一生懸命と中今

 一生懸命
 誰でも使う言葉に一生懸命という言葉がありますが、一生とは産まれてから死ぬまでの間のことで、終生とか生涯ということであるので人間が一心に生きることを指しますが、元来は一所懸命ということであり、一つの所又は一つになることであります。そしてその一つの事柄に対して命がけで取り組むことであり、一心に目標の為に頑張ることであります。人は人生の目標に向かって一つ一つのハードルをを乗り越える。その一つ一つが一生懸命に繋がるのだと思います。

 中今
 江戸中期の書物「葉隠」に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があります。それは死ぬまで頑張れということではなく「死を想え」そして「今を生きろ」たった一度しかない人生後悔するのではなく、失敗や負けることを恐れず苦難や挫折を受け入れるという前向きな発想のことであります。

神道の教えの中に、今に集中して今に生きることで自ずと道が開けるとあります。私たちは中今(なかいま)に生きているとも云います。「中今」とは今この一瞬ということであります。広辞苑には過去と未来の真ん中の今とあります。遠い無限の過去から遠い未来に至る間としての現在とあります。

 と云うことは過去があって現在があり、現在が又未来を築くのであります。その真っ只中が今なのです。であるならば、この一瞬をしっかり捉えて自分に忠実にとらえて生きたいものです。その一瞬一瞬が後先をを考え単なる今ではなく「中今」となるのです。

 人生には迷いもあるし、ためらいもあります。しかし迷っているうちに、ためらっているうちにも時は過ぎて行くのであります。いったん決めたらそれに従ってその目的を達成させるために一所懸命その「中今」を無駄にしないことです。その努力がやがて自信につながり、目標達成につながるのだと思います。

  令和元年  10月            八 大












ベンケイソウ

 先日、園芸市場に出掛けた際何となくほっこりとした肉厚の葉で頬紅を付けたような、ベンケイソウに出会った。そう云えば案外身近なところでこの多肉植物は見かけていましたが改めて見つめているとほっこり感がありますね。

サボテンもその種類の一つですが多肉質の葉および茎を持ち水分を多く貯蔵できるそうで、あまり手のかからない植物なので、その分布は世界中に広がっているそうです。

 常緑の多年草でカネノナルキ(金のなる木)のように茎が木質化しているものもある。カランコエやヒダカミセバヤなどもこ
の科に属します。古利根川沿いの所どころ
にイワベンケイやホソバイベンケイが青々
と育っているところもあります。

 花言葉は「穏やかな」「信じて従う」「機転が利く」という意味で随分おしとやかで賢そうな名前になっているので探ってみると、その由来が面白いよ。

 武蔵坊弁慶の逸話から出来ている。
弁慶と云えば義経の家来ですが勧進帳でお馴染みの安宅関の場面で、弁慶一行が山伏姿で通り抜けようとするが関守から山伏は通行まかりならぬと厳命される。
 けれどもとっさの判断で機転を利かせ、たまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、淀みなく朗々と読み上げて疑いを晴らそうとするシーンがあります。このことから弁慶は機転が利くという花言葉を戴いたと言われる。
 一度歌舞伎座でその勧進帳を見られると粗筋だけでなく芸の細かさや主従関係が理解できるので楽しいことこの上なしです。


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 寒 露 (秋の虫と秋鯖)


寒露,二十四節気,暦
寒露とは字のごとく、朝露も冷え始めることから寒露と云います。
 この時期中国では陽精の雀が秋めいて涼しくなり、陰気になってゆく海に入って蛤(陰精)になり、菊の花は黄色く咲き誇る時期と云われ秋の陰気さが深みを増していく中で、自然が静かな美しさを醸すと云われています。(二十四節気の17節)

 コオロギ(蟋蟀)かキリギリス(螽斯)か、このところ虫の音がか細くなってきましたが我が家のスズムシ(鈴虫)もようやくおとなしくなってきております。虫かごを覗くと現在三匹が声を失ってヨロヨロと動きも緩慢になって時の来るのを待っているようです。
 キリギリスは別名を機織り虫と呼ばれますがその由来は鳴く声がギーッチョン・ギーッチョンと機織りのように聞こえるからとのこと。秋の夜長に家の草むらに近づいてきて明るさや暖かさに惹かれたからなのか軒下にこっそりと忍び込んでくる姿は何と微笑ましくさえ思えます。

 今が旬の「鯖」の人気は衰えを知らないそうで、先日の消費税率の引き上げ間地かの店先ではスーパーの籠一杯いに買い込んだ缶詰を重そうに買い込んでいるお年寄りがいた。みそ煮・塩焼き・お刺身・・と脂の載ったこの時期の鯖は味わい深いもがありますね。国産のマサバは貴重でお店に並ぶのはその多くがタイセイヨウ鯖だそうです。
 青魚の王様と呼ばれるほどで脂の載りは栄養豊富、鯖の脂は血液の流れをサラサラにしてくれる効果があるとのことで人気があるそうです。けれども足が速い(傷みやすい)ので、青光している新鮮なものを選ぶことが大切だといわれました。

 令和元年   10月      八 大 










 
 人生の四分法

 最近の厚労省の調査によると日本人の平均寿命は男性が81,25歳、女性が87,32歳となっており、やがて人生100年の時代がそこまで来ています。

 世の中ではいろいろな区分法があると思いますが、四分法の区切りでいきますと方角の東西南北・季節の春夏秋冬・物事の進み具合の起承転結などなど沢山あります。古代インドでは四住期という考え方もあり例えば人生百年と考えると、生まれてからの25年間を学生期(がくしょうき)その後の25年間の50歳迄を家住期(かじゅうき)その後の25年間の75歳迄を林住期(りんじゅうき)その先の100年迄を遊行期(ゆぎょうき)となります。

