タブレット


最近 、我が物顔でタブレットを使いこなしている中年男を見かけることが多くなったことを感じます。羨ましく思いますがこの言葉って何なのと疑問を持っていました。「タブレット」とは画面にタッチして感覚的に操作できる、スマホとパソコンの中間のような端末ですが、そのルーツは歴史との深い付き合いがあったと思われます。古代メソポタミアで使われていた楔形文字で記した粘土板を指すことが多いそうです。

識字率の低かった当時、文字を書くことを仕事とする書記官たちが様々な出来事を記した粘土板が、古代社会の営みを今に伝えてくれていました。当時の書記は行政機関や神殿などに就職して活躍していましたが一人前になるまでの道のりは相当に険しかったに違いないと想像しております。

その当時の粘土板にこんな事が書いてあるのが見つかっていたようで「ぼくを朝には早く起こしてください。遅刻できないのです。僕の先生に鞭でたたかれます」と、紀元前2,000年ごろのシュメール語の文学作品「学校時代」に出て来る話であると聞きました。

現代のタブレットも教育利用が広がり、コロナ禍がそれを加速助長させているのではないかと思っています。当時の書記の卵が見たらあまりの高機能さにはビックリするに違いない。大切なのは楔形文字を正確に書くことありましたが、学び続けることでは昔も今も変わらないのではないかと思います。

 令和2年  霜月         八 大       


マスク

マスクで際立つ子供の目

 世界中がコロナ禍でマスクの着用が日常になっていますが、ここに
きてトランプさんも一度だけマスク姿が見られましたがその後はトンと見られなくなりましたね。我が国では花粉対策の為や風邪をひいたときには日常的に使用されてきましたが、あまりマスクになじみのないヨーロッパの国々では病気でもしない限り使用するもんじゃないと云われていたことが世界中の常識のようでした。コロナのお陰でサージカルマスクは世界中の家庭の必需品になってしまいました。

先日小学校の子供たちの登校の姿を見る機会がありました。無言で整列したその姿を見て頼
もしさを感じてしまいました、年をとったという事ですかね。人間は五感という感覚を持った動物であるが、コロナ禍によってマスクの使用が強制されたため表面上は唯一マスクの存在が見直されて来た感じがします。マスクを着けると顔の表面からは目だけがキラキラと輝いて見えてしまいますが、横断歩道際の交通指導員と交わす、おはようの言葉からはハキハキとした清々しさを感じます。

目は口程に物を言うと云われますが視覚という存在が改めて見直されますね。日本人は目元で、米国人は口元で感情を読み取る傾向があると云われていますがヨーロッパの人も口元重視だそうです。私達日本人は口元が隠されて
もそれほど気になりませんが、欧米人には、相手の感情を読み取るのに重要な口元が隠されたマスク姿は、不気味にうつり、なじめないそうです。日本人は目元が隠されたサングラス姿を見て「ちょっと怖い」という印象を抱くのと似た感覚だと思います

今はコロナの事で一杯ですが年が明ける頃にはスギ花粉症の季節がやって来ますね、日本ではスギやブタグサが多いようですがヨーロッパの方でもプラタナスやカエデ、ミモザなどが飛散して多くの人々が悩まされているようです。国立環境研究所の説明によると、都市部で浮遊する大気中のいろいろな化学物質が原因であると云います。これらの国が持つ共通点は何かというと、何だと思いますか? はいそれは「先進国」なのです。マスクは今では日本文化そのものであります。


 令和2年  神無月         八 大

















櫻木神社

 こんな処に(失礼します)立派な神社があったとは知らなかったですね。野田市駅近くにあるキッコーマン工場から梅郷寄りに桜台という地名があります。住宅街が広がっており何の変哲もないと思えた反対側に回ってみると大きな鳥居がありその向こうにこんもりとした林が見え、掃き清められ手入れの行き届いた神社があり、可憐な十月桜が咲いていました。

野田市桜台にある櫻木神社は、社記によると平安朝の仁寿元年(西暦851年)に、大化の改新で活躍した藤原鎌足から5代後の藤原冬嗣の息子がこの地に居を構えた時、此処に美しい桜の大木があったので倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀り、その後武甕槌命の神を祀ったのが始まりであると伝えています。この地は古くには櫻木村と呼ばれ、後に桜台村となり桜が咲き誇る美しい里であったと考えられています。現在の社家はその継承から28代目で初代からは31代目に当たるそうです。

倉稲魂命は伊勢神宮外宮の祭神である豊宇気比売神(とようけひめのかみ)と同一の神様と云われ、穀霊として食物全般の神様でもあります。また人々の生命を守り育て、家を富裕にしてくれる祖神であり、生活の衰運に関わる大切な神様です。

平成4年の神社再建御造営に伴い、御殿地(宮司宅地内裏山)の発掘調査が行われ、日本列島の旧石器時代の有舌尖頭器や縄文時代の土器・石器類、古墳時代の住居跡などの遺跡のほか、古代祭祀に関係する遺物としてヒスイ勾玉管玉・台形様石製品・剣先様装飾品・半円状石製品・玉杖なども多数出土たそうです。

大鳥居脇のシダレザクラや正門の手前にあるミヤビザクラは3月中に満開を迎えると云われます、その時期に仲間の皆さんと是非行ってみたいと思います。


 令和2年  神無月        八 大 






もみじのトンネル


 今年の紅葉は台風の上陸もなく順調に紅葉前線が南下しており、何時になく色鮮やかですよと隣人に云われたのを信じて30日に日塩もみじラインへ足を運んでみました。もみじラインとは日光と塩原を結ぶ道路のことで通称バレーラインと呼ばれていますがタイミングも良かったからですが見事なグラデーションで賛嘆の声を挙げました。

塩原からの逆のコースを走りましたが、つづら折りになった紅葉の急カーブ、時々まぶしい太陽光の中を潜り抜けるとシーズン前のスキー場のゴンドラが揺れ動いていている。やがて峠に出ると一瞬にして視界が広がり会津の方向に山並みがそびえて見える、頂に近いところはやがて来る冬に備えた様子が伺えます。

街道はやがて平家の落人の集落を超え、山間の紅葉の隙間からは黄葉の木々も交じり合って高さ100Mを超える断崖を望む瀬戸合峡と川俣ダムの風景は素晴らし眺めですね。一休みするとやがて平家の落人集落の近くを超え山王林道から光徳牧場に差し掛かる頃、景色は変わって黄金色に輝く落葉松の林の中へと進みます・・・。落葉松林の黄葉もこれだけの規模があると、しばし言葉を忘れてしまいます。

戦場ヶ原の右手には「日光の貴婦人」と呼ばれる白樺の木がうっすらと見えて来てやがて中禅寺湖の水面に八丁出島の紅葉がまたまた鮮やかに映し出され日光の美しさを改めて確認することが出来ました。


令和2年  神無月      八 大