椰子の実

     「椰子の実」

      名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子やしひと
  故郷ふるさとの岸を離れて なれはそも波に幾月いくつき


  旧もといやしげれる 枝はなお影をやなせる
 
 われもまたなぎさまくら 孤身ひとりみの 浮寝うきねの旅ぞ

 

  実をとりて胸にあつれば あらたなり流離りゅうりうれい
  うみの沈むを見れば たぎ異郷いきょうなみだ

  

  思いやる八重やえ汐々しおじお いずれの日にかくにに帰らん


椰子の実
この詩は1898年(明治31年)の夏に柳田国男が1ヶ月半ほど愛知県の伊良湖岬に滞在した時恋路が濱に流れ着いた椰子の実の話を「海上の道」という本に載せました。風のやや強かった次の朝などに、椰子の実の流れ寄っていたのを三度まで見たことがある。どの辺りの沖の小島から海に浮かんだものかは今でもわからぬが、ともかくも遥かな波路を越えて・・こんな浜辺まで渡ってきていることが私には大きな驚きであった」と。

東京に戻って島崎藤村にこの話をしたことで「椰子の実」の詩が生まれたそうです。作者が「何千キロも離れた遠い島に思いを寄せ此処に辿り着くまでにいったいどれくらいの歳月がかかったのだろう・・・」と詠うこの詩を聞くと、自然に望郷の念が湧き上がって来てしまいますが不思議な気がしますよね。

椰子の実一つ

1936年(昭和11年)に日本放送協会(NHK)日本放送協会大阪中央放送局で放送中であった「国民歌謡」の担当者が作曲家の「大中寅二」宅を訪問して、この詩に曲を付けるよう依頼され7月9日に曲が完成したもの。東海林太郎の歌唱で一週間放送されると職場や学校でも歌われ、12月にはレコードが発売されると広く愛唱されていった。

愛知県、渥美半島の観光案内所では1988年(昭和63年)から毎年、「椰子の実」の再現を目指し、「遠き島」に見立てた石垣島沖で標識を付けた「椰子の実」を投流するイベントを開催しているそうです。投流された椰子の実が鹿児島県以北で拾われた場合には、発見者と投入者を伊良湖岬へ招いて対面式が行われており、2020年までに3個が伊良湖岬がある田原市に漂着しているが、恋路ケ浜へはまだ漂着したことがないそうです。

NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』は、2022年に本土復帰50年を迎える沖縄が舞台です。沖縄料理に夢をかけるヒロインで、四兄妹の次女の上白石萌歌が演じる比嘉歌子が「椰子の実」を歌唱していますネ。このような昔懐かしい叙情歌はいつ聞いても懐かしさが込み上げてきますね。この処コロナ禍によって帰郷が叶わなかった人たちも多くいたと思いますが今年のお盆には安心して懐かしい故郷に集まれるといいですね。

 令和4年 水無月          八 大




道草について

道草を食うとは                                    「馬が道端で草を食べていることで、歩みが遅くなる こと。転じて目的地に行く途中で他の事に時間を費やしてしまう事を云います。」

道草を食う
子供の頃「道草をしないで帰って来なさい」と母親にたびたび云われたことがありましたが、そんなに真面目じゃなかったので学校帰りに友達と途中あちこちに寄り道しながら暗くなるのを忘れて遊んだことを思い出す。「道草ってどんな草」っていう事を云いだす子供でした。よほど何かなければ真っすぐに家へ帰ったことはなかった。 でも今になって振り返ってみると、道草を食う習慣が自分の人生を豊かにしてくれたようにも思えます。

暫らくぶりに各駅停車に乗ると、停車する駅名も車窓の景色の移り変わりも思いのほか新鮮に感じられた。ただ躓きもなく順調に近道ばかりを歩いて一生を終えてしまう人がいるとしたら勿体ない話です。大切なものを見落としてしまっているかもしれませんよね。人生の寄り道や回り道によって今迄に気付けなかった、風の匂いや季節の変化に感動を覚えることによって、細やかな配慮の出来る人へと創られていくのではないかと思います。

「究極の道草は旅である」                            若い頃には興味を持ったことに理屈抜きで取り組んで来たがそれは「人生の種まきの時期」でもあった。これからの時間は自分の人生を豊かにするために使うもので、敢えて道草を食うということは人生に彩りが添えられる大きな財産である。最近は道草という言葉そのものを使う機会が減っているけれど、何故だろうか? 道端に草が生えていないのではなく、草を喰いに行く気概が減っているのではないかと思える。

 令和4年 水無月         八 大
















茗荷(ミョウガ)

茗荷
 梅雨のこの時期、青々とした茗荷の茎が伸びてその根元にふっくらとした茗荷が芽を出し私を迎えてくれました。そろそろ私の出番です・・と云いながら可愛らしい新芽をトンガラセテお目見えです。茄と胡瓜と茗荷の浅漬けは最近では年齢のせいもあり、食が細くなったにもかかわらず茗荷の歯触りと食感は別腹でありついつい食が進んでしまいますね。

茗荷は収穫時により「夏みょうが」や「秋みょうが」などと云われていましたが現在では栽培方法の改良によって通年で出回っていますね。そうめんや冷奴、蕎麦などの薬味としても利用されており、昔も今も夏バテ対策にはもってこいのアイテムです。

収穫された茗荷
茗荷にはビタミンCやカリウム、食物繊維などが多く含まれているそうです。また熱を冷ます解毒作用があるなどの効果があり夏の食卓には欠かせない存在です。かつては「物忘れがひどくなる」という俗説もありましたが、むしろその香味で集中力が増す働きがあるそうで根拠のない言いがかりだったようです。

