秋彼岸の頃
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9/11 古利根川の土手 |
先週の11日に古利根川の遊歩道を散歩していたら、八幡橋際の土手に今年初めて早くも彼岸花が、初お目見えして下さった。チョット早いけれど「毎年お目に掛かれて有難うさん」とツイ感謝の言葉を掛けました。
昨日、Gゴルフ愛好会が雨のため後日に延期になりましたので、権現堂の曼珠沙華祭りに足を延ばし赤い絨毯を見てきました。雨に濡れて真っ赤な色が鮮やかで、これを地獄花と云う人の心が知れない。
「暑さ寒さも彼岸まで」と云いますがこの時期になるとめっきり涼しさが増します。お墓参りに行くと秋の七草が見かけられます。
また空を見上げると小さな雲片が群れとなって魚の鱗のように見えて壮観です。これは巻積雲と云って鰯雲、鯖雲などと呼ばれているが秋刀魚雲とは云う人無し。
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9/21 権現堂の赤絨毯。 |
また秋彼岸になくてはならないもが、粒が残った「半殺し」のお餅にあんこをまとった「お萩」これは春の彼岸に食べる「ぼた餅」と全く同じものですよね。
それは十八世紀に発行された百科事典に
「牡丹餅およびお萩は、花の形・色をもってこ
れを名づく」とあります。
なおぼた餅やおはぎを食べる習慣が定着し
たのは、神仏混交の世、先祖供養の一環であると同時に春は豊作を祈念し、秋は収穫に感謝するための神様への供え物だったからだと云われています。
さあ季節は「天高く馬肥えるの秋」ですよ!
八大
琵琶湖・長浜のホトケたち
先日、久し振りに上野の芸大美術館にて観音菩薩の展覧会を見る機会がありました。
湖北・長浜の地には平安時代から江戸時代に至る観音像が百を超えて伝存しているそうです。
この地は平安の後期から室町・戦国時代にかけて度重なる戦乱の中、観音像は大きな寺に守られてきたのではなく人々の暮らしの中に根付きそこに住む人々の信仰や生活と深く結び付きながら現在も大切に守られて来ております。
時には戦乱に巻き込まれることが多く、一時の災難を逃れるため土の中に埋められたり水に浸けられたりして難を逃れることも度々あったが信仰心ある村人たちによって救われて来ました。その結果なかには腕や足が喪失されたり火災による焦げ跡が残っている像もありました。
法華経で観音菩薩は衆生を救済するために三十三に変化してこの世に現れたと云われ、その麗しい顔立ちは最も親しまれている仏さまであります。
展覧会で多くの仏像を見られるのもよろしいですが終わった後に、それぞれの仏さまがお戻りになられたお堂に尋ねてみるのも楽しみであります。
八大