浄源寺に春がやって来ましたよ~~~
お寺のあちこちで待ちわびた春のお花が咲き誇っていますよ!
裾摺りの櫻 |
見上げる櫻 |
馬酔木 |
クリスマスローズ |
<山本や> |
東京隅田川に架かる言問橋・櫻橋の傍に長命寺桜餅の<山本や>があります。随分昔の話になってしまいますが何とも言えない桜葉の香りが忘れられません。辛党だったのに甘党でも行けるんですかと云われても・・・何でそんなことを言いなさるのか?物によっては両党づかいと云う事もあります。何とも贅沢に桜の葉を三枚も使った桜餅です薄皮に、こし餡と塩味のある葉が合わさり何とも上品で美味しい。
長命寺の桜餅 |
桜餅の由来 江戸時代、長命寺の門番だった新六と云う人が隅田川沿いの桜から落ちる葉を惜しんで、何かに活用できない物かと考えていました。そこで葉っぱを塩漬けお餅を包んで売ったところ、それが人気を得て「桜餅」の発症になったそうですよ。
関西の道明寺 |
令和4年 弥生 八 大
牡丹餅(ぼたもち) |
この風習はインドや中国には存在せず、日本独自の習俗が仏教と結び付いて生まれた考えられています。一説には聖徳太子の頃に始まり、平安時代から江戸時代にかけて習慣化、年中行事化したといわれていますが、起源については定かではありません。
また、彼岸会の期間中に行う「六波羅蜜行」(6つの実践修行)という仏教の修業のことであります。経典ですので言葉が難しそうで、入って行けそうに思えませんが内容は基本的な修行を分かりやすく説明してあります。仏教の基本を示しておりますので下段に示します。
「布施」 人の為に見返りを求めず良いことをしたり施しをする 「持戒」 自ら戒めながら規律を守り規則正しい生活を送る 「忍辱」 如何なる屈辱を耐え忍び寛容な心を持つ 「精進」 怠けの心に打ち勝ち目標に向かって前進する 「禅譲」 心の乱れと動揺を鎮め、静かな心で審理を思惟する 「知恵」 正しい行をする為に仏の正しい知識を身に付ける
6つの修行からなる行の事です。彼岸会の期間中、中日はご先祖様に感謝し、残りの6日間はそれらの修行を一日一つを行う事で、仏の悟りの境地である彼岸に近づくことが出来るとされています。
西国三十三所第17番札所に六波羅蜜寺という真言宗のお寺がありますが、空也上人のお寺があります。そうです口から6体の阿弥陀像が空也上人の小像が吐き出されています。その阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し念仏を唱えるさまを視覚的に表現しております。 6体の小像は針金で繋がっています。
令和4年 弥生 八 大
一汁三菜はもともと室町時代に確立したと云われ、江戸時代に発展した本膳料理の基本となるもので、ご飯に汁物、なます、煮物、焼き物が付きそこに香の物が添えられるのが通常で、ご飯と香の物は数えないことから、一汁三菜となるそうです。かつて和食は一人ひとり独立した膳で食べるのが一般的で、家庭で食べる日々の食事のことを一汁三菜と呼んでいたとされています。
一方、食文化の頂点に立つおもてなし料理は、室町時代に武家社会で確立した「本膳料理」(一の膳、二の膳、三の膳と順番に膳に載せた料理が出される方法は、小さな膳(銘銘膳)に載せる料理の数に限界があるため、膳の数を増やしたと考えられます。江戸時代には「二の膳つき」(二汁五菜)が定着し食べ切れない料理は持ち帰ったそうです。
令和4年 弥生 八 大
「人生は一度きりではない」、一度きりだと思うとどんな生き方をしてもいいけれど「因果応報」と云う言葉があります。死後の世界で肉体は生命体の乗り舟である、人間の死とは生命体と肉体との別離であって生きているうちは生命体が肉体を支配しているが、老朽した肉体からは生命体が離れていく、だからこの世に執着心を残さないように生きることを強調しているように思います。
