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| 運慶展 |
運慶が活躍した平安から鎌倉時代にかけては正に動乱の時代であった。源平の戦いは津々浦々に波及しやがて政権は貴族から武士へと引き継がれて行く。
このような中で運慶は平家の焼き討ちによって灰塵に帰した奈良の東大寺や興福寺の復興に尽力するとともに、東国武士からの依頼を受けて仏像を制作したことでも知られている。この時代世の乱れに呼応して仏像の需要が増したことにより注文が多くなった。これまでの大木が必要な一木造から小木二材以上を組み合せる寄木造工法が定朝によって完成された。いわゆる工房に多数の仏師を集めて一体の佛像を細分化し組み立てることにより能率的に制作することが出来るようになったのである。また寄木造りで頭部は内剥りで空洞になるため内側から目の部分に穴をあけレンズ状の水晶を入れることが出来て、より 本物らしく見える玉眼という技法もこの時生まれた。 私は今回、展示の中で無著・世親の像は興福寺の北円堂では度々お目に掛かっているが、この展覧会でこんなに身近に見られたことは感激の一語であった。
運慶は東大寺仁王門に見られるような鎌倉武士に好まれる力強さの表現もさることながら、人々の願いを聞き或いは寄り添い眼に見えない佛の慈悲の心を内面にまで彫りだしたと思われる像も手にしている。
この佛の前に立つと自然に手を合わさずにはいられないものを感じます。
平成29年10月 八大 無著菩薩立像

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