トキメキを感じよう
       (キメキとは 期待や喜んで胸躍る状態の事)

チコちゃんに叱られる

 歳をとると何故一日が早く感じるのか、不思議に思ったことはありませんか。一日の時間は皆な同じなのに、子供の頃は一日中遊んでいても時間が足りなかったのが、この頃では何もしないうちに時間が経ってしまう。何が違うのか?
 今を時めくNHKテレビで人気の5歳児チカちゃんが教えてくれました。
 その答えはトキメキが無くなっているようです。

バカ言ってんじゃねえよ!
 ボ~ッと生きてんじゃねえよ!
 時間とは心が感じている精神的時間と、時計で決められている物理的時間があるらしい。
 人の話が長く感じられるのは時間を気にしている時には何となく長く感じられる。
 その一方で子供の頃は時間の経つのが遅かった、これは誰しも子供の頃の方が身体の代謝が活発だからなので時間が短く感じられる。

 例えば50歳の人間にとって一年の長さは人生の50分の1程ですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。それは5年しか生きていない人間にとっては、1年は長い時間となりますよね。
「現在進行している時間の体感速度」ではなく「過去を触れかえった振り返った時に感じる時間の長さ」の印象です。

 新しいことをたくさん覚える若いうちは時間が長く感じ、経験を積んできて記憶することが少なくなると時間が短くなるという説もあるらしい。

 毎年1年を振り返った際に、充実感や満足感をしっかりと実感できる、そんな生活を送っていれば年齢に関係なく、時間は平等に流れてくれるでしょうね。

                 平成30年7月         八大
   










 玉川上水

羽村取水堰
このところ全国的に猛暑日が続いておりますので、東京の水道について玉川上水のことを調べてみました。
 徳川家康は江戸の城下を作るにあたって水の確保を重視し、天正18年(1590年)大久保藤五郎に小石川を水源として神田方面に通水する「小石川上水」の工事を命じた。
取水口
その後江戸の人口の増加が加速したため承応元年(1652年)江戸幕府は多摩川の水を江戸に引き込むとして羽村に取水堰を計画した。庄右衛門と清右衛門の兄弟が現地調査から工事計画と設計施工を請け負うことに決まった。準備万端を整えると1653年4月に着手し羽村の取水堰から四谷大木戸まで約43㎞の区間をわずか8ヶ月で完成させた事が分かる。
小平付近
羽村の堰から四谷大木戸までの高低差は92ⅿであったから100ⅿ当たり僅か21㎝の落差を自然流加方式で到達させると云うもので当時の流技術水準の高さを示すもので当時としては画期的な大工事であった。
 現在でも玉川上水として拝島・小平・小川橋・桜橋・小金井・三鷹・井の頭公園の近くを通ったところに当時の様子を伺うことが出来ます。
 その後、水門を作り虎ノ門まで地下に水路を延長し、江戸城を始めとして四谷、赤坂、京橋方面に給水管を延長していった。
工事に尽力した兄弟には褒賞として玉川の姓を名乗らせたという。その後昭和33年には、ゆかりの玉川の地に銅像が建てられている。


井の頭水源
全体の説明会書
四ッ谷大木戸の碑














 平成30年7月         八大













水神信仰 全国各地に

七月上旬から降り続いた西日本大水害は平成に入って以来の大災害となったことは、改めて水による災害の恐ろしさを思い知らされました。アマゾン河のポロロッカで知られているような、河の本流から支流に向かって逆流していく様は日本では考えられなかった異常現象でありました。

古来日本人の自然崇拝の考え方は太陽神をはじめとして風、火、水・・の神様に対しての畏敬の念が表れていたものがありますが、特に身近な信仰としての水神様は人間が生きていくうえで最も大切な事であったと思います。

兵頭神社の水龍頭
以前、水道の蛇口はなぜ蛇の口と書くのかということを調べていると全国各地に龍神或は水神伝説が残っていました。それぞれの水源から集められた水は水道管を通して各家庭の端末の蛇口に届けられます。現在では当然のように思われていますが、各部落毎に水路の掃除や水争いなどもあり大変な時代がありました。末端の口を蛇口と云うようにそこには龍神さんが居ていつも綺麗にしておくものだと親から言われたものでした神社やお寺などでは蛇ではなく龍の口から水が出るようになっているところも多くありますが、中国では水龍頭というそうです。

どうして「蛇口」と云う言葉がつけられたのか?また「蛇口をひねる」ではなく「蛇口のハンドルをひねる」が正しいのでは?蛇口とは・・水道管の先端に取り付け、水の量の調節や開閉するための金属製の道具であり、明治20年頃の横浜で、近代水道が給水を開始したのが始まりだそうです。道路の脇に設けられた共用栓から水を出す英国式は、ヨーロッパで水の守護神が「ライオン」だったため水道の口に取り付けられていたようです。日本で共用栓を作るようになるが日本や中国では水の守護神と言えば「龍」であり空想上の生き物で、その元になったのは「へび」である。それを「蛇体鉄柱式共用栓」と呼んだそうです。時代は流れ共用栓が専用栓へと変わりその後、蛇体鉄柱式共用栓の先端部分を子供(龍の子)という意味で「蛇口」と云った。その蛇口は守護神として侵してはいけない領域で人が生きていくために守るべき大切なものであるといった意味がのせられていたようです。そういえば神社の手水は龍の口から水が出ています。あれが大元と考えられるわけですね。そんなわけでヘビのようだから蛇口と云う言葉ではなく水をひねり出す道具全般に使われるようになりました。忘れてはいけないのは、毎日守護神様のおかげで有り難く水が頂戴できるという感謝の気持ちを持つことですね。              

