せる料理の数に限界があるため、膳の数を増やしたと考えられます。江戸時代には「二の膳つき」(二汁五菜)が定着し食べ切れない料理は持ち帰ったそうです。

一汁三菜の献立には5大栄養素「炭水化物・脂質・たんぱく質・ミネラル・ビタミン」がすべて含まれているのが特徴で健康維持に必要な栄養素をバランスよく含まれていることから現代人の食生活でも理想とされています。仕事やライフスタイルの変化で何かと乱れがちな食生活ですが13日の「一汁三菜の日」には日頃の食生活を見直しをしてみませんか。

 令和4年 弥生          八 大




人生は一度きりではない❕

随分昔の話になりますが「政木和三」さんと云う発明家の話を聞いたことがありました。何でも自動炊飯器や魚群感知器、自動ドアなど1000件以上の発明品を世に出した人として知られておりますが、特許料は取らずして世に貢献をしていたそうです。一方でスピチアルな体験や経験を多くして「人々が幸せになる発明をしなさい」と云う啓示を受けて自身の奇跡的な体験や、心理が自然の中にあることなどを講演活動で伝えていました。 

「人生は一度きりではない」、一度きりだと思うとどんな生き方をしてもいいけれど「因果応報」と云う言葉があります。死後の世界で肉体は生命体の乗り舟である、人間の死とは生命体と肉体との別離であって生きているうちは生命体が肉体を支配しているが、老朽した肉体からは生命体が離れていく、だからこの世に執着心を残さないように生きることを強調しているように思います。 

また死後の世界には何段かのランクがあるらしく生きている間に人の為に、社会の為に尽くした人は高い位置にあり人を苦しめ社会に悪をまき散らしは人は、暗いじめじめした最下位に永くいることになる。人生が生きているときだけのものであるなら自分さえよければ、の一生も結構であろうが、その反作用は自分の死後の世界と次世代に生まれ変わって出て来た時の人生にも影響することを深く考えて見なければならない。と書いておられる。

これらの事から、自分の本体は生命体であって肉体ではないこと、この世での肉体は一度きりであっても、生命体は未来永劫に続く、そして周りに幸せを与えて生きることの大切さを説いています。そんな時に「道標」になるのが「政山和三さん」の生き方であります。 

1 コツコツと学ぶ     (基礎的な学問をしっかりと身に付ける)                   2 お金や物に執着しない  (私的な目先の欲望を捨てる)                3 自分の事より周りを考える(陰徳を積む)                    4 神の声を聴く      (インスピレーションを受ける)

今の人生は、今世だけの修業の場であり魂は輪廻します。今だけが良ければという思いは来世に必ず影響します。苦しいときこそ、修業をさせられていると感謝して心得るべし!どのようなことが起きてもすべてに感謝して、人のためになること、役に立つことに目を向けて努力することです。それが今の自分に人間として必要なことと思います。

令和4年 弥生         八 大







ウクライナ 頑張れ!

 ウクライナ紛争に思う  

ロシアのプーチン大統領は用意周到に準備した上で、ウクライナのゼレンスキー政権に威嚇を示していたが対応しないと見るや、全世界中が見ている前で冷酷にも軍隊を使って強硬手段に出たのです。2014年にクリミヤの併合に成功したことがあったので今回も簡単に成功することが出来ると思っていたのではないかと思う?。ウクライナ人とロシア人は本来一つの民族で単なる隣国ではなく、歴史・文化・精神世界で切り離せないロシアの一部だと強調していました。

 ウクライナには紀元前3万2千年から人が住んでおり、中世には東スラブ民族文化の中心地であり、「キエフ大公国」という強力な国家がウクライナのアイデンティティの基礎を形成していた。しかし、13世紀以降、モンゴル帝国の侵攻により領土が破壊され、オスマン帝国を始め近隣諸国から支配され分割されてきた歴史「モンゴルのくびき」がありました。18世紀には最終的にポーランドとロシア帝国の間で分割され、第2次世界大戦後ウクライナ西部はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に合併され国全体がソビエト連邦の一部になった。その後でソビエト連邦の崩壊に伴い1991年にウクライナは独立を果たしたという事です。

