黒石寺の蘇民祭

如月の頃
千年以上の歴史がある伝統行事、岩手県奥州市の奇祭、黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)が17日夜に開かれた。御利益があるとされる「蘇民袋」を上半身裸で下帯姿の男衆が奪い合うことで知られています。関係者の高齢化や担い手不足を理由に今年で最後となるそうです。 

2008年にこんなことがありました。奥州市が蘇民祭の観光ポスターを駅構内などで貼り出してほしいとJR東日本に依頼したところ、「裸の姿が不快感を与える恐れがある」と断られ全国的に注目を集めた。

 蘇民祭は五穀 豊穣 などを願い、護符が入った麻袋(蘇民袋)を下帯姿の男衆が奪い合うクライマックスの蘇民袋争奪戦で知られている。今年の争奪戦はコロナ禍を経て4年ぶりに行われた。午後10時過ぎから約1時間、200人以上の男衆らが勇ましい掛け声を上げながら押し合い争奪戦を繰り広げると、境内は湯気が立ち上るほどの熱気に包まれていた。


10年程前に黒石寺を訪れたことがありました。門前の入り口にこじんまりとした池があり階段を上がってお参りをして境内を一巡り、そこに草むしりをしていた女性現る。何気ない立ち話から寺の庵主さんであることが分った、人口減少が進み檀家さんの都会への流出、今年はお葬式が3件しかなく寺の維持にも困惑しているとのこと、そして都市への人口流出・・・など。

お喋りが2時間以上続きましたが問題は檀家離れだそうです。今すでに結果が表れてきて延々と先祖から引き継いで来た檀家さんが離れて都会に新しくお墓を建てていく家族が多くなっている。現在、将来を含めて悩むことが多いそうです。昨年のお葬式は僅かの3軒だったそうです。どうしたら良いでしょうと云われ困ったことを思い起こしました。

如 月             八 大


立春大吉

「 立春大吉」と云うお札を見たことはあると思いますが立春と云う、季節の変わりめには邪鬼が発生すると考えられていました。古くからこの時期は万物変化が激しく不吉で、邪気が発生すると云われていました。この事から節分で豆をまいて邪気が発生すると考えられていた。


立春大吉と云う文字は左右対称で縦書きにすると表からも裏からも同じように見えます。一度くぐったものの、まだ入ってない家があると勘違いしてそのまま門をくぐって鬼は外に出て行くという。こうして、立春大吉は邪気を追い払う縁起の良い言葉として門に貼るお札になっています。

お正月のしめ飾りに東北地方では「蘇民将来」という言葉を書いていることで除災招福になると言い伝えられているものもありますが、このような説話から今でも生活に深く根差した文化が見られています。

万が一、悪い鬼が家に入ってきても、外から見えていた立春大吉と同じ文字が読めて、「まだ家の外だったのか」と勘違いして外に出て行ってしまうという言い伝えから、「立春大吉」の文字が厄除けとして使われるようになったと言われます。

節分とは季節の分かれ目・区切りを示す日。もともと「立春・立夏・立秋・立冬」の前日」が節分の日でしたが、今では立春の前日が『節分』として残っています。

節分の日付が変わるのには、この「立春」が関係しています。そもそも立春とは、日本で春の季節が始まるとされる日。現在では、太陽の位置によって決められ、「太陽黄経が315度の時刻が立春」と、国立天文台で定義されているそうだす。

地球が太陽を1周する時間は、1年(365日)とぴったり同じではありません。
そのため、今年2021年には、「立春」の時刻が2月4日に入りきらず2月3日になったため、立春の前日である「節分」も2月2日に移動したと云います。


 如 月           八 大   

                   
















如月(きさらぎ)

