嵯峨野路その4

 仁和寺の歴史 

五重の塔
仁和寺は創建から1100年を超える、京都を代表する名跡で真言宗御室派の総本山です。国宝の金堂や阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像の他多くの文化財を有し境内の一部も国の史跡に指定されています。また中門一帯に植えられた「御室桜」は背が低い事で知られて、当時の姿を今に伝える名勝地として数多くの歌人や俳人にも詠まれています。「私しゃお多福御室のサクラ 背は低くとも花は咲く」

寺の歴史は仁和2年に「西山御願寺」として建立を発願されましたが、先帝が崩御されたため第59代宇多天皇が遺志を継がれ仁和4年(888年)に完成したもので、寺号も元号から仁和寺となりました。それ以降皇室の出身者が代々の住職(門跡)を務めた為、平安~鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保持しました。

しかし応仁元年(1467年)からに始まった「応仁の乱」で一山のほとんどを兵火で焼失しましたが、阿弥陀三尊や多くの宝物などは近くの塔頭寺院の真光院に移されていた為に法灯と共に今に伝えられております。応仁の乱から160年後、寛永11年(1634年)徳川3代将軍家光によって仁和寺の再興が承諾され正保3年(1646年)再建が完了し創建当時の姿に戻ることが出来ました。

御殿と庭園
慶応3年(1867年)第30世純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が住職となる宮門跡の歴史が終わりました。昭和の時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、平成6年(1994年)古都京都の文化財としてユネスコの「世界遺産」に登録されて新たな歴史を刻んでいます。 ⦿ 還俗 (げんぞく)とは 僧が僧籍を離れて、俗人になること。

仁和の教え 「 は慈しみ、思いやり  は和やか、平和の和 」 

仏教詩人「坂村真民」さんが言った言葉に「人間は年を取って体の機能や動きは衰えますが気持ちや心まで落ち込ませてはいけません。老いることをあきらめるのではなく「念ずれば花開く」という言葉を胸に私達は、幾つになっても常に前向きにしっかりと生きることを忘れないで下さい・・と。」単なる長生きでは意味がない、本当の長生き=名が生きを目指して豊かな人生を送りたいものです。 


 令和3年  霜月         八 大 









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