今日のテレビを見とぃると2回目の停戦協議に入るように伝えておりますがどちらも歩み寄りには入っておりません。女性や子供たちはポーランドへ列車や車、徒歩で脱出しているようですが男たちの多くは国に残って立ち向かっているようです。民間人には被害を及ぼさないように対応するとロシア側は言っていますが相手が冷酷な民族ですどこまで通じるのか疑問が残ります。

私達の父親・祖父の世代の先輩たちは大東亜戦争に敗北した結果、悲惨な目に遭いましたが、戦争終了後もシベリアの極寒の地に抑留・強制労働を余儀なくされ日本の地を踏むことが出来なかった人が70,000人がいたことは皆さんご承知の通りです。昔話になりますがロシア人の事を「ロスケ(露助)」と卑下して呼んで嫌っていました。            (シベリアの抑留者575,000人、死者は55,000人 不明者15,000人です。厚労省調べ)

現段階では一般市民の死者が400人規模で出ているようですがこれ以上増えないことを望みます。核爆弾の用意も窺わせているようで地球規模の問題でもあります。世界の警察官と思って頼りにしていたアメリカ国は何処へ行ってしまったのか、これは日本国としても考え直す時に来ているのではないかと思います。一方で同盟国でもないウクライナへの武力支援することになると全面的な戦争になり兼ねないので思案中であると考えます。このロシアの暴挙に対して傍観しているだけではなく一刻も早く国連をはじめ世界各国の皆さんが行動に移してウクライナに支援の手を差し伸べるべき時ではないでしょうか。 ウクライナ頑張れ!

 令和4年 弥生         八 大



 




          

そこらへんの草


そこらへんの草

朝から上天気、新町橋の右岸の十文橋を超え古利根川の土手道を歩く。今日のお目当てはあの苦みが何とも言えない早春の香り「蕗の薹」です。土手道を16号線の下から柔らかな草の感覚を感じながら小渕橋辺りを進むとお目当ての薹の膨らみが私を迎えてくれます。水位の下がった水辺りには5~6人の釣り人が思い思いの場所で糸を垂れていました。

蕗の薹は5つほど収穫できましたがこれからが楽しみです。夏ごろには雑草の丈が伸びてしまい踏み入ることが出来ませんがこの時期は足の裏に春の知らせを感じることが出来ます。この辺りは字名を「小渕」と云いますが、江戸時代の頃は「巨淵」と云って大きな池の状態になっていたそうで今の小渕の名が付いたそうです。時代によって地名も変わるんですね。

最近「食べられる草」と云う本が出版され人気を呼んでいるそうですが、私が知っているだけでも「三つ葉、ヨモギ、タンポポ、オオバコ、野蒜、カラスノエンドウ、ハコベ、ユキノシタ、ナズナ、からし菜・・・など」子供の頃には川の縁や土手道には多く見られましたね。野草と云うと上品に聞こえますが雑草と云われる草でも子供の頃食べていましたね。今ではスーパーで売っているもの以外は食べようとはしない、時代は変わりましたね。

「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」という、人気漫画「翔んで埼玉」に登場したこともあった為「そこらへんの草天丼」を、春日部市内のスーパーが商品化したそうです。「ご当地グルメにしたい」と庄和地区の人達の発想がが当たり一時は連日完売の人気を発したことが評判になりましたね。埼玉を痛烈にこき下ろした作品だったがそのユニークな発想が大当たりし、連日完売するほどの人気だったという事でした。

 令和4年 如月          八 大



春は名のみ

「早春賦 

    春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯歌は歌えど  

            時にあらずと 声も立てず 時にあらずと声も立てず 

大正の初期に長野県安曇野を訪れた作詞家の吉丸一昌が穂高町あたりの雪解け風景に感銘を受けて、この早春賦の詩を書き上げたとされています。日本の唱歌で長く愛されてきた名曲の一つです。「春は名のみ」と暦の上で”春”になったばかりの季節を歌うこの曲の一番はとても有名ですが三番の歌詞までご存知の方は少ないのではないかなと思います。

