カサブランカ
カサブランカ に想う
真っ白い花カサブランカが見事に咲きました。雨を避けて山法師の木陰に移しましたが直径が何と、28㎝もありその姿は豪華絢爛に極まる。近寄るとユリ独特の甘い香りが漂っている。その花言葉は「雄大な愛」「純粋」「甘美」「威厳」「無垢」「祝福」・・とうなずけるものばかりです。
アフリカ西海岸にあるモロッコは紀元前10世紀ごろにベルベル人が定住してフェニキア人やローマ人との交易が行われており、中世のころ商業と金融の中心都市として栄えたカサブランカと云う街があります。名前の由来はスペイン語で「白い家」という何とも耳障りの良い地名でありますが人口は400万人を超す͡古都であります。
往年の名画に「カサブランカ」という題名の映画がありましたが、私の生まれた年に映画化されたものらしいです。敬愛する女優イングリットバーグマンがハンフリーボガードと共演しており映画史上屈指の作品ともいわれております。彼女はその理知的な風貌から多くのファンを得ていた大スターであり小生もその中の一人でした。
彼女は女優として数々の賞に輝いているが何といっても三回のアカデミー賞にも輝いており永遠の大女優である。その出生地であるスエーデンの墓碑には「この女性は人生の最後まで演技し続けた素晴らしい女優ここに眠る」と刻まれているそうです。
カサブランカと云う作品は反ナチス時代に地下組織を舞台にした内容で重くて暗い雰囲気が立ち込めていたなかでバーグマンの立ち居振る舞いが今に至っても頭に残っています。
令和 元年6月 八 大
宥座の器
宥座の器とは
ある春の日差しの温かいころ暫くぶりに足利学校を訪れ学校門をくぐり孔子廟を参拝したことがありました。休日であった為か子供ずれも多く玄関から上がって教室で何やら論語の教材をもって静かなやり取りが囁かれておりました。私は玄関脇の奇妙な置物が気になりますが品定めというか「宥座の器」とは何ぞやと自問自答したことがありました。
今から2,500年も前に中国魯の国の孔子様は魯の桓公の廟に参詣したときに宥座の器を見て「満ちて覆らない者はいない」と教訓しました。この宥座の器は、人生におけるすべてのことにおいて、無理をすることや満ち足りることを戒め、中庸の徳、謙譲の徳の大切なことを教えています。 自らの戒めとするために身近に置いて戒めとするもので孔子の教えを実際に体験できる器です。
春秋時代、斉の16代君主だった桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。これを見た孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」と説いた故事から。
令和元年 6月
八 大
ラムズイヤー
ラムズイヤーって何
駅の近くに雑草の塊のような花が咲いていたので「雑草にも名前があるんだよ」と、昭和天皇が仰ったことを思い起こした。半身になって腰を下ろしてよく見るとそこには聞いたこともない名前のハーブが植えられていました。近隣の愛好家の方が手入れをされておられるらしい、雑草にしか見えていなかったが、ラベンダーをはじめとする草花たちが『私は此処よ・・・』と囁いているようだ。
よくよく見ると、アカンサスモーリス・ラムズイヤー・タイム、、、生き生きとしている凄い、宝物だね。この近くの篤志家の皆さんが手入れをされてハーブ園?として楽しませてくれている事に気づきました。
改めて確認してみるとなんとその数20種ぐらい、それぞれの香りや肌触りを確かめると愛おしくてなかなか側を離れられなくなりましたよ。こんな街の中で私を癒してくれる草花に出会うとは思わなかった。私は何処を見て歩いたんだろうか、見えているはずの物が見えてないとは自分を恥ずかしく思った次第です。
小さな案内板にラムズイヤーと書いてあった、この姿を見てとっさに思い浮かんだ言葉は「羊の耳」きっとこれに違いないと言葉を反芻しながら家に戻ってパソコンを開くとラムズイヤーとは「羊の耳」でした。
ラムズイヤーの白い毛で覆われた葉は、ぬいぐるみのように心地よく、柔らかな手触りで、lamb's ear(羊の耳)の名前にぴったりです。葉には、香りがあり、生葉や乾燥させた花をクラフトなどに利用できます。初夏に薄紫色の花を咲かせます。夏の高温多湿が苦手で、株元が蒸れて腐ることがしばしばありますが、環境さえ合えば、地表にマット状に広がります。この小さな趣味の庭園もその近くまで区画整理の指定がなされ消えて行ってしまうのはそんなに遠くない時間かもしれないことを思うと言葉を失う、きっと何処かで生きていて欲しい。
令和 元年 6月 八 大
柘榴と鬼子母神
柘榴
今年も朱色の花が二階の屋根越しに咲きはじめました。
三十年以上前にシルクロード敦煌を訪れた時に、街はずれで見事に真っ赤な花が咲いるのを見つけた。それは莫高窟に向かう旅の途中で見かけた茶色の山肌を背景に赤色は威厳ある朱色でそれはよく見ると柘榴の花でした。
柘榴は、ミソハギ科・ザクロ属に分類される落葉性の小高木です。世界中の亜熱帯地域に生息しており、原産地についてはイラン(ペルシャ)あたりでシルクロードを超えて日本へは平安時代に、中国から朝鮮半島を経由して渡来したようです。
樹高は2~7mほどに生長し、先端にトゲのある細かい枝をたくさん茂らせ、初夏になると、春に伸びた枝の先に、花を咲かせます。通常は6枚のオレンジ色の花びらを一重に付けますが、品種によっては八重咲きのものもあり花の色も白や黄色とバリエーションもあります。
その後秋になると、結実して果実が付きます。熟すと、実の赤く硬い皮が裂け、中から透明な果肉の粒がたくさん現れます。この粒の中には、1つずつ種が入っているんですよね、これが柘榴の果実です。
その後秋になると、結実して果実が付きます。熟すと、実の赤く硬い皮が裂け、中から透明な果肉の粒がたくさん現れます。この粒の中には、1つずつ種が入っているんですよね、これが柘榴の果実です。
鬼子母神伝説
鬼子母神伝説は、お釈迦様の「法華経」の中に出てきます。鬼子母神は500人もの子供を持つ美しい神様でしたが、自分の子供達を育てるため、なんと人間の子供をさらっては食べていたのです。これを知ったお釈迦様は、鬼子母神の末っ子を神通力によって隠してしまいます。鬼子母神は嘆き悲しみ、必死に我が子を探しますがみつからず、困り果ててお釈迦様に助けを求めました。お釈迦様は「お前は500人も子供がいるのに、たった1人がいなくなっただけでこんなにも嘆き悲しんでいる。たった数人しかいない子供をお前に奪われた人間の親の気持ちが、これでお前にもわかっただろう。」と言って鬼子母神に子供を返しました。そして、「今後、どうしても人の子が食べたくなったら代わりにこれを食べよ」と与えられたのがザクロだったそうです。鬼子母神は改心し、以後は仏教の教えを守る、安産と育児の神様となりました。そんなわけで、鬼子母神は左手に子供、右手にザクロを持っているとのことです。このことからザクロは古くから子孫繁栄を表す縁起の問い果実として吉祥果とも云われています。
鬼子母神を訶梨帝母(かりていも)とも呼ばれていました。
令和 元年 6月 八 大
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