リラの花咲くころ

 この季節寒かった雪の世界から札幌はライラック祭りが賑やかに行われていて、季節的には一番過ごしやすいころとも云われています。すみれ色の花は清楚な香りを醸し出して道行く人に解放感を感じさせている。
 我が家にも猫の額ほどの庭の片隅に、昨年まで香りを届けてくれた「リラの木」は諸事情があって今年はありません。無くなると寂しいもんですね。
 原産地は遠くバルカン半島やクリミヤ半島とも云われていますがフランス語での読みで「リラ」と呼ばれるそうです。花言葉には「思い出」「友情」「大切な友達」とあり私たちの年代にマッチした言葉で大切にしたいと思います。
 ところで半世紀以上前に私も生意気に口ずさんだ歌に津村謙の歌で「上海帰りのリル」がありましたが。どうしたことかこの「リル」が「リラ」と勘違いしておりました。
 私はその歌の意味を解らずに、リルと云う人がリラの花に重なって歌われていたと思っていましたが、実はそう簡単なものではなかったことが暫くたってから知りました。
 リルという女性は日中戦争前に日本から余儀なくして大陸に渡り、数奇な運命に弄ばれ上海租界内で身を落とした高級娼婦であるそうです。男性は外見は外交官だが密命を受けて陰謀や情報活動、宣伝工作などに暗躍するスパイのようなものでした。最初は欧米関係の情報収集のため、共同租界の白人相手の高級娼館で女性に出逢ったが、女性も久し振りの日本の男に入れ込んでしまった。男性も密命を離れて足繁く通うようになり又女性もますます熱くなって商売を離れて相思相愛となってしまったという<花魁の恋>。同棲生活同様の夢のような関係を続けるうちに男性に本国から帰国命令があり、四馬路の霧の中で別れを告げ先に帰国をし女性はただ立ち尽くすだけだった。以後女性の消息は絶たれたがその後上海から帰って来たという人の噂が耳に入った・・と云うのがこの歌の始まる前の物語だそうです。
「カサブランカ」のハンフリー・ボガードやイングリット・バーグマンの映画を思い起こしますね。 
そしてリルは帰ってきたけれど戦後の荒廃と大陸へ渡った経緯から国内には身寄りもなく、バーやキャバレーや高級クラブのホステスへと水商売の道へ。
<風の噂>にハマのキャバレーに居たというが・・<誰かリルを知らないか>と探し回っているという歌である。女の気持ち<海を見つめていた>リルも遠い海のかなた、上海を追憶し懐かしんでいる姿を映している。<甘い切ない思い出だけを胸に手繰って探して歩く>は男の気持ちです。
<黒いドレスを見た>黒いドレスは喪服に通じる女の気持ちであり<ひとりぼっちできた>何もかも振り捨ててひたすら日本に帰ってきた、彼に会いたい一心でと云う感情が表れていますね。リルも自分を探しており、そのひたむきな感情が何とも言えない。<望み捨てるなリル>と<暗い運命は二人で分けて>も、このひたむきな姿を思うとき私も納得です。
ここで「映画っていいですよね!」が入る。

現在の上海バンドと呼ばれる処の景色は戦前の建物に加えて新たに現代感覚を備えたビルが立ち並びますが全く違和感を感じさせなく堂々としていて国の威信を背負っているようにも思えますが? 中国と云う国の野望が裏で渦巻いていることを思うとき歴史とはこういうものかと何か重いものを感じてしまいます。
               平成29年5月  八大








塩船観音寺のつづじ

 奥多摩の山並みを背にして霞丘陵自然公園の淵に、真言宗醍醐寺派のお寺で地名の塩船を付けて「塩船観音寺」とよばれるお寺があります。塩船とは周囲の地形が小丘に囲まれ船の形に似ており仏が衆生を救おうとする大きな願いの船である「弘誓の船」になぞらえて名付けられたと云われる。
奈良時代の始めに若狭国の八百比丘尼(おびくに)が観音像を安置したと
云われ、平安時代には十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられている。ご本尊は十一面千手観音菩薩像で鎌倉時代の作で現在は秘仏で年に一度ご開帳があるそうです。
 この時期花の寺と云うより「つづじの寺」として有名で船形の地形に開いた花は見事で、写真を見れば説明はいりません。