    春と聞かねば 知らでありしを 聴けばせかるる 

               胸のおもいを いかにせよとの この頃か 

                        いかにせよとの この頃か 

春だと聞かなかったら気付かなかったけれど聞いてしまったからには心がはやる。このそわそわして落ち着かないこの気持ちをどうしたらいいのか・・・。春を待つこの季節の微妙な心理を見事に表現したこの三番の歌詞から「早春賦」の魅力を再発見したのです。

春爛漫の季節も確かにいいのですが「春の訪れ」をひとつひとつ感じられる早春ならではの楽しみを見つけてみては如何ですか。

 令和4年  如月      八 大      

                 

ポンペイ展

ヴェスピオ山
久しぶりに自粛ムードの中、春日部を離れて上野国立博物館で開催されている「ポンペイ展」を覗いてみました。公園周辺はコロナ禍でもあり人出も少ないため、時間を気にすることなく楽しめました。2,000年も前にこんな生活が営まれていたことを目の当りにすると一級の美術工芸品その物はもちろん周りの景色までもが現在と重なって来て時間軸が合わなくなります。

西暦79年イタリアのナポリ近郊のヴェスピオ山で大規模な噴火が発生しローマ帝国の都市ポンペイが火山の噴出物に飲み込まれました。その後にも大規模の噴火が度々起こったことが記録から分かっております危険な山であることで手が付けられていませんでした。ようやく埋没してしまったポンペイの発掘は18世紀になって始まり、現在にまでも続いております。この展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から調理器具と云った日用品に至るまでを展示されておりスマホに納めることも出来ました。

ポンペイレッドの壁画
2000年前のローマ時代の遺品が残っていることが出来たのか不思議ですよね? 物の本を読んでみると噴火した灰は一瞬にしてその地域に火砕流堆積物として覆いかぶさった。火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたとあります。当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「ポンペイ・
売春宿
レッド」と呼ばれている。ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになったようです。

ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっており男女の交わりを描いた絵も有名で、これらは市民広場や浴場や多くの家や別荘で良い状態で保存され続けていたそうです。


噴火時に発生した火砕流の速度は時速 100km以上で、市民は到底逃げることはできず一瞬のうちに全員が生き埋めになった。後に発掘された際には遺体部分だけが腐敗消失し、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げ惑う

石膏によって蘇った遺骨
市民の最期の瞬間を再現した。顔までは再現できなかったが、母親が子供を覆い隠して襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子が生々しく再現された。この様子は火砕流が一瞬にしてポンペイ市を埋め尽くしたことを示している。この石膏像の制作によって遺骨が損傷したため、ポンペイ市民の調査は長らく滞っていたが、近くの商館と思われる建物の地下室から老若男女身分がバラバラな54体の(居場所は身分別にある程度グループを作って固まっていた)遺骨が発見されたそうです。彼らは火砕流からは難を逃れたが、火山性ガスによる窒息で死亡して火山灰に埋もれていたと云います。

「ナポリを見てから死ね!」という言葉がありますが、40年程前ぐらいだったと思いますがナポリ湾の景色を見に行った事がありました。着いてすぐにポンペイから見て廻ろうとしたものの、そのポンペイに憑りつかれてしまって時間が空転してしまった事を思い出しました。強烈なポンペイへの想いは未だに脳裏をよぎります。

 令和4年  如月         八 大








































「白内障」の話

江戸紫の鉢巻き

「目病み女に風邪ひき男」                             

と云う言葉がありますが昔から目を患っている女性はその潤んだ目つきが男心をそそり、風邪を引いている男は鼻にかかった風邪声が女心をくすぐる。いかにも江戸好みの諺で当時は目病み女なら眼帯の紅布(もみ)(紅花を揉んで染めることから)、風邪引き男はには江戸紫(えどむらさき)の鉢巻きと道具立ても揃っていました。男女とも病人を挙げたのは色恋も流行りの病の一種という皮肉な見方も感じさせますね。そう言う小生も「目病み男」になり下がってしまい江戸紫の鉢巻きを着けることになってしまいました。 

