処暑の候

暦の上では「処暑の候」に入りましたね。今年は連日の異常な暑さが 続いておりますが暦の上では二十四節気の一つ処暑 (8月23日~9月6日迄の期間)に入りました。処暑と云う言葉はずい分控えめな言葉で「処」には落ち着くと云う意味があるそうで、暑い陽気が停止し初めて暑さが引き締めに入っていく頃と云う意味です。気がつくとヒグラシ蝉の声があり夕暮れが早まって来たことを実感しています。

でもあまり呑気なことを云っている暇はありませんよ。この時期お米農家にとっては最も重要な節目の、二百十日・二百二十日と云う台風に供えなくてはなりません。最近では台風の被害に加えて「線状降水帯」とか云う新手のゲリラ豪雨が出現して大災害となっております。これは世界的な異常気象の出現だと云われますが気候の安定していると思われていたヨーロッパ周辺にも洪水が出ており、そのメカニズムを掴むことは大変困難であるそうです。

一方自然災害だけではございません秋の実りに感謝する楽しみな盆踊りの季節に入り日本の各地で行われます。なかでも9月1日~3日にかけて行われる越中富山の「おわら風の盆」には度々お邪魔しておりました。越中おわら節の哀愁感に満ちた旋律に乗って編み笠姿の女踊りと勇壮な男踊り、哀調溢れる胡弓の音色が忘れられないものとなっています。昨年はコロナ禍の為中止になってしまいましたが、今年も残念ながら中止との連絡が入ってきました。

例年ですと秋の観光シーズンもこれから始まるところですがアマビエさんの威力も及ばず悪いコロナの居座りによって自粛の継続が強いられており流石に閉口しますがここが我慢のしどころです。我々だけでなく世界中が自粛を強いられていることを思えば何のこれしきです。菅総理の云われる灯りはまだまだ見えていませんが必ずや終息は来ます。ここが頑張りどころですね!

 令和3年  葉月       八 大










百日紅(さるすべり)

 先週、お盆のお詣りに檀家のお寺さんに伺ったら今年も「百日紅」の花が迎えてくれました。もう何十年となくこの道でこの時期に出会っていますが最近は同じ紅色がより鮮明に見えることに気がつきました。百日紅は変わっていないので自分の心が変化しているのでしょう。何故なのか分かりませんが・・・不思議な感じがします。

百日紅の名前の由来は唐の時代から宮廷に植えられていますが、この時期次から次へと百日間にも亘って花を咲かせているので、百日紅(ひゃくじっこう)と呼ばれるようになったそうです。また「さるすべり」の語源は日本独自のもので成長すると高さが10ḿ近くにもなり幹がつるつるして滑りやすいので「木登りが得意なサルでも滑って登れない」という比喩でこの呼び名になったと云われています。

原産地は中国の南部ですが今では東南アジアからオーストラリアにかけて広く分布しています。樹高は7~8mの落葉樹でお寺の他公園や街路樹として植えられており小学校の校庭などにも見かけます。多いのは紅色ですが白色や濃いピンクも見かけますね。花をよく見ると、ふちが縮れた小さな花がまとまって穂のように踊っているように咲いていますよ。

花言葉としては雄弁、愛嬌、不用意などいろいろありますが「雄弁」は枝先に花が群がりサルスベリの華やかな咲きっぷりに由来すると云われます。また花をこすると葉や花が揺れ、盛んに話しているように見えることからその名が付いたとも云われています。

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高竿灯籠(たかんとう)


今年は久し振りに新盆のお詣りに 故郷の友人宅を訪れたところ子供のころ見かけた高竿灯籠が庭先に掲げられていた。みるみる子供の頃に想いは繋がり見上げてみると、しみじみとあの頃の懐かしさが蘇ってきました。

お盆に先祖を迎えるための高竿灯籠はかつては近所の共同作業で作っていたそうですが手間も多くかかり最近では掲げる家も流石に減ってきているようです。7ⅿと2ⅿの竹を十文字に組んだ高竿灯籠に亡くなった人の年の数だけ結び目を作っていくと云う。イボ結びと云うほどけない結び方で、地面に立てた先端を除く3か所の先端にわら縄が結ばれ、ヒバの葉が飾られる。そして横木の先端に灯籠を付け8月1日の夜までに掲げられると云います。

今回友人宅では87個の結び目の付いた高竿灯籠が亡くなった人の眠る墓地に向けて掲げられるとこれを目当てに戻ってこられると云います。死者の霊を迎えるために高々と灯籠を掲げる風習は古く、鎌倉時代の公家であった藤原定家の日記「明月記」には、京都の町で掲げられた記述が残っているそうです。こんな風習もわずかに那須塩原市周辺に残っているようです。

また、ご先祖を迎えるために設ける自宅の盆棚は精霊棚や先祖棚とも呼ばれ、ご先祖さんが帰ってくる13日の朝までには仏壇のまわりに竹で組み上げ、しめ縄、真菰縄、ワカメ、ホウズキ、ナスやキュウリ等で作った精霊馬などを飾りお花を添えるとできあがりです。ご先祖様が帰られる16日には精霊棚を墓地に持って行きお線香を焚いて先祖を送り出せばお盆の行事が終わりになります。

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田子町(たっこ町)の ニンニク

最近コロナ禍自粛の暗雲は急激に重くなっておりますがスーパーへの買い出しにも歩くようになり、いろいろな発見があります。 子供の頃体にイイからと、時どきニンニクを食べさせられたことがありましたが、あの臭い匂いにはなじめませんでした。最近では失われた精力拡大のために好んで食卓にあります。

そこで気つ”いたことですが最近ではネットの袋売りの中国産ではありますがニンニクが何と398円とあります。隣の棚の田子町産はひと玉が700円との違いは何なのか、わからないことが多いこの頃ですが、
それはニンニクでも品物が違うという事らしいです家庭の主婦ならすぐわかることですよね! ここで思い出したことがありました。

20年程前に岩手の天台寺に寂聴さんを訪ねたことがありましたが、すぐ近くに「ニンニクの町・田子町」があることを聞き好奇心旺盛な小生はすぐに向かいました。車で僅か15分の処で岩手の県境でニンニクの形をした小さな町で、大きな看板が出ていました確か今思い起こすとその当時はひと玉200円ぐらいの値段が付いていた記憶がありました。

道の駅の近くでニンニクの話を聞きました。昔は農閑期にな
ると男たちは東京に向かって当然のように皆さん出稼ぎに行
った時代がありましたよ。そんな中、村の衆が集まって何と
かこの寒村状態から自立するために頭を寄せ合って何度も何
度も話し合いをしたそうです。冬場の中国・満州のような寒
さに耐えられる物はないかという事で纏まったのが「ニンニ
ク」だったそうです。冬の寒さがニンニクの甘さを引き出し
ます。
 
それから年月を積み、品種改良を重ねた結果が今に至ってい
るそうですで、今や質量ともに日本一のニンニク生産王国
なりました。とかく値段の違いばかりが強調されがちですが
滋養と強壮、健康増進に良く安心して食べられるニンニクは
手元に欠かせないものとなっております。

 令和3年 葉月        八 大