 それぞれの期間でいうと学生期は青少年時代で心身を鍛え学習し体験を積み、家住期は就職し、結婚をし家庭を作り子供を育てる、これまでの人生の成長の期です。林住期は人生の黄金期でもありますがそれまでの若いうちから計画を立て夢を実現させるように心がけておくことが大切であったと今に思っています。今の私は四分法の最終段階の遊行期に入りました。日常生活から解放された今、自由に生き遊びの感覚で精神的に放浪する真の生きがいを探す旅に出ようとしています。

「虹」の画像検索結果 吉田兼好は語る「死は前よりしも来たらず、かねてより後ろに迫れり」と、すなわち背後からポンと背中をたたかれて愕然とするのが人間であるという。遊行期の75歳に入った今、余禄の期間をどう生きるのかが、寿命の延びた私たちが後輩たちに伝えていかねばならないと考えています。

 人間は何のために働いてきたのか、目的が生きるために働いてきたというならばそれは間違いであると言いたい。人間が働くことは手段であり目的はその先にあると思う。林住期を過ぎてもその事に気ずかず黙々と働いている人を見ると、それぞれに言い分はあると思いますが人生のおまけにはしたくないものですね。

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 今年も「おくんち」が始まった

 九州北部では、秋祭を「くんち」と呼びました。いわゆる収穫祭ですが、その内容には地域性や歴史が重なり、それぞれ独自性があります。その中で特に有名な「長崎くんち」「博多おくんち」「唐津くんち」を「三大くんち(九州三大秋祭)」として紹介されています。

長崎くんち(ながさきくんち)


長崎くんちの「龍踊」
名高い「長崎くんち」は、毎年10月の7・8・9日に長崎市の諏訪神社の秋季大祭で行われる。見どころは、各町の奉納踊りには、有名な「龍踊(じゃおどり)」や「鯨の潮吹き」「御朱印船」「阿蘭陀万歳」などがあります。
祭(くんち)の始まりは江戸時代の寛永年間、二人の遊女が諏訪神社に舞を奉納したことと言われています。その後、年々盛んになっていき、さらに長崎という土地柄から、中国や南蛮文化の影響を受けました。

博多おくんち(はかたおくんち)


祭がある「櫛田神社」
「博多おくんち」は、博多で1200年以上の由緒がある櫛田神社の秋の例祭です。かつては収穫を祝う新嘗祭(にいなめさい)でしたが、昭和28年より、名称を変更して新
たに祭礼を行うようになったそうです。     神輿渡御 「櫛田神社」
10月22・23・24日に牛車に引かれた神輿渡御、獅子頭、稚児行列の他五穀豊穣市や相撲大会などが催される他ミス福岡に選ばれた女性がオープンカーに乗ってブラスバンドと共に現れるパレードもあり賑やかで
あります。また新鮮な魚や旬の野
菜なども販売されるそうです。

唐津くんち


巨大な曳き山 
写真提供:佐賀県観光連盟 くんち4_JALAN_160804毎年11月2・3・4日に唐津神社で開催される例祭「唐津くんち」は、掛け声とともに曳山が駆け抜ける勇壮な祭として知られています。その特徴はなんといっても獅子。漆塗りの獅子頭を被って舞う「カブカブ獅子」の奉納や、大きな赤獅子・青獅子を乗せた曳山の巡行で知られています。「唐津くんち」は江戸時代に始まったと考えられていますが、独特の「獅子」は文政年間に、奉納したものが曳山行事の原点と伝えられています。今では14基の曳山があり、「唐津くんち」の曳山行事として国指定重要無形文化財となっています。


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「即位の礼正殿の儀」

皇位継承の重要儀式でこの秋に相次いで行われます。
1022日に195カ国の代表らを招き陛下が内外に即位を宣言する「即位の礼正殿の儀。
1114日夕から翌日未明には、天皇が一代で一度だけ望む大掛かりな神事、大嘗祭が古式ゆかしく行われる。

即位の礼正殿の儀とは、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式で諸外国における戴冠式にあたるものです。

平安絵巻そのままに皇位継承の中心儀式は国の儀式として「即位の礼正殿の儀」として皇居・宮殿の一番高い正殿「松の間」で平安絵巻そのままに繰り広げられる。衣冠束帯の正装で、高御座(たかみくら)に上り即位を宣言しお言葉を述べられる。高御座は天皇の玉座を意味し平安時代の即位式から使われています。また十二単姿の皇后さまは隣の一回り小さな御頂台(みちょうだい)に入られ他の成人皇族方も平安相続姿で勢ぞろいする。

また参加者は招待国が増えたため195か国、内外の代表者は約2500人に上り色とりどりののぼりが建てられ太刀や弓などを持った古式装束の宮内庁職員らが並ぶそうです。
陛下のお言葉に続いて安倍首相のお祝いの寿詞(よごと)を述べた後、万歳の音頭を取り、参列者が万歳を三唱する。

 約30分の儀式の後、両陛下は洋装に着替え、皇居から住まいの赤坂御所まで47㎞をオープンカーに乗り、お披露目のパレードを行う、これも「祝賀御列の儀」に入ります。
       
      高御座 と 御頂台
    
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