眼帯姿
最近、春日部駅周辺ではコロナ禍のお陰でマスク姿になりましたが同じく片目か隠れた眼帯姿の色っぽい高齢者も多く見受けられるようになりました・・? そうです白内障の患者さんなんです。日本人の健康寿命がどんどん伸びており男性が72歳女性は何と75歳を超えたそうです。(平均寿命は男82歳・女87歳)依って杖を持ったお爺さんやお婆さんが駅周辺に多く見かけられます。白内障症状は?物が見えにくい、目がかすむ、眩しい、物が二重・三重にだぶってみえる、といったものが主な症状で眼が痛いとか、赤くなるという症状は伴わないそうです。

白内障とは、水晶体が年齢とともに白く濁って視力が低下する病気です。水晶体とは、目の中でカメラのレンズのようなはたらきをする組織で、外からの光を集めてピントを合わせるはたらきを持っています。通常は透明な組織ですが、白内障では白く濁ってしまうため、集めた光がうまく眼底に届かなくなるもので、進行するにつれて、目がかすむ、ぼやけて見えにくい、ものが二重三重に見える、光がまぶしく感じるなどの症状が現れます。 晴れた日の屋外がとてもまぶしく感じたり車の対向車のライトがまぶしく感じたりします。 また、遠くが見えにくく感じるために、近視が進んだように感じる場合もあるようです。

私達は皆が高齢になればなるほど目の中の水晶体が濁ってくることによって視力が低下することは分かって来ていることですので不自由の限度に気ずいたら医者にお願いすることで無理して我慢をしないで部品の交換をする事です。私達の臓器の中にも消味期限消費期限ががあるよう適切に対応することも大切であると思います。

令和4年  睦月          八 大


























寒ざらし蕎麦


 寒中のこの時期にしか味わえないお蕎麦があります。その名を「寒ざらし蕎麦」と云いましてその呼び名は聞いているものの季節もので中々その時期に出会うことが出来ませんでした。昨日久しぶりに野州栃木の山中に分け入ってその寒ざらし蕎麦を食べに行ってまいりました。指折り数えると30年来の贔屓の蕎麦屋さんで処は出流山満願寺の門前に店を構える福寿屋であります。

ご存知、坂東の17番札所である満願寺は徳川家康が江戸城修築の時にここ野州の白土を使用し、その効果が良かったので幕府の御用以外には諸大名の使用を禁止したと云われている。それ以来,石灰の産地となったと云われております。山路の途中には山肌を真っ白に覆った石灰工場がそびえたっておりこの先にお寺さんがあるとは思えません。

ここ福寿屋はこの地域の玄蕎麦から自動製粉により本来の味と香りを最大限に味わえる挽ぐるみ粉を使用し、田舎手打ちで名物の盆ざるそば「一升打ち、五合打ち」の大盛りを食べることが出来ます。また季節の山菜の時期に天ぷらと共に食べると一層引き立てられ、そば通の御仁には満足この上ない境地であります。

そばは秋に収穫されますが、その頃になると店先に「新そば入りました」のチラシが張られていました。寒ざらしとは秋に収穫した玄そばをを冬の厳寒期に冷たい水につけ、これを寒風に晒すと余分なアクや渋みが抜けて、甘みと風味が増し舌触りがよくなります。この製法は江戸時代に徳川家にそばを献上するために考えられた手法と云われ旨さの違いが分かります。

 令和3年 如月        八 大

カマキリ

  師走に入ったこの頃「カマキリ」が庭先から入ってカーテンの裾に引っかかってそのまま動かない。翌日もその形を保っているので楊枝の先でつついてやると果敢にも斧を振り回し絡んでくるのを見ると勇敢そのものである。でもヨクヨク見るとお腹が大きそうなのでお産の場所を探しているかもしれないと推察した。