春はそこまで来てます
 毎年、新しいカレンダーが出回るころ年中行事の一つと称して「冬籠り」です。 この時期仲間と連れ立って岩手八幡平に合宿です、年中行事の一つとなり十年以上が続いており楽しみの一つとなっていました。そんな折でしたが人間引き際も大切だということで、一昨年に愛用のスキー道具を地元の友達に引き継ぐ。大雪の舞うゲレンデに別れを告げ一区切り。パウダースノーのゲレンデに別れを告げたのは一昨年の今日でした。

二月には如月の他に様々な別名.異称があります。 

令月(れいげつ)                            …物事を行うのに良い月で、めでたい月のことをいいます。万葉集の歌にも使われており、新元号「令和」の「令」はこの歌のなかにある令月が由来となっています。 

仲春(ちゅうしゅん)                          …初春と晩春のあいだの季節のことをいいます。それらの総称を「三春」といい初春から順に、仲(中)春、晩春と季節は流れていきます。仲春は2月頃を指します。

梅見月(うめみづき)                          …梅の花が咲く季節のことをいいます。旧暦の2月は現在でいうと2月下旬から4月上旬頃とされていました 

令月、仲春、梅見月・・と二月の別名には冬から春への季節の移ろいを感じ、暖かい日差しを浴びて草木が芽吹いていく、そんな表現が多く感じ取れますね。また、心機一転、気持ちを切り替えて「立春」という言葉があるように二月は一年の始まりとされいます、心機一転、気持ちを切り替えて新しい何かを初めて見るのも良いことですね。

古利根川の流れはこの処、澱みの状態が続いておりますが、春の一大イベントである「古利根川の大掃除」が今年もやってきます。地域の住民が御礼の意を込めて一年間の大掃除、雑草や空き缶等の不要物の回収も行われます。その後、水・草・花・鳥が一斉に舞踊り古利根川に本来の春の息吹が運ばれてきます

如 月            八 大                                  















 








中尊寺金色堂

金色堂内部
 現在、国立博物館で「中尊寺金色堂」の展覧会が開かれているので早速、会場へ顔を出しました。本展は上棟された天治元年(1124年)の建立で、中尊寺金色堂900年を記念して開催する特別展だそうです。堂内中央の須弥壇に安置された国宝の仏像11体が一堂にそろう他、嘗て金色堂を荘厳にしていた国宝、金銅の迦陵頻伽文(がりょうびんがもん)華鬘(けまん)をはじめとする工芸品の数々で世界遺産に登録される平泉の文化遺産です。

平安時代、奥州藤原氏の初代藤原清衡によって創建された平泉の国宝である中尊寺金色堂。 中尊寺金色堂は天治元年(1124)藤原清衡(1056〜1128)によって建立された東北地方現存最古の建造物だ。建物の内外は金色で飾られ、螺鈿蒔絵の漆工技法を駆使した装飾が施された絢爛豪華な姿を持つ。本展ではこの金色堂の中央壇の国宝仏像すべてを公開するとともに、金色堂の内部に入り込むような8K映像を巨大なスクリーンで上映する。ほぼすべてが国宝または重要文化財となる約50点の文化財を展示しています。

金色堂外観模型
 会場入口のスクリーンでは、原寸大の金色堂を超高精細の8KCGで再現した映像を上映。実地ではガラス越しにしか見られない金色堂の内部を仔細に見ることができる。内外を覆う金箔や螺鈿をはじめとする漆工や金工の繊細な造形などから、奥州藤原氏の栄華を感じることができますね。

金色堂の特筆すべきところはその豪華絢爛さだけではなく3つの須弥壇内に奥州藤原氏一族の初代の藤原清衡から、基衡(2代)、秀衡(3代)、のミイラと頼朝に敗れた、泰衡(4代)の首が安置されている墓所でもあります。会場では初代清衡が安置されていた金箔押の木棺や、遺体がつけていた装飾具なども見ることができます。また棟木に天治元年(1124年)の銘があり、この年が建立年とされており当時から金色堂と称されていたと云います。


如 月              八 大