近江神宮の復権

 近江神宮は第38代天智天皇をお祀りしておりまして、祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる全国16社の勅祭社の一社であります。
 ここは昭和15年11月7日の鎮座であり神社としての歴史は新しいですが、この地域の発展は大津宮に都を置いたことによって今に繋げてきました。
 古くから湖国では天智天皇に対する宗敬が厚く1350年の歴史に立脚するとして創建運動が高まり昭和天皇の御代に創建されたものです。 
 我が国の法律の源をなす「近江令」がここ大津宮で制定されたが、その中でも庚午年籍(戸籍の制定)と班田収授(土地制度の改革)については今の世にも寄与されている。
 特筆は2つ、社会生活の基本である時報を始めたことで知られる水時計は良く知られており、6月10日の時の記念日には漏刻祭として毎年斎行されている。
 もう一つは、天智天皇御製
「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」は小倉百人一首の巻頭歌として国民に親しまれ、歌かるたの祖神として仰がれており正月のかるた名人位、クイーン位決定戦が行われていることは良く知られています。
 ここ大津宮は壬申の乱の悲劇に逢って5年半で崩壊しその後は歴史の中に埋もれて幻の大津宮となってしまったが今、眼下に琵琶湖を眺め思いを巡らせるとき、歴史とは勝者による物語と云われるがこんな事実があることも多くの人に知って頂きたいと思いました。
                                          平成29年6月  八大








   
   20世紀の「男気」十か条

    <1,983年の夏> 35年程前のメモの中から出てきた「男気十か条」
   当時は意気盛んな四十台半ば、手帳の中に挟んだ紙切れが・・出て来た。
    自信をもって云えることが幾つあるだろうか?  

    1  個として自立し公のために尽くす
    2  人を感動させる独創的な仕事をする
    3  無駄なことを面白がる事ができる
    4  すべての人にいい顔はしない
    5  云うべき事は云い怒るべきときは怒る
    6  批判を受け止める懐の深さを持つ
    7  失敗を恐れず行動が出来る
    8  人をレッテル貼りせず差別をしない
    9  自分の弱さをさらけ出すことが出来る
   10  人情を重んじる心を持つ

   年齢の違いだけでは済ませられないことでもあるが、世を思うあの頃の
   思いを今に絞り出すことが出来ないだろうか、、、。




無財の七施(Take&Give)

 私達の日常生活では、物がなくても周りの人に喜びを与えていく、少しでも喜んでもらえる方法がある、それが無財の七施です。世間一般の損得勘定では、与えた人よりも与えられた人の方が得をするようなイメージですが、布施とは、ほどこしをした人の方が幸せな気分になり、与えられた人よりも与えた人が幸せになるのです。
 子供の頃、虚無僧姿で托鉢に来たお坊さんにお金をあげたけれど無言でした。親類のお坊さんに話したところ喜捨をさせてあげてやるのだから、御礼はお前が云うもんだよ・・と云われたことを今でも覚えています。
周りの人に喜びを与えて自分が幸せな気分になる方法とは
その1 眼施(げんせ)優しい眼差しで接する
その2 和顔悦色施(わげんえつじきせ)優しい笑顔
その3 言辞施(ごんじせ)優しい言葉で接する
その4 身施(しんせ)自分の身体で出来ることを奉仕
その5 心施(しんせ)心から感謝の言葉を述べる
その6 床座施(しょうざせ)場所や席を譲る
その7 房舎施(ぼうじゃせ)自分の家を提供する
 四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」という習慣が残っています。その心掛けがあればみんなが幸せになれるのに・・云うはやさし行うは難しですよね。
               平成29年6月  八大





沖ノ島(宗像大社)

 
玄界灘に浮かぶ沖ノ島は「神の島」と呼ばれ島全体が宗像大社沖津宮の御神体で今でも女人禁制の伝統を守っている。古来より島に立ち入り見聞きした事を口外してはならず「お不言さま」と呼ばれ、男性であっても現地に着いたあとは御前
浜でまず全裸で海に入って神事の一環として禊を行なわなければならない。
これを男女差別だと言われることもあるが、これは島の神
が田心姫神(女の神)であり、女性が島に上陸すると嫉妬
され祟りがあると言われている。

 一般人の上陸が許可されるのは毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時に限られている。
 沖の島には鏡や玉類、武器、馬具、装身具など8万点が国宝の指定となっており「海の正倉院」と呼ばれている。
今年の7月には祭祀遺跡として世界遺産に指定されることがほぼ確定しているらしい。
 5年ほど前に百田尚樹氏の「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞に選ばれてベストセラーとなって、久し振りに日本人としてワクワク感を味わうことが出来ました。出光興産創業者の出光佐三をモデルにした国岡鐵造の大活躍を改めて思い起こしましたが、そのいちずな信仰心の対象が宗像大社でありました。
 私は昨年に宗像大社を訪ねた際に沖ノ島・大祭の話を聞きましたので、今年の始めから事前の申し込みをして待ったが誠に残念なことですが抽選に外れてしまい渡島することが出来ませんでした。本を読んで悔しさを堪えています。
              平成29年6月  八大





虎塚古墳


 栃木県から茨城県にかけて流れる那珂川の河口近くには縄文時代から続いている古代人の住居跡や古墳などの遺跡が多くみられる処である。その中に虎塚古墳と云う東日本では最初に発見された装飾古墳があります。埋蔵文化財資料館には原寸大の石櫃が展示されているが原色の赤色に圧倒されます。壁の上段に連続三角文、その下に円文や太刀、鉾などの武器や武具などがベンガラ(酸化鉄の赤の顔料)で描かれている。石櫃の西壁や東壁にも9個の赤い円(鏡と思われる)や武具を思わせる道具などが描かれている。その当時も葬送を司る画家がいたのかもしれないことを感じる。

 装飾古墳は九州に多く発見されているが、そのころ関東へ人の移動があったことが覗える。
 年代的には6世紀末から7世紀初頭とみられていますが、その幾何学的な模様は今の現代アートを見ているような感覚を感じる。
虎塚? 鎌倉時代、この地に虎御前という人の屋敷があった・・と土地の古老の話を聞きましたが空を見る
古墳内は春と秋に一般公開されるとの事でした。
                平成29年5月  八大