子供の頃カマキリに喧嘩をさせたことがあるが絡み合ったら放さない、絡み合いが続くがそのままの状態が1時間以上続いたことを思い出す。最後にはどちらかが食べられてしまうことになる話を聞いた。日活ポルノ映画「五月みどりのカマキリ夫人の告白」という映画があり男を食い殺す悪女の象徴としてあったそうですが見る機会はありませんでした。

三日後の夜なんとカーテンの陰で産卵を見ることが出来ました、でも物音が気になったのか普通の大きさの三分の一程度の大きさで何処かへ姿を隠してしまいました。何とも申し訳ない事をしてしまったと後悔をしています。

カマキリ(螳螂)は前脚が鎌状に変化し他の小動物を捕食する肉食性の昆虫で、名前の由来は鎌切とも言われて分かるように「鎌で切る」から鎌切になったとも云われます。カマキリ類では、同じ種類でも体の小さいオスが体の大きいメスに共食いされてしまう場合がある。交尾の際も共食いが行われ、オスはメスに不用意に近づくと、交尾前に食べられてしまうので、オスは慎重にメスに近づいて交尾まで持ち込む。

昨年はラグビー人気がありましたが、五郎丸選手のようなポーズをとる姿が一躍有名になりました。日本では昔からそのカマキリの形を拝み虫(おがみむし)の姿と呼ばれた様です。一週間たった今でも我が家のカマキリさんは居心地がいいのか天井付近にへばり付いており、時には三角目玉をくるりと動かし天下の情勢を伺っているようです。


 令和2年  師走           八 大














タブレット


最近 、我が物顔でタブレットを使いこなしている中年男を見かけることが多くなったことを感じます。羨ましく思いますがこの言葉って何なのと疑問を持っていました。「タブレット」とは画面にタッチして感覚的に操作できる、スマホとパソコンの中間のような端末ですが、そのルーツは歴史との深い付き合いがあったと思われます。古代メソポタミアで使われていた楔形文字で記した粘土板を指すことが多いそうです。

識字率の低かった当時、文字を書くことを仕事とする書記官たちが様々な出来事を記した粘土板が、古代社会の営みを今に伝えてくれていました。当時の書記は行政機関や神殿などに就職して活躍していましたが一人前になるまでの道のりは相当に険しかったに違いないと想像しております。

その当時の粘土板にこんな事が書いてあるのが見つかっていたようで「ぼくを朝には早く起こしてください。遅刻できないのです。僕の先生に鞭でたたかれます」と、紀元前2,000年ごろのシュメール語の文学作品「学校時代」に出て来る話であると聞きました。

現代のタブレットも教育利用が広がり、コロナ禍がそれを加速助長させているのではないかと思っています。当時の書記の卵が見たらあまりの高機能さにはビックリするに違いない。大切なのは楔形文字を正確に書くことありましたが、学び続けることでは昔も今も変わらないのではないかと思います。

 令和2年  霜月         八 大       


マスク

マスクで際立つ子供の目

 世界中がコロナ禍でマスクの着用が日常になっていますが、ここに
きてトランプさんも一度だけマスク姿が見られましたがその後はトンと見られなくなりましたね。我が国では花粉対策の為や風邪をひいたときには日常的に使用されてきましたが、あまりマスクになじみのないヨーロッパの国々では病気でもしない限り使用するもんじゃないと云われていたことが世界中の常識のようでした。コロナのお陰でサージカルマスクは世界中の家庭の必需品になってしまいました。

先日小学校の子供たちの登校の姿を見る機会がありました。無言で整列したその姿を見て頼
もしさを感じてしまいました、年をとったという事ですかね。人間は五感という感覚を持った動物であるが、コロナ禍によってマスクの使用が強制されたため表面上は唯一マスクの存在が見直されて来た感じがします。マスクを着けると顔の表面からは目だけがキラキラと輝いて見えてしまいますが、横断歩道際の交通指導員と交わす、おはようの言葉からはハキハキとした清々しさを感じます。

