納豆の食べ方

納豆は健康食 最近では健康にいいからと毎日のように納豆を食べていますが、その効果については分かりません。けれども考えて見ると何事もない事が健康の証ともいえますよね。納豆に含まれる2つの成分(ナットウキナーゼと食物繊維)が糖尿病の合併症である血栓による脳梗塞や心筋梗塞といった疾患の発症予防に効果的とされています。ナットウキナーゼは納豆のネバネバした部分に含まれる酵素のことで血栓を分解する作用があると云われていますので血栓溶解酵素と云われます。ナットウキナーゼは熱に弱い。

納豆は常温で食べる 美味しい食べ方 を最近勉強しました。納豆は冷蔵庫や冷凍保存ですが食べる前に常温に戻してから良くかき混ぜて醤油をいれ、また良くかき混ぜてを繰り返してから最後にからしを入れるのが一番美味しいのです。

納豆を混ぜる回数 「納豆は混ぜれば混ぜるほど美味しい」というのが常識となりかけていましたが、つい先日、一番美味しく食べるための混ぜる回数が発表されました。それが400回です。50回程度混ぜた物や200回程度混ぜたものに比べて400回混ぜたものは「旨味」が増すことがわかったのです。そこまでわかれば500回、1000回と混ぜていけばどんどん旨味が増していくと思われたのですが、なんと400回で頭打ちになってしまったそうです。つまり、納豆を最もおいしく食べるための混ぜる回数は400回だということが決定付けられたわけです。

北大路魯山人の教え 日本の芸術家(画家、陶芸家、書道家、料理家、美食家)の顔を持つ魯山人は「納豆の拵え方」とは「(1)納豆を器に取り出し、何も加えずよく練る (2)糸がたくさん出て、かき回すのが硬くなるまでよく練る (3)硬く練り上げたら、醤油を加えてさらに練る (4)最後に辛子や薬味を加えてさらに練る」というもの。上記に従い424回混ぜた場合、大豆の濃厚感は109%アップするという調査結果も出ています。

 令和3年 皐月         八 大

魔女の一撃

 久しぶりに「魔女の一撃」に出会いました。もうかれこれ15年ぐらい前に出会いましたが相変わらずその一撃は強烈でした。何のためらいもなく立ち上がろうとしてした瞬間倒れてうずくまり言葉も出ずその間10分ぐらいだと思いましたが、非常に長く感じました。そうです、これがギックリ腰と云うもので突然起こる腰痛の事で正確には急性腰痛症と云う厄介者です。

言葉の由来は魔女に腰を撃たれたように急激な痛みが走ることから、ドイツでは魔女の一撃と呼んでいるそうで、その由来はあまり定かではないが原因不明の腰痛を魔女のせいにしたと云う説。中世のヨーロッパでは罪のない人々を魔女と断罪し迫害を行っていた「魔女狩り」と云う悲しい歴史があるが魔女が害をなす存在とされており、まだ医学が十分に発達していなかった時代は、突然起こるギックリ腰を魔女の仕業にしていたのでしょう。

これについては日頃の予防策としては、年齢を自覚することの他運動不足を補うために急激な動きをいないことが大切であります。荷物などを持つ際に足元の悪いところで無理な姿勢で持たない事、極端に重いものはなるべく持たないようにすることです。また、睡眠不足でなおかつ過労ぎみの時などにも起きやすいのでゴルフをする人については、ドライバーの飛距離を争うようなプレーのしかたは止めることをお勧めしますと・・経験者は語ります。

「失楽園」や「愛の流刑地」等のベストセラー作家として知られる渡辺淳一氏は「愛ふたたび」という小説でギックリ腰の話が縁で主人公の男と女性弁護士との関係が発展し、仲が良くなりその先で二人は恋人になって行く話がありましたがその後はどうなりましたか・・・気になります。

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端午の節句

 男の子の健やかな成長を祈願するもので「菖蒲の節句」とも云われていますがこの菖蒲は揉みつぶしてみると強烈な匂いを放つ菖蒲ですが災厄を祓う日でもあります。子供の頃に菖蒲湯に入って遊んで以来でしたが頭にタオルをのせて気分を味わってみると、その香りによって納得させられます。この風習は奈良時代から続いている歴史のあるものです。

五月五日が端午の節句になったのは古代中国戦国時代の詩人で政治家であった「屈原」の命日でした。楚国の王の側近であった屈原が陰謀に巻き込まれて川に身を投げて死んでしまいます。彼を慕う人たちが魚を太鼓で脅し、ちまきを投げて死体が食べられないように守ったそうです。そのため、ちまきが端午の節句に食されるようになったそうです。

日本に伝来した当初は厄払いの菖蒲の節句色合いが強かったのですが、鎌倉時代になり武家社会になるにつれ現在に見られる男の子の成長を願う日へと変化して行きました。江戸時代以降は男の節句とされ鯉のぼりを設置して鎧を付けた武者人形を飾り、成長と立身出世を願いましたのが現在も続いているのです。


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