土瓶の取っ手?

土瓶
 「人の名前は土瓶の取っ手」と云っていた人がいましたが本当に旨い事を云いますね。確かに名前を呼ばれるという事は人間にとって心地の良い物です。上司に親しく名前で呼びかけられたら部下は嬉しくなります。名前を覚えて呼びかけると云うのは、自分の味方を作るためにも非常に有効な手段であります。次に会った時に、自然に名前で呼ぶことが出来れば相手との温度差がずっと上げることが出来ますね。そんなことを常々云っていた人は当時週刊朝日の名編集長だった扇谷正造さんでした。

そのフレーズを実践で活用していたのは当時絶大な人気を誇っていた田中角栄総理でした。初めて会う人にも、「やあ~やあ・・小林君元気だね」といきなり言葉を掛けらると、何で俺の事を知っていたのか・・と思うと気分が高揚して嬉しくなるそうです。人の心を掴む手っ取り早い方法は名前で呼ぶことであると云っていたそうである。そんなことが出来た人が「角さん」であった。

急須
その土瓶にお茶を入れるには取っ手を持って蓋を開けることから始まるが、その動作そのものが「名前を呼ぶ」ことであり容易に会話に繫がっていく事になる。誰でも解っていることであるが中々出来ない時もあります。

最近ではコロナ禍による生活スタイルの変化で使い捨てのプラスチックや紙コップが一段と幅を利かせ、外来語の氾濫と相まって最近では「土瓶」という言葉が聞かれず、むしろ懐かしく思えるようになってきた感があります。

土瓶と急須違い                                、持ち手の違いをいうそうです。 土瓶は文字通り土から作られているもので胴体の上部に持ち手がついており、熱を通しにくい素材(竹、籐など)が使われています。 急須は胴体の横に持ち手がついており、胴体と同じ素材で作られております。 

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女郎花(おみなえし)

 ようやく秋らしい気候になって来ましたね。燃え立つような紅い「彼岸花」の側に控えめな黄色い「女郎花」(おみなえし)がどこか儚げでチョット愛らしい姿です。秋の七草の一つとしてお馴染みの花ですが、その花言葉は「約束を守る人」「美人」「はかない恋」と3種類あります。

女郎花の物語の中では愛し合う二人の男女の姿が描かれています。すぐに迎えに来るとの約束をしたまま足遠くなってしまい、それを恨んだ女が身を投げてしまいます。その身を投げた女の塚から女郎花が咲き、それを知った男もその同じ場所で命を絶ちました。「約束を守る人」と云う言葉の重みが感じられる物語です。

「美人」と「はかない恋」は、女郎花の咲いている様子から、細くてすらっと伸びた茎に華麗な小さな花を咲かせるオミナエシと、どこか人恋しそうに寂しげに秋の風に揺られる姿が繊細な女心をくすぐるように感じませんか?

「女郎花」言葉の由来                            今でこそ男女平等をの世の中になっていますが、その昔は男女平等ではありませんでした。男性が優位に立っていた頃、男が食べていたと云われている「男飯(おとこめし)」は白い米だったのに対し、女性が食べていたと云われる「女飯(おんなめし)」は黄色い粟ご飯でした。そのオミナエシの花姿そのものであり、今でもその名前が残って付けられております。

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桔梗の花

 桔梗の花

秋の七草の一つ桔梗は「ききょう」と音読みし別名を「きこう」とも呼んでいた。「更に吉」(さらにきち)という語呂に縁起を担いだと云う説もあります。花の原産国は日本と云われていますが朝鮮、中国にも広く自生しており身近かに愛されておりますね。紫と白の清楚な花を咲かせますが秋彼岸のこの時期、昔は野原でも良く見られましたが万葉集でも朝顔の花として読まれていたそうですよ。

開花直前の花を見ると丸く膨らんだ状態が本当に面白いね。これは開花前に花びらが互いの縁でくっついたまま膨れていくため蕾の時は風船のようにふっくらとして可愛らしく見え何とも言えません。     紫のふっと膨らむ桔梗かな 正岡子規

昔から武士に好まれたようで、家紋として図案化されたり、江戸城を囲む11の門の中に内桜田門がありますが通称を「桔梗門」と云っています。江戸城を造ったと云われる太田道灌の家紋であり明智光秀の使っていた家紋でもあります。

こんな話もあります。 戦国時代に天下統一を果たしたた織田信長が明智光秀の謀反(本能寺の変)によって殺害されましたが、信長の子孫に繫がるフィギヤスケート選手の織田信成さんは、今でも桔梗の花を飾ることはしないそうです。明智光秀一族の家紋である桔梗の花であるからとのこと。

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「人生」って速い!


 「紺珠」の中にこんなメモが

 夢中で駆け抜けた10代

    将来を真剣に考えた20代

       人生の分かれ道だった30代

      信じた道を迷いながら突き進んだ40代

            残り時間を意識して選択した50代

               自分と云うものを確立し始めた60代

                      我れ心の欲するところに従う70代

 どの年代もあっと言う間に過ぎました、行きたい処があるなら早く行っとく事だ。

   逢いたい人がいるなら会っておく、やりたい事があるなら全てやることだ。

     人生は思っているより短く、いつ終わるのかも分からないからだ。

        私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない。


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ジャクソンホール会議

 ジャクソンホール会議 ❓ 

                                                                こんな言葉聞いたことありませんか。先月27日、米国連邦準備理事会FRBパウエル議長のリードによって、世界の金融界のメンバーによる講演会がコロナ禍の為テレワークで行われていました。世界の景気を支える金融政策の市場から主に米国債を買い入れる「量的緩和」規模の縮小について年内開始を前向きに考える見解を示した。一方事実上の0金利政策の解除について慎重で拙速な政策変更を避ける姿勢を明確にした。

米国ワイオミング州にジャクソン渓谷がありますが人口僅か10,000人程の小さな街でありますがフライフィッシングで有名なところであります。近くには有名なイエローンストーン国立公園があり近くの川で盛んに行われていたそうです。FRB会議の期間前後には参加した人たちや一般の人達も大勢がフィッシングに興じて賑わうそうです。

そもそもの始まりは1982年8月避暑地のジャクソン渓谷における米国経済人の小さな勉強会として始まったものが時代とともに国際的にも重要視され夏の一大行事になってきている。それ以来40年、毎年開かれておりメジャーな国際会議になっています。仕事を通じて趣味のフィッシングも楽しめ交遊も図れるなんて・・何とも優雅で羨ましいですね。働きバチの日本人も多いに見習いたいものですね。

ご存知のスイス冬のリゾート地で提唱されて始まったダボス会議もありますが、こちらはFRB議長だったボルカーさんが1971年に提唱したフォーラムで世界の金融界の集まりであります。世界的な国際会議などは楽しいことも出来るような集まりですが日本でのそれとは程遠いことが分かりますね。

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