弘誓の船とは
衆生救済の誓いによって仏・菩薩 (ぼさつ) が悟りの彼岸に導くことを、船が人を乗せて海を渡すのにたとえた語。誓いの船。

      平成29年5月  八大









 








ハンカチの花ふぶき

 幸せの黄色いハンカチという映画のラストシーンは監獄から出てきた高倉健さんが自分の家に黄色いハンカチがハタメイテいるのを見つめて、何とも言えない迫真の演技をしていたことを今でも心に残っていましたがそんな光景に出会いました。

 先日、東京西部の羽村市を流れる多摩川沿いを歩いた時に土手を降りて自動販売機を探していると何か空からヒラヒラト舞い降りてくるものが目に入った。何枚も何枚も私の目の前に不思議な事ってあるもんですね。道路を見るとそれはテッシュペーパーのようにも見えましたがよく見ると朴木の花より薄くふわふわと舞い降りるような感じでした。
 もしかするとこれがハンカチの木の花が散る様子かも知れない・・?話には聞いておりましたがこんなところでハンカチの花吹雪が見られるとは思いもよらないこと。
 通りかかった人にハンカチを手にしてもらいシャッターを押しました。犬も歩けば棒にあたる、幸せな気分を頂きました。           平成29年5月  八大







ネモヒラ 国営ひたち海浜公園


 今年もこの時期にネモヒラの丘が見られるということで、早めに行ったつもりでしたが9時には駐車場は超満車状態、手ごろな家族散策の場所として人気があるのですね。
 ネモフィラは、カナダからアメリカ、メキシコの西部にかけて分布しているそうでルリカラクサ(瑠璃唐草)とも呼ばれている。花径2㎝くらいで、よく見ると白に空色の深い覆輪で、花弁は5裂して中心部に黒い点が5つある。ここでは丘一面に咲いているが自然の中では茎が横に広がり、茂みの中の明るい日だまりに自生しているそうです。
 近くの土手や畑の畦道などに見られる雑草でオオイヌノフグリが良く見かけられますが形は7~8㎜ぐらいで色も形も似ているが花弁は4枚であります。これは帰化植物で日本在来種のイヌフグリ(3~5㎜の薄いピンクの草花)に似てそれより大きいために付けられたと云います。フグリとは陰嚢のことで、イヌノフグリの果実の形が雄犬の陰嚢に似ていることから植物学者の牧野富太郎博士がこの名前を付けたと云われています。実際のオオイヌノフグリの果実はハート型で、犬のフグリに似てはいないようです。
オオイヌノフグリ
先日イヌノフグリのことを調べたら日本在来種のイヌフグリは帰化植物のオオイヌノフグリに生育地を奪われて、この辺では見かけられなくなったそうです。
そう云えば子供の頃に在来種の日本タンポポが西洋タンポポという帰化植物によってその土地での生存競争に勝てなくてその数を減らしている事を調べたことがありました。
 私達純粋?の日本人もやがては他国人との混血によってその生息地を追いやられていってしまうのかも知れないことを思うとネテモヒラレない。
          平成29年5月  八大




ゴシキヒワ・コンサート

 二子玉川の駅近くのライブハウスでオカリナとハープのコンサートがあるので若者の街二子玉に足を運ぶ。

 ゴシキヒワとはオカリナと二台のアイリッシュハーブのユニットの名前ですが、カラフルな色彩と姿勢が良くさえずりが美しいので世界中で愛玩鳥として飼われている鳥の名です。
 休日と云うこともあり駅周辺の賑わいは春日部の夏祭り並であり、何処からこんなに人が集まってくるのか不思議と思ってはいけないのかも。街にもエネルギーがあるといった人がいたが、ここでは身をもって感じられた。
 私達の仲間から文化祭で聞くオカリナを想像していたが同じ楽器とは思えない音色は素晴らしい。演奏中3つのオカリナを吹き分ける音域の広がりは全くの別世界にいるようで、正に神業であると思えた。
 またハープもアイリッシュハープと云い普通見られる形の半分ぐらいの大きさでビロローンと響く音色は柔らかく心に届いていた。ダニーボーイやアメージンググレイスなどは聞きなれた曲名なので久し振りに感動を覚えた。
 アンコール後、演奏者がライブハウスの音響設備の良さを褒めていたが会場100人余りの人たちもキットそう思ったに違いない。
 最近は音楽に縁の薄い生活をしている私にとっては、やはり音による心への養分を送ってやることも大切なことであると身にしみて感じ、しばらく忘れていた遠い記憶を思い起こし「干天の慈雨」を味わった時間でありました。
         平成29年5月  八大



