山吹

 晩春のこの時期黄色い花を咲かせるのが落葉低木の山吹です。十年ぐらい前に栃木の「星野の里」で蕎麦を食べていると店の主が出て来てこちらへ来てよと手招きをしてくれました。のこのこ付いて行くと裏庭の藪の中に白い山吹が咲いていました。

これが珍しい「白い山吹」だよと自慢げに話してくれました。これは俺の宝物だよと自慢されていたのを思い出しました。黄色い山吹色は江戸時代までは大判小判を単に「山吹」と呼んでいたそうです。時代劇に出て来る場面で懐から大判を出してかじって見せている姿を思い起こしました。

ご存知の太田道灌の話
上杉氏の家宰(かさい)であった太田道灌
が鷹狩に行ってにわか雨に遭い、あばら家に駆け込むと少女が出てきた。道潅が少女に蓑を貸して貰えないかと尋ねたところ少女は黙って山吹の花一輪を差し出した。道潅は怒って帰りその近臣の一人にその話をしたところ、その者が「後拾遺集」にある後醍醐天皇の皇子の和歌に「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」と云う歌があることを伝え、「その娘は蓑一つない貧しさを山吹にたとえたのでしょうか」と云いました。

その後の話
その話を聞かされた道潅は己の無学を恥じ
、この日を境に歌道に精進し人の心の中を
理解できる人になっていったそうです。

物語の舞台になったと云われる山吹の里は
埼玉県の越生町周辺と云われ、最近では町
おこしのブームもあり賑わうそうです。

 令和2年  卯月        八 大










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