目は口程に物を言うと云われますが視覚という存在が改めて見直されますね。日本人は目元で、米国人は口元で感情を読み取る傾向があると云われていますがヨーロッパの人も口元重視だそうです。私達日本人は口元が隠されて
もそれほど気になりませんが、欧米人には、相手の感情を読み取るのに重要な口元が隠されたマスク姿は、不気味にうつり、なじめないそうです。日本人は目元が隠されたサングラス姿を見て「ちょっと怖い」という印象を抱くのと似た感覚だと思います

今はコロナの事で一杯ですが年が明ける頃にはスギ花粉症の季節がやって来ますね、日本ではスギやブタグサが多いようですがヨーロッパの方でもプラタナスやカエデ、ミモザなどが飛散して多くの人々が悩まされているようです。国立環境研究所の説明によると、都市部で浮遊する大気中のいろいろな化学物質が原因であると云います。これらの国が持つ共通点は何かというと、何だと思いますか? はいそれは「先進国」なのです。マスクは今では日本文化そのものであります。


 令和2年  神無月         八 大

















もみじのトンネル


 今年の紅葉は台風の上陸もなく順調に紅葉前線が南下しており、何時になく色鮮やかですよと隣人に云われたのを信じて30日に日塩もみじラインへ足を運んでみました。もみじラインとは日光と塩原を結ぶ道路のことで通称バレーラインと呼ばれていますがタイミングも良かったからですが見事なグラデーションで賛嘆の声を挙げました。

塩原からの逆のコースを走りましたが、つづら折りになった紅葉の急カーブ、時々まぶしい太陽光の中を潜り抜けるとシーズン前のスキー場のゴンドラが揺れ動いていている。やがて峠に出ると一瞬にして視界が広がり会津の方向に山並みがそびえて見える、頂に近いところはやがて来る冬に備えた様子が伺えます。

街道はやがて平家の落人の集落を超え、山間の紅葉の隙間からは黄葉の木々も交じり合って高さ100Mを超える断崖を望む瀬戸合峡と川俣ダムの風景は素晴らし眺めですね。一休みするとやがて平家の落人集落の近くを超え山王林道から光徳牧場に差し掛かる頃、景色は変わって黄金色に輝く落葉松の林の中へと進みます・・・。落葉松林の黄葉もこれだけの規模があると、しばし言葉を忘れてしまいます。

戦場ヶ原の右手には「日光の貴婦人」と呼ばれる白樺の木がうっすらと見えて来てやがて中禅寺湖の水面に八丁出島の紅葉がまたまた鮮やかに映し出され日光の美しさを改めて確認することが出来ました。


令和2年  神無月      八 大









きぬかつぎ

 里芋の皮をそのまま蒸し,その皮を剥いで食べる料理を「きぬかつぎ」(衣被き)と云う。

泥だらけでお世辞にもきれいとはいえない姿の里芋ですが、その独特のねっとり感とやわらかさは、和食のメニューには欠かせない野菜です。子供の頃「おやつ」として、小腹の空いたころに食べた塩味は今でも口元に残っていましたが、何できぬかつぎと云うんだろうと思っていましたが、本当に変な名前として頭に残っていました。

これは平安時代以降に登場しました女性が外出時に頭から被った布のことだそうです。その時代には婦女子が衣もしくは薄衣を頭から被るようになり、脱ぐことが簡単であることから衣被かづきになぞらえてそう呼ばれたようです。その背景として風や埃を防ぐ目的と共に、顔を人前に晒すのを恥とする意識があったとみられています。衣服には単に手で前方をつぼめるものと腰のあたりで帯を結ぶものがありました。

里芋のぬめりは胃の粘膜や腸の働きを活発にし、血糖値や血中コレステロールを抑える働きがあると云われています。そのほか塩分の取りすぎを抑える効果や、足のむくみの防止にも効果があるそうです。しかも他の芋類に比べると低カロリーで女性にはお勧めの野菜であると云われています。料理の主役ではありませんが煮物には欠かせない一品すね

