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伊藤伝右衛門邸 |
福岡県の中央に位置する筑豊地方の飯塚市を訪れたことがありました。嘗て石炭鉱業ので栄え、日本のエネルギー産業を担って発展し採炭を本格的に始まったのは明治時代に入ってからで近代産業としてのことでした。住友や三菱と云った財閥をはじめ地元のオーナーが進出し筑豊炭田の採炭量はどんどん増えて国内の採炭量は国内シェアーの半分を占めるまでに成長したと云います。発炭坑節祥の地でもあります。飯塚市内には石炭産業の発展に大きく貢献した人物の足跡が残っています。筑豊の御三家の一つに数えられた麻生太郎氏の本家、麻生大浦荘は大正末期の建築と云われ和風入母屋書院造りが美しい邸宅があります。秋の紅葉に時期には特別公開され普段見られない内部が公開され紅葉と共に楽しもことができるそうです。
もう一つ見逃せないのが旧伊藤伝右衛門邸です。貝島、安川、麻生の筑豊御三家に並ぶ炭鉱王の邸宅です。明治13年に妻を失った伝右衛門は翌年、歌人・柳原白蓮と再婚。50歳にして23歳の若き花嫁を迎え入れることになった彼は、日本建築の粋を集めて家を改築しました。欄間に施された精巧な細工、帯地や着物をほどいて混ぜ込んだ布壁や網代天井など、細やかな美の技法が随所に見られます。
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炭坑節発祥の地 |
帰り道で頭に残った疑問があります。炭鉱で栄えた筑豊地方でしたが掘り出された坑道の跡地空間の活用はこれから先どうなるのか? 一部はキノコの栽培とか倉庫等の話はありましたが大部分の廃坑の活用は聞こえてきません。世界中のエネルギ政策も木材から石炭・石油・原子力あるいは太陽光発電の活用へと移って来ているようですが、あの掘り出された空間の地震対応は・・年寄りの冷や水で終われるのか心配が残ります。 皐 月 八 大
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