夏安吾(げあんご)

 三十年ほど前になると思います、小雨の降る法隆寺を訪れた時の事でした。法隆寺西室の入り口で留守居番らしき老人と傘を差しながらの立ち話をしていると今、立松和平さんが来ているよと云われて西院の講堂を覗きました。衣を着た二十人ほどの若いお坊さんが講義を受けていたので、隅の方で私も耳を傾けて聞いてみると難しい熟語をやさしく解説をされていたのが印象に残っていました。黒板には夏安吾の文字があった。

法隆寺
 インドでは6月~9月頃が雨期になるそうです。雨期には川が氾濫したり交通が困難になりますがこの頃には草や木や虫が良く成長する時でもあります。この頃には外に出ることは控えて農作物の新芽を痛めたり可愛い虫たちを踏み潰さないようにあまり出歩いて踏み潰さないようにしない為に出歩かないことが良いと教えられます。
 そんなときにはお寺や洞窟にこもって修行に専念するそうで、その事を安吾と云いますが安居中の食事や身の回りのことは在家の信者が世話をしてくれ、修行者から説法を聞くことを習いとしました。この安居のための居場所が、お寺の始まりとも云われています。


 日本にも安居は伝えられましたが形が変わり、夏安居のほかに秋安居や冬安居などが生まれ、国土安穏や無病息災を祈る形式が多くなりました。その期間は宗派により異なり、一定していませんが、夏安居は旧暦の4/16~7/15日の三ヶ月間が基本とされています。
 日本の安居は天武天皇12年(683年)宮中で行われたのが最初といわれています。延暦25年(806年)には桓武天皇の命により、15大寺と諸国の国分寺で安居が行われ、官寺の恒例行事となっていたそうです。

          平成30年6月                八大


   


「草上の昼食」クロードモネ
                        
 過日、東京都美術館にクロードモネの大作「草上の昼食」を見る機会があり覗いてみました。印象派の画家クロード・モネは「印象・日の出」や「睡蓮」であまりにも有名ですが、今回の作品は初来日と云うことですが縦1・3ⅿX横1・8ⅿの大作です。
 18世紀の産業革命で裕福になった都会人たちがスポンサーになり肖像画などより身近な題材を描くようになったことでテーマに広がりが出ているようです。
そんなお金持ち階級の人たちを描いた作品は登場人物がおおらかで、着ている洋服からも楽しさが浮かび上がってきている。
 題名の「草上の昼食」は緑の林の中で大勢の仲間たちが着飾って昼食会になったいるようで一部の人が日陰になっているところなどは偶然の一瞬を描いているそうです。
 また荒いタッチでありながら色彩感覚はみずみずしさを感じさせます。
ゆっくりと鑑賞するのもたまには良いものです。

 印象派の名前の由来となった『印象・日の出』はモネが幼いころ過ごしたフランスの港町に日が昇る様子を描いたとされています。

               平成30年6月               八大  












 明治維新から150年

 今年、2018年は明治150年の遠忌にあたります。
 1868年(慶應4年)9月8日に詔が発せられ明治元年と改元されてから150年が経ちました。

 この間の変わりようは明治から大正・昭和・平成へと受け継がれて来ましたが日本国としても味わった事のない大きな変化の時でもあったと思います。この事を遠い昔のことのようにに感じる人が多いと思いますが変化の速さは益々勢いずいて来てるようです。

 遠い遠い昔、にわとりが卵を生み始めてから一万数千年の今でも相変わらずにわとりは卵を生み続けています。
 縄文時代は1万年以上にわたり狩猟採取生活をされていたがその後、稲作の時代となり集落の定住が始まりおおよそ千年の間を弥生時代と呼ばれる。
 それからは古墳時代、奈良時代を経て、貴族や武士の時代へと移り替わりその後に年表の上では平和で安定した江戸時代となりましたが、幕末の混乱した時代に多くのヒーローの活躍があり、明治維新に繋がるわけであります。

 その後の150年間の最先端に私たちがいる訳ですが未だ且つて味わった事のない大きな変化の中に私達が居るわけであります。縄文や弥生時代や江戸時代の頃の延長では想像も出来なかったことが今起きているのです。
 イギリスをスタートした産業革命による技術革新の動きはここに来て更なる速度を早め異次元の世界「AI革命」の時代に突入しております。
 私達の多くはその点に対して時間経過の感覚にマヒしてしまっているように思います。
 この話で風呂敷を広げると包めなくなってしまうので後の機会に譲ります。
(この間3か月間の中断でご迷惑をお掛けしました。)

                         平成30年6月    八大