また里芋は親芋のまわりに子芋がついて、更に子芋のまわりに孫芋が連なるところから、子孫繁栄の縁起物とされています。そのため、里芋の煮物はおせち料理やお祝いの膳の定番となっていて重箱の中では欠かせない一品でもあります。


 令和3年  長月         八 大





中秋の名月


旧暦八月十五日の満月は中秋の名月と云われ里芋の収穫時期にあたり芋名月とも呼ばれ、農村を中心に庶民の間の間で行われていた収穫祭と結びついて豊作への感謝を込めて芋をお供えする習わしがあった。                    

満月の前後の呼び名は、十三夜、子望月(こもちずき)十五夜、十六夜(いざよい)立待月、居待月、寝待月、更待月と、一夜一夜の月に名前を付けるほど月が身近に、愛でたい存在としてあったのでしょう。また十五夜が雲に隠れて見えないことを無月、雨で見えないことを雨月と雲の向こうの満月を言い表しました。

昔の日本は太陰暦で、月の満ち欠けと太陽の動きを基にして作られた暦で農業中心でその暮らしに役立てておりました。旧暦の7,8,9月を秋としておりその真ん中の日の8月の15日を「中秋」と呼び、その晩に上がる月を「中秋の月」と云いました。旧暦と新暦では1か月~2か月のズレがあるため現在の中秋は9月だったり10月だったりします。


日本では十五夜の月見が盛んになったのは平安時代に貴族の人達が、空を見上げて月を眺めるのではなく、水面や盃の酒に映った月を愛でたという事が書かれております。月が美しいから感激して眺めていたんでなくて、水面に映し出されたその月を愛でていたとは何と奥ゆかしいことか言葉が出ません。

また本場、中国の中秋の名月は、中華三大節の一つ中秋節として、家族や親しい友人を招き月餅を食べ月を見るという風習があり、現在の月餅はその時期の贈答品として定着したものだそうです。

                               



 令和2年  長月        八 大










社日 とは


社日と云う言葉は知らない人が多くなっていると思います、前後にある祝日に埋もれてしまって、最近ではその影がますます薄くなっており昭和の時代が益々遠くなっていることを実感してます。春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃に最も近い戊(つちのえ)の日を「社日」と云います。令和2年春の社日は3月16日で秋の社日は9月22日になります。その土地の神様を祀る日とされております。

 社日(しゃにち・しゃじつ)



その由来ですが春の社日の頃は種まきの頃であり、秋の社日の頃は収穫の頃にあたります。そんなことから社日は重要な節目と考えられ、春は五穀の種子を供えて豊作を祈り、秋には初穂を供えて収穫を感謝するようになりました。

社日を祝う習慣は元来中国にあり「土」と云う意味がある「戊(つちのえ)」の日に豊作を祈願するするもので「社」とは土地の産土神(生まれた土地の守護神)のことを表しています。この風習が日本に伝えられると、土地の神様を信仰する日本の風土に溶け込み、重要な農耕儀礼として全国に広がったと云われています。

社日は「土の神」を祀るので、この日は農作業など土をいじることを忌む風習が各地にみられます。信州・上田平の地を訪ねた時には「お社日様は」春は神迎え、秋には神送りとして餅をついて祝っていることが現在でも行われております。そういう昔からの風習が残っているところを訪ねると改めて日本人としての歴史や民族の誇りを感じますね。

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SDGs とは

以前から胸に少し大きめの丸いバッジに気づいていた方も居られるたとは思いますが、最近特に政治家や一般の企業人の中にも多く見られるようになって来ておりますのでチョットだけ触りの部分を描き留めました。

SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり(エスディージーズと読みます)、2015年9月に国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。17の大きな目標と、それを達成するための具体的な169のターゲットで構成されています。

