「 春日部市八丁目」の由来
先日、国道四号線の近くでいつもは何気なく見過ごしていた小さな看板を見てビックリ、「春日部市八丁目」という看板に出逢った。この頃ではマイナンバーカードの話ばかりで改めて道路標識を意識していませんでしたが、地域に住む私達にとっては何故か少しうれしい気分です。50年近く住み慣れている場所ではありますが改めて見上げるとこんな看板があったんだとビックリ!
この地域は、江戸時代には「武蔵国葛飾郡八丁目村」と呼ばれ明治22年に、当時の7カ村が合併して幸松村となったことから「埼玉県北葛飾郡幸松村大字八丁目」となり、その後昭和29年に当時の1町4村が合併し春日部市となり、「春日部市八丁目」になったとのこと。
春日部市にとってのイメージは「岩槻市」が「さいたま市」に編入されて以来、東京方面からの鉄道高架化が北越谷の地でストップし10年以上が経ちます。その間春日部市内の交通渋滞は市民生活に支障をきたしていることは大問題であります。その間地域住民の声は「菜っ葉の肥やし・・かけ肥え声ばかりでやる気はなし」の声が聞こえていましたが・・・ようやく春日部駅の立体交差化工事に着手され沈み込んでいたイメージが上向きつつあるように思います。
文月 八 大