浄土寺・阿弥陀堂

兵庫県小野市にある浄土寺・阿弥陀堂は大仏様建築のお堂と阿弥陀三尊像は仏師快慶の見事な大作であり共に国宝であり圧巻であります。

浄土寺は、奈良時代の僧・行基の建てた寺院があったとも言われるが、実質的な開山は東大寺大仏・大仏殿の鎌倉復興に尽力した重源である。治承4年(1180年)、平重衡の軍勢による南都焼討で、東大寺、興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちた。この大仏・大仏殿の再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源であった。重源は大仏再建費用の募金活動の拠点として、伊賀(三重県)、周防(山口県)など日本の七か所に東大寺の別所を造ったが元々この地が東大寺領であったため「播磨別所」として造られたのが浄土寺である。

私はこの境内の配置を見て、その後建てられた本堂(薬師堂)との間に池を配し西に阿弥陀堂・東に薬師堂が建っていたと想像しました。この配置は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来と西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味しており此岸から彼岸へであると思います。

人づてに聞いては居りましたが重源は三度も宋に渡りましたが最新の建築技法も学んでおりどっしりとした大仏様という様式を取り入れ、何と云っても東向きに立っている阿弥陀三尊が西の彼方の極楽浄土から、たなびく雲に乗って衆生を迎えに来た来迎の姿がそのまま表れていることです。特に春秋の夕暮れ時の西日は堂内に差し込み朱塗りの堂内に乱反射して金色の阿弥陀が浮かび上がってくるように見えるそうです。



 今、夕日の射し込む門限まで阿弥陀様の正面の床に座って時代を遡って仏にすがったであろう人々の思いを感じながら瞑想にふけりました。それは自分にとって誠に素晴らしい時間でありました。 合掌
                                        平成29年9月   八大






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