話は変わりますが、東京都文京区の小石川には「茗荷谷」という地名が残っております。これは江戸時代に牛込早稲田あたりから小石川にかけてミョウガの栽培が盛んだったらしく、その谷間(畑)を見下ろしたことに由来したと云われています。

 令和4年 水無月        八 大





ブロッコリーの話

青虫に食わられたブロッコリー

 我が家はこの時期ブロッコリーを狙うアオムシの駆除から始まります。5株しかないブロッコリーですが朝起きていきなり葉っぱに近づくと毎日食べられていて、その穴は数えきれないくらいです。丁寧に割り箸を使って一つ一つ駆除していきますが毎朝その数は40匹をこえます。アオムシブロッコリーをはじめキャベツ、小松菜、カブなどアブラナ科の野菜の大敵です。犯人は モンシロチョウの幼虫で卵は葉の裏に点在して産み付けられるようで、葉の裏から穴をあけて食べられるようです。このまま育つかどうかこの先が心配です。

ロッコリーはビタミンやミネラルが豊富に含まれているのに低カロリーで特にカリウムや鉄分・ビタミンCが多く含まれており筋力を付けるためには最高の食材と云われております。ボディビル大会に出るようなマッチョから、ほどよく筋肉がついた細マッチョ、最近ではメリハリのついたボディラインを維持する筋トレ女子までが食されているそうです。

ブロッコリーの歴史は古く原産地はヨーロッパの地中海沿岸だと言われていて、ローマ帝国時代にイタリアを中心に栽培されていたそうです。中世にかけてヨーロッパ全体に広がり、移民などをきっかけに19世紀の後半にアメリカへと広がっていきました。日本での普及し始めたのは明治の始め頃に伝わったそうで、つい最近の野菜であるとも云えますね。もともと野生のキャベツを品種改良して生まれたものらしく、これをさらに改良して出来たものがカリフラワーだそうです。

料理の先生に聞くと、 ふだん食べているのは花蕾といわれる部分ですが、茎もやわらかく栄養もたっぷりです捨てるところはないと。お湯で茹でるより、電子レンジで調理する方が栄養素がたっぷり摂れるのでおすすめだそうですが、茹でる場合に比べると、水に流れ出やすいカリウムやビタミンCなどの栄養素の損失を防げます。含まれる栄養素の多さからブロッコリーは「野菜の王様」と呼ばれているそうです。


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秘すれば花 とは

 能楽の大成者で室町時代に「世阿弥」という人が居りましたが能の理論をまとめた「風姿花伝」と云うものがあります。今から700年以上前に書かれた本ですが最近ビジネス書として改めて注目されているそうです。  その中に「秘すれば花」という言葉がありますが時代を超えて受け継がれた芸の神髄について書かれています。

芸とは人々に感動を与えるもので思いもよらない感動を与えられたとき、それを「花」と云うそうです。花は演技の中でさり気なく見せられるもので、それを軽々しく人に話してしまってはどんなに素晴らしい演技や演出であったとしても花ではなくなります。役者にとって「花」とは観客に感動を与えるキモであり自分だけの物として大切に持っていて、なくてはならない物であります。

今の言葉に置き換えると花とはサプライズのようなもので、相手に心の準備をさせることなく不意打ちを食らったような感動は何倍も膨らみ余韻を伴うもので観客に感動を与えるものです。そのこころが「秘すれば花」ですね。

よく似た言葉に「言わぬが花」という言葉もありますが「言わぬが花」ははっきりと云わない方が値打ちや味わいがあるという事になります。「秘すれば花」は云わないどころか、秘密がある事さえ隠しておきなさいという教えですから、より秘密度が高いと言えます。

「言わぬが花」は自分からペラペラしゃべることで、自分の価値を下げることにもなり兼ねないことになります。余計なことは一言も言わないようにと云う戒めの意味合いもありますね。お互いすべてを見せてしまわないで秘密の部分を持っておく方がその重みを感じさせます。そういう事では何か恋愛にも通じるものがありますね。

 令和4年 水無月         八 大



行為の意味

  「思いやりを行動に」  

  あなたの心はどんな形ですかと
   人に聞かれても答えようがない
  自分にも 他人にも心は見えない
   けれどほんとうに見えないのであろうか

  確かに心はだれにも見えないけれど
   心づかいは見えるのだ
  それは 人に対する積極的な行為だから

  同じように胸の中の思いは見えないけれど     
   思いやりは見えるのだ
                                   それは 人に対する積極的な行為なのだから                                                  

  あたたかい心が あたたかい行為になり
   やさしい思いが やさしい行為になるとき
  「心」も「思い」も、初めて美しく生きる
  それは 人が人として生きることだ
  

  [

[私達の道徳 小学校5・6年]              

羽生市の出身で詩人の宮沢章二さんと云う方がおられました。埼玉県の内外で小・中・高等学校、300校以上の校歌の作詞をされたことで知られております。

宮沢さん作品の一つに「行為の意味」という詩があります。「行為」とは、「行動・行い」のことです。「あなたのこころはどんな形ですか」という問いで始まるいこの詩は「思いやりを行動に移すことの大切さ」を伝えています。

今から11年前に起こった東日本大震災の直後、未曽有の災害による大きな衝撃が日本を覆う中、テレビから発信されたこの詩が復興へ向かう日本の背中を押してくれました。その時に使われた「行為の意味」という詩の一節です。                     「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけれど思いやりは見える」

この部分はいろいろな場面で使われていましたが世界中が10年以上たった今、コロナ禍と云う大きな困難に遭っています。人と人との接触が制限され、コミニュケーションの取り方もこれまでと変わってしまいました。そんな時ですが「何か自分にできることはないか」「誰かのために役に立つことはないか」と行動してみることが大切だと思います。

 令和4年 水無月         八 大