ここで一言  蛇足と云う言葉について 昔、中国の楚()の国で、蛇の絵を早く描く競争をした時、最初に描き上げた者がつい余裕に任せて足まで描いてしまい龍になってしまい負けとなってしまった。付け加える必要のないものを足したことで「蛇足」、無用の長物と云われる。 

                      平成307月        八大 































春日部駅現状に一言

この頃東武スカイツリーラインの電車が見違えるほど垢抜けしてきたと感じませんか? 「けごん号」や「きぬ号」だけでなく一般の通勤電車も型式やカラーや車内の雰囲気も以前とは比べ物にならないくらいスマートになったことを感じます。私達が利用している電車が気分よく爽快でいられる事はありがたいことです。

一方北越谷から北千住までの高架化については十年以上前に完成しておりますがその先の春日部駅の高架化については全く進展がないようでしたが、ようやく先ごろ駅の高架化についての説明会があったようです。今のところ平成三十一年度中の着工を目指すような記事が書かれておりました。

一歩前進ではありますがそこからの工事期間がなんと十年以上かかる計画ですが、春日部駅の完成は、遠い先の話になっていまいます。そのうえ駅の東西通路が開通できていない状態が長く続くことは駅の利便性を考えると大きな問題でありますが 何とか半分の五年ぐらいで実現 できないものか当局に再考を戴きたいと思っています。

また駅東口側商店街の空洞化の現状も問題です、市の人口も数年前から二十四万人を大きく割り込んで元気のない春日部市になっており衰退の一途をたどっております。

こういう問題はただ傍観しているだけではなく、少しでも多くの仲間に声を掛け合って行動に移すことが急務です。今年の始めごろ日工大の学生グループが春日部の旧街道筋の街並みを保存していくことでインスタバ絵に繋げる計画を始めている話を聞きました。意気込みのある人の中から始められればいいなと思っており、若い人たちに交じって私で出来ることがないのか思案中です。


「春日部駅の鉄道高架化の一刻も早い実現を」!

                       平成30年7月        八大

追伸です

先日羽田空港へのアクセスについての話あり
来年度から十年間で羽田~東京間に新幹線を開通させるとの新聞発表がありました。



新線計画



JR東日本が計画している羽田空港アクセス線は、羽田空港から東京貨物ターミナル駅まで新線を建設、そこから休止中の東海道貨物線(大汐線)を活用して田町駅付近で東海道本線と合流、上野東京ラインを介して宇都宮線高崎線常磐線方面に直通する「東山手ルート」、大井町駅付近で東京臨海高速鉄道りんかい線と合流、新宿駅方面に向かう「西山手ルート」、東京テレポート駅でりんかい線と合流、新木場駅京葉線方面に向かう「臨海部ルート」の計3ルートを建設するとしている









「リハビリの散歩道」

 私は生涯で初めての大病を経験してリハビリを受ける身となりました。
リハビリとは機能回復訓練と訳されますが、人間らしく生きる権利の回復のために、理学療法士「PT」作業療法士「OT」言語聴覚士「ST」の専門分野に分かれているそうです。ここでの様子の一部をお話しします。

PT」のリハビリはT先生との組み合わせが多く、私の様子を伺いながらいつも半歩遅れて歩みを観察して頂いていました。私はマイペースながらの速足でご迷惑をかけてしまったなと自戒しております。
病院の玄関を出る時に今日の道順と信号待ちや、車への注意がありますが一番距離の長いSコースを歩くのが常です。

玄関を出て右に曲がって工事中の看板を横目に見て家並みを過ぎると畑に出ます。市民農園のように区切られている様ですが、いろいろな種類の野菜が植え付けられている。ホウレンソウや茄子やジャガイモの他、紫陽花や菖蒲やマリーゴールドの花が賑やかに配置されており持ち主の思いが込められているようで楽しい。
眺めながら右に折れてラーメン屋を過ぎると称名寺の山門前で(南無阿弥陀仏)と一礼して塀沿いに歩くと、信号待ちの車が並んでいて注意して通らないと危ないところがある。私が歩くルートで最も注意が必要なところです。
その先には農家の庭先に手入れが行き届いてまだ青いミニトマトがびっしりと実を付けており、隣の列にはサヤエンドウが髭を伸ばして陽を浴びている。

まもなく行くと飛び超えられそうな幅の用水路がありそこを過ぎると花菖蒲が水面に映って水郷気分を味わえます。その水面に動く影あり、じっと見つめているとそれは握りこぶし程の亀が浮かんでいる。最近は何処にでも顔を出していて見向きもされなくなったあの外来種のアカウミガメである。
用水路が100Mぐらい続きますがそこからは一級河川になりますが、この辺りは川幅が広く緩やかな流れは大河の風格があり私が一番のおすすめの場所でもあります。川岸に近づきしゃがみ込んで見ると葦原の陰に2~3人の釣り人の姿があり太公望の雰囲気を味わっているかのようです。
歩を進めると大勢の幼稚園児たちが教室に向かうのでしょう、弾んだ声がバスの中よりあふれ出ています。久し振りに聞く元気で可愛い子供たちの声天使のささやきの様に聞こえて私が励まされている思いでした。

この2ヵ月間という長いようで短い間ではありましたが、新緑の芽吹き・農家の春作業の光景・幼稚園児からの声に励まされ心癒された時間でしたが、何とか修了することが出来ました。「リハビリの散歩道」Sコース40分間は楽しい思い出として過ごすことが出来ました。感謝・感謝・感謝です!


           平成306月       八 大