青木別邸

 明治の森 青木別邸

明治の元勲として山形有朋や大山巌、松方正義などの名士を知らない人は少ないと思いますが、青木周蔵と云われてもすぐにわからない人がいると思います。9月の中頃千本松牧場をを訪ねた折に近くにあると聞いていて那須塩原市に現存する青木別邸に向かった。

青木周蔵は山口県長門の生まれで医学修行を経てドイツに留学したが日本の近代化には選考を分散することの必要性を説いており、本人は外務省に入省しその後駐独公使となってオーストリア=ハンガリー帝国公使をも兼任した。黒田内閣の大隈重信外相のもとでの外務次官として条約改正交渉の全権委任を受け活躍しており、山形内閣や松方内閣でも外相を務め当時の列強各国に対し対等の合意などに対して奮闘した人物である。

東京から150KMに位置する栃木県の那須野が原は広さ4万ha中央部は土砂や火山岩が厚く堆積し、真ん中を縦断する蛇尾川は水が地下に浸透してしまう地質であった。その為約10㎞にわたり水のない川になっており明治の初めまでは人の住めない不毛の原野でした。当時殖産興業政策を掲げた政府に開拓地として注目され、その実現に向けて華族階級が出資する農場が明治13年から20年にかけて次々と開設されました。

華族農場に始まる開拓事業は明治から昭和にかけて地元の開拓団へ引き継がれ、牧畜の主流も羊から乳牛に代わって行きました。今この地を訪れる人々は四季折々の自然の中に遊び大地の恵みを味わうことが出来ます。そんな中、明治21年に農場の中央にドイツ様式で白亜の青木別邸が出来上がり今でもその美しさを誇っております。彼がこの別荘を訪れるときには黒磯駅から馬車で向かったと云われています。


 令和2年 師走          八 大





クリスマス・ローズ


我が家の小さな庭にも10年ぐらい前からクリスマス・ローズが咲きます。何ともおしとやかな姿で草藪の中に、下を向いて咲くので咲いているのが分からない時もあります。植物学的には、下向きで咲く花を好むハナバチ類の訪花を誘引していると考えられているそうです。ハナバチ類は行動範囲が広く一つの花での採蜜時間が短く効率よく多くの花を訪れて受粉をします。植物にとってはありがたい存在で、このため、花首を長くし下を向くように進化したと思われます。下向きの花をどうしても上向きにしたい方は、
支柱を立てて上向きに育てている人もいます。


「 聖なる花」クリスマスローズは、冬の花が少ない時期に花を咲かせる常緑の植物でクレマチス、アネモネなどと同じキンポウゲ科の植物です。 日本ではクリスマスローズと呼びますが、本来のクリスマスローズはクリスマスの頃に開花する
「ヘレボルス」を指す名前だそうです。 クリスマスローズにはグリーンの葉を低く繁らせた中から茎を長く伸ばす有茎種と、茎の低い無茎種があります。

へレポルスは古い時代からヨーロッパで薬効のある植物として知られていました。こういった効能から花言葉は中世ヨーロッパに騎士たちが戦場に向かうときに、自分を忘れないでほしいという思いを込めて「慰め」「中傷」「私を忘れないで」「私の不安を和らげて」などを恋人に贈ったといわれています。


 令和二年  師走         八 大












 














カマキリ

  師走に入ったこの頃「カマキリ」が庭先から入ってカーテンの裾に引っかかってそのまま動かない。翌日もその形を保っているので楊枝の先でつついてやると果敢にも斧を振り回し絡んでくるのを見ると勇敢そのものである。でもヨクヨク見るとお腹が大きそうなのでお産の場所を探しているかもしれないと推察した。

子供の頃カマキリに喧嘩をさせたことがあるが絡み合ったら放さない、絡み合いが続くがそのままの状態が1時間以上続いたことを思い出す。最後にはどちらかが食べられてしまうことになる話を聞いた。日活ポルノ映画「五月みどりのカマキリ夫人の告白」という映画があり男を食い殺す悪女の象徴としてあったそうですが見る機会はありませんでした。

三日後の夜なんとカーテンの陰で産卵を見ることが出来ました、でも物音が気になったのか普通の大きさの三分の一程度の大きさで何処かへ姿を隠してしまいました。何とも申し訳ない事をしてしまったと後悔をしています。

カマキリ(螳螂)は前脚が鎌状に変化し他の小動物を捕食する肉食性の昆虫で、名前の由来は鎌切とも言われて分かるように「鎌で切る」から鎌切になったとも云われます。カマキリ類では、同じ種類でも体の小さいオスが体の大きいメスに共食いされてしまう場合がある。交尾の際も共食いが行われ、オスはメスに不用意に近づくと、交尾前に食べられてしまうので、オスは慎重にメスに近づいて交尾まで持ち込む。

昨年はラグビー人気がありましたが、五郎丸選手のようなポーズをとる姿が一躍有名になりました。日本では昔からそのカマキリの形を拝み虫(おがみむし)の姿と呼ばれた様です。一週間たった今でも我が家のカマキリさんは居心地がいいのか天井付近にへばり付いており、時には三角目玉をくるりと動かし天下の情勢を伺っているようです。


 令和2年  師走           八 大














花語らず

 花の少ないこの季節、何時ものように古利根川をぶらぶら歩いて思い出したことがありました。随分昔の話になりますが京都南禅寺9代目の柴山全慶管長さんの言葉に「こころ」打たれました。それは「花語らず」という小文でのメモがありました。

『花は黙って咲き 黙って散っていく そうして再び枝に帰らない
    けれども その一時一処に この世のすべてを託している
       一輪の花の声であり 一枝の花の真である
          永遠にほろびぬ生命のよろこびが 悔なくそこに輝いている』    

どうしてそんな事が今頃になって心に浮かんできたのだろうか・・・。それは四行目の言葉一言一句に我が身を重ね合わせて自問自答してみる。それから先の世の中に灯りと生きる喜びを与えてくれるからだろうと私は思う。小さなことのようでも私にとっては大きな収穫でありました。


 令和3年  師走       八 大