また「死後の世界には何段かのランクがあるらしく生きている間に人の為に、社会の為に尽くした人は高い位置にあり人を苦しめ社会に悪をまき散らしは人は、暗いじめじめした最下位に永くいることになる。人生が生きているときだけのものであるなら自分さえよければ、の一生も結構であろうが、その反作用は自分の死後の世界と次世代に生まれ変わって出て来た時の人生にも影響することを深く考えて見なければならない。」と書いておられる。
これらの事から、自分の本体は生命体であって肉体ではないこと、この世での肉体は一度きりであっても、生命体は未来永劫に続く、そして周りに幸せを与えて生きることの大切さを説いています。そんな時に「道標」になるのが「政山和三さん」の生き方であります。
1 コツコツと学ぶ (基礎的な学問をしっかりと身に付ける) 2 お金や物に執着しない (私的な目先の欲望を捨てる) 3 自分の事より周りを考える(陰徳を積む) 4 神の声を聴く (インスピレーションを受ける)
今の人生は、今世だけの修業の場であり魂は輪廻します。今だけが良ければという思いは来世に必ず影響します。苦しいときこそ、修業をさせられていると感謝して心得るべし!どのようなことが起きてもすべてに感謝して、人のためになること、役に立つことに目を向けて努力することです。それが今の自分に人間として必要なことと思います。
令和4年 弥生 八 大
ウクライナ紛争に思う
ロシアのプーチン大統領は用意周到に準備した上で、ウクライナのゼレンスキー政権に威嚇を示していたが対応しないと見るや、全世界中が見ている前で冷酷にも軍隊を使って強硬手段に出たのです。2014年にクリミヤの併合に成功したことがあったので今回も簡単に成功することが出来ると思っていたのではないかと思う?。ウクライナ人とロシア人は本来一つの民族で単なる隣国ではなく、歴史・文化・精神世界で切り離せないロシアの一部だと強調していました。
ウクライナには紀元前3万2千年から人が住んでおり、中世には東スラブ民族文化の中心地であり、「キエフ大公国」という強力な国家がウクライナのアイデンティティの基礎を形成していた。しかし、13世紀以降、モンゴル帝国の侵攻により領土が破壊され、オスマン帝国を始め近隣諸国から支配され分割されてきた歴史「モンゴルのくびき」がありました。18世紀には最終的にポーランドとロシア帝国の間で分割され、第2次世界大戦後ウクライナ西部はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に合併され国全体がソビエト連邦の一部になった。その後でソビエト連邦の崩壊に伴い1991年にウクライナは独立を果たしたという事です。
今日のテレビを見とぃると2回目の停戦協議に入るように伝えておりますがどちらも歩み寄りには入っておりません。女性や子供たちはポーランドへ列車や車、徒歩で脱出しているようですが男たちの多くは国に残って立ち向かっているようです。民間人には被害を及ぼさないように対応するとロシア側は言っていますが相手が冷酷な民族ですどこまで通じるのか疑問が残ります。
私達の父親・祖父の世代の先輩たちは大東亜戦争に敗北した結果、悲惨な目に遭いましたが、戦争終了後もシベリアの極寒の地に抑留・強制労働を余儀なくされ日本の地を踏むことが出来なかった人が70,000人がいたことは皆さんご承知の通りです。昔話になりますがロシア人の事を「ロスケ(露助)」と卑下して呼んで嫌っていました。 (シベリアの抑留者575,000人、死者は55,000人 不明者15,000人です。厚労省調べ)
現段階では一般市民の死者が400人規模で出ているようですがこれ以上増えないことを望みます。核爆弾の用意も窺わせているようで地球規模の問題でもあります。世界の警察官と思って頼りにしていたアメリカ国は何処へ行ってしまったのか、これは日本国としても考え直す時に来ているのではないかと思います。一方で同盟国でもないウクライナへの武力支援することになると全面的な戦争になり兼ねないので思案中であると考えます。このロシアの暴挙に対して傍観しているだけではなく一刻も早く国連をはじめ世界各国の皆さんが行動に移してウクライナに支援の手を差し伸べるべき時ではないでしょうか。 ウクライナ頑張れ!
令和4年 弥生 八 大