宥座の器とは
ある春の日差しの温かいころ暫くぶりに足利学校を訪れ学校門をくぐり孔子廟を参拝したことがありました。休日であった為か子供ずれも多く玄関から上がって教室で何やら論語の教材をもって静かなやり取りが囁かれておりました。私は玄関脇の奇妙な置物が気になりますが品定めというか
「宥座の器」とは何ぞやと自問自答したことがありました。
今から2,500年も前に中国魯の国の孔子様は魯の桓公の廟に参詣したときに宥座の器を見て
「満ちて覆らない者はいない」と教訓しました。この宥座の器は、人生におけるすべてのことにおいて、無理をすることや満ち足りることを戒め、中庸の徳、謙譲の徳の大切なことを教えています。
自らの戒めとするために身近に置いて戒めとするもので孔子の教えを実際に体験できる器です。
春秋時代、斉の16代君主だった桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。これを見た孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」と説いた故事から。
令和元年 6月
八 大
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