道草について

道草を食うとは                                    「馬が道端で草を食べていることで、歩みが遅くなる こと。転じて目的地に行く途中で他の事に時間を費やしてしまう事を云います。」

道草を食う
子供の頃「道草をしないで帰って来なさい」と母親にたびたび云われたことがありましたが、そんなに真面目じゃなかったので学校帰りに友達と途中あちこちに寄り道しながら暗くなるのを忘れて遊んだことを思い出す。「道草ってどんな草」っていう事を云いだす子供でした。よほど何かなければ真っすぐに家へ帰ったことはなかった。 でも今になって振り返ってみると、道草を食う習慣が自分の人生を豊かにしてくれたようにも思えます。

暫らくぶりに各駅停車に乗ると、停車する駅名も車窓の景色の移り変わりも思いのほか新鮮に感じられた。ただ躓きもなく順調に近道ばかりを歩いて一生を終えてしまう人がいるとしたら勿体ない話です。大切なものを見落としてしまっているかもしれませんよね。人生の寄り道や回り道によって今迄に気付けなかった、風の匂いや季節の変化に感動を覚えることによって、細やかな配慮の出来る人へと創られていくのではないかと思います。

「究極の道草は旅である」                            若い頃には興味を持ったことに理屈抜きで取り組んで来たがそれは「人生の種まきの時期」でもあった。これからの時間は自分の人生を豊かにするために使うもので、敢えて道草を食うということは人生に彩りが添えられる大きな財産である。最近は道草という言葉そのものを使う機会が減っているけれど、何故だろうか? 道端に草が生えていないのではなく、草を喰いに行く気概が減っているのではないかと思える。

 令和4年 水無月         八 大
















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