危 険 とは

「危険」とは危害や損失、事故、災害などが生じる恐れがあることです。生命や身体に損害が及ぶ可能性をさし、「危ないこと」や「好ましくないこと」が起こる可能性がある状態」と表現されます。

「生きることには死の危険が、愛する事には失恋の危険が付きまとう。  

 求める事には失望の危険が、挑戦する事には失敗の危険が付きまとう。      

 しかし危険は冒さなければならない。                     

 人生最大の悲惨は何一つ危険を冒さないことにある。               

 危険を冒さない人には、何も成しえず何も手に入れられず何もない人生を送る。  

 危険に対しておよびごしでいる人には自由を剥奪された奴隷のようなものだ。   

 危険を冒す者だけが自由に人生を生きられる。」 (フレデリックウイコックス)

物事のリスクについて注意することでは                         1 どんな「リスク」があるのか、事前に確認する                2 どの程度「リスク」を受け入れることが出来るのかを確認把握する

いろいろと経験を重ねると、「リスク」を冷静に判断することが出来るようになると思います。 その上、新聞や雑誌その他各種セミナーなどで知識を深めることも可能になります。「リスク」のとらえ方は人によっていろいろあると思いますが、今迄危険だと思い込んで避けて来たのであれば、その付き合い方を見直すチャンスがあると思いますね。 こんなことを思いました。 

 

出雲大社



この季節出雲の神様は忙しい。

 神無月         八 大  










迦陵頻伽(かりょうびんが)

迦陵頻伽(人頭鳥身)
ずい分遠い昔の話ですが近くの寺の住職さんに極楽鳥の話を聞いたことがありました。それは迦陵頻伽(かりょうびんが)と云い、極楽浄土に住むとされる美しい声で鳴く想像上の鳥がいると云います。「人頭鳥身」の姿で描かれ、楽器を奏でたり仏の説法に例えられたり、美しい声の例えと云われています。

美術工芸品、絵画、雅楽の演目など、様々な分野にモチーフとして用いられており 共命鳥と共に極楽浄土に住むとされています。 上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物と云います。サンスクリット語のカラヴィンカの音訳で「阿弥陀経」では、共鳴鳥とともに極楽浄土に住むとされています。

殻の中にいる時から鳴きだすとされており、その声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられ、「妙音鳥」、「好声鳥」、「妙声鳥」、「逸音鳥」、「妙声鳥」とも意訳されているそうです。また、日本では美しい芸者や花魁(おいらん)、美声の芸妓を指してこの名で呼ぶこともあったと云います。

迦陵頻伽の壁画
一般に、迦陵頻伽の描かれた図像は浄土を表現していると理解され、同時に如来の教えを称えることを意図するそうです。中国の仏教壁画などには人頭鳥身で表されるが、日本の仏教美術では、有翼の菩薩形の上半身に鳥の下半身の姿で描かれています。敦煌の壁画にも舞ったり、音楽を奏でている姿も描かれています。共鳴鳥とも言われます。

  • 迦陵頻(かりょうびん) - 仏教行事の舞楽。迦陵頻伽の舞を表現しており、蝶をモチーフとした胡蝶と対で舞われる(「番舞(つがいまい)」。 
 と呼ばれる。


 神無月              八 大