桐の話


  春日部市の名産品としてその名を誇れるものとしては、「高級桐ダンス」があります。その言われとして日光東照宮を造った各職人達の中に指物屋と云う人たちが居ました。東照宮を完成させた職人たちが江戸へ戻る途中に立ち寄ってひと稼ぎをしてから江戸へ帰ろうとしてそのまま居ついてしまったのが処が当時の粕壁だったとも言われています。


つい三十年ほど前には西口の踏み切りの近くには数件の桐ダンス屋さんが軒を連ねていたことを思い出しますが、また市内のあちこちに箱屋さんと称しては小細工を商売に成り立っていたことも聞きましたが当時の粕壁は押しも押されない桐ダンスの町でありました。
桐ダンスは湿度が高いと膨張して気密性が高まり湿気を防いでくれることで日本の気候にはぴったりの材木だったと言えますよね。

また昔は嫁入り道具に桐のタンスを持たせるため「女の子が出来たら桐を植える」という習慣がありまして、桐は成長が早く二十年たてば高さ十メートル程度の成木になり加工できるので理にかなっているようです。しかし立派な桐ダンスも
軽量で安価な桐材も瞬くにプラスチック製品にその場を奪われているのが現状です。

五百円玉を手に取ってみれば表に描かれているのは桐の葉と花でありますが、これは内閣総理大臣の紋章としてデザインされた桐であることは皆さんご承知のことと思います。
三本木公園の一角にポケットパークがありますが今は小さな桐の樹ですが成長の早い木ですので、やがて大木になって私たちを見下ろすようになることでしょう。楽しみにしており
ます、頑張ってくださいよ!

 令和2年   文月       八 大






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