SDGsの17の目標とは

1 貧困をなくそう あらゆる場所であらゆろ形態の貧困に終止符を打つ。
2 飢餓をゼロに 飢餓に終止符を打ち食糧の安定確保と栄養状態の改善を達成するとと
  もに持続可能な農業を推進する
3 すべての人に健康と福祉を
  あらゆる年齢の人に健康的な生活を確保し福祉を推進する
4 質の高い教育をみんなに
5 ジェンダー平等を実現しよう
  ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る
6 安全な水とトイレを世界中に
  すべての人に水と衛生へのアクセツと持続可能な管理を確保する
7 エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
  すべての人々に手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセツを
8 働きがいも経済成長も  
  全ての人の為の持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用及び、働き
  甲斐のある人間らしい仕事を推進する
9 産業と技術革新の基盤を創ろう
  強靭なインフラを整備し、包摂的で持続可能な産業化を推進するとともに、技術開発の
  拡大を図る
10 人や国の不平等を無くそう
  国内および国家間の格差を是正する
11 住み続けられる街づくりを
  都市と人間の居住地を包摂的、安全、強靭かつ持続可能にする
12 つくる責任、つかう責任
  持続可能な消費と生産のパターンを確保する
13 気候変動に具体的な対策を
  気候変動とその影響に立ち向かうために、緊急対策を取る
14 海の豊かさを守ろう
  海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する
15 陸の豊かさを守ろう
  陸上生態系の保護、回復及び持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化へ
  の対処、土地劣化の阻止及び逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る
16 平和と公正をすべての人に
  持続可能な開発に向けて平和で包摂的な社会を推進し、すべての人に司法へのアクセツ
  を提供するとともに、あらゆるレベルにおいて効果的で責任ある包摂的な制度の構築
17 パートナーシップで目標を達成しよう
  持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップの活性化を

この上段6つの目標を見ると、貧困や飢餓、健康や教育、さらには安全な水など開発途上国
に対する支援に見えますが、日本でも子供の貧困やジェンダー平等に関して当てはまることです。中段のエネルギーや経済成長の話になると先進国である日本にも密接に関係していることです。また後段では気候の変動の話、海や陸上の話になって開発途上国だけでなくもっと大きな包括的な広がりとなってきますね。(国連広報から参照)

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鶺鴒

 鶺鴒(せきれい) 


古利根川の人道橋付近は川幅も広くゆったりとした流れは釣り人も多く、何となく人の心も穏やかになっていくようで楽しいスポットですね。いつものように水面を眺めていると朽ちた釣り船に留まって尻尾を上下させている鶺鴒を見つけました。その細めの体と長い尾が特徴的な鶺鴒はその長い尾でちょんちょんとリズムをとるようにして、歩き回り水生植物や昆虫をあさっているようです。その長い尾を上下に振る習性から地方によっては「石たたき」「庭たたき」などとも言われています。

日本書紀には日本神話の国生みの伝承として「恋かぞえ鳥」「恋知り鳥」という異名もあるそうですが、これは神話の中にあるエピソードが由来だそうです。それは日本の国を創ったイザナギノミコトとイザナミノミコトは結婚したものの、子供の作り方が全くわかりませんでした。そこへ鶺鴒が飛んできて盛んに尾を上下に動かす動作見せると納得し二人の神は性交の仕方をすぐに覚えたのです。

神様のやることは早いです、直ぐにイザナミは大八嶋(日本列島)を産み落としたのでした。今の日本列島があるのは鶺鴒のお陰かもしれませんね。そんな伝説からか鶺鴒は結婚にゆかりの深い鳥になっており皇室での成婚時には、新床の飾りとして鶺鴒が置かれていたとも言われております。

また鶺鴒は盛岡市や喜多方市、水戸市、あきる野市、板橋市、岡崎市など全国各地の自治体で愛される鳥として指定の鳥として選ばれているようです。一般にみられているセキレイは日本ではセグロセキれレイ、ハクセキレイ、キセキレイが主であるが中国地方にいるイワミセキレイと云う種は長い尾を左右に振る習性があるそうで見られると面白いですね。


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