つぶやき


「朽ち果てないために」

 孔子曰く「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ
四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を超えず。」
論語の有名な言葉であり人生の終盤まで充実した日々を送った自分の経過を記したそうですが凄いことですね。
現在の日本に当てはめると年齢は十歳以上延びている事が違いますが見習いたいものです。
 そのようなことを思うとき、ふと思いついたことがあります。それは人の一生は学びであると云いますが若い時と今とでは少し違うように思います。その違いは若い頃のように新しいことに挑戦することも大切であるが、社会の一線から退くまでに仕込んだつもりの知識をもう一度発酵させ結実させるとき、新たな喜びが生まれることを感じることがありますが如何ですか。
 これからも老いて朽ち果てないためには好奇心を失わず
学び続けることが大切で、その姿勢を無くした時に人は老
いるのではと思います。
            平成29年3月21日  八大



つぶやき

人は120歳まで生きられる。
「医者イラスト」の画像検索結果

 ナグモクリニックの院長南雲吉則先生の著書「大還暦」によると人間は120歳まで生きられるように出来ているとあります。

 そうすると私達は今、まだ折り返し点を過ぎた所ですが気を付けなければいけないこともあります。それは60歳は様々な病気になりやすくなる時期であると云います。病は感染症を除けば人生の積み重ねの末に現れるものでありまして、喫煙が肺がんと云う形で表れるには約30年かかると言われています。
 また肥満が動脈硬化につながり心筋梗塞や脳卒中を発症するまでには平均して20年から30年。不殺生を続けてきた人には最も気を付けなければならない。

 120まで生きられる根拠
 心臓は生涯で30億回拍動するように作られているそうで、1分間の心拍数を約50回として計算すると一年間では2500万回となり、30億回は約120年となります。
 脳については脳細胞は約140億個あるそうで毎日10万個が死滅していると言われているが、単純に計算すると120歳までに44億個壊れる計算となりますが、まだ3分の1が残っていれば実生活には困らないそうです。
 実際には長寿大国と云われる国でも100歳がやっとの現実ですが、それは不摂生が原因とのことです。高齢者が死亡する原因として4分の3を占めるのが食生活、喫煙、感染症であるとされています。しかし逆に言えば長生きの為に特効薬は必要ないことを意味している。だとすれば私たちは生活習慣を変えることが大切であります。
 それがなんと朝昼晩の3食を食べるという常識を捨てることだそうです、そしてお腹がぺこぺこになった時だけご飯を食べるのです。チョット我慢するぐらいが丁度良いらしいです。
 何故これが良いかと云うと、人類が地球上に出現して約17万年経ちますが、ずっと飢えとの戦いでした。しかし飢えを耐え忍ぶ「生命力」を発揮したからこそ今日の繁栄があります。
 その生命力とは何か、医学的に言うと成長ホルモンであります。これは飢餓状態の時に現れ生命機能の維持と体力の増進を促すと言われます。お腹がペコペコになったら食べるということは、わざと軽い飢餓状態を再現することで延命物質を体に作らせるためだそうです。

 その他私の耳学問
 睡眠の質すなわち22時~2時までの4時間が大切なことであり、般若湯は百薬の長とも云われ有難いことです。また高齢者でも無理をしない程度にセックスをすることも長寿に繋がると云われていますが、何といっても目的をもって生きることが重要であり、充実した日常こそ人生の目的であることに気ずくことが最も大切であると思います。
                          平成28年4月8日    八大



つぶやき 靴の下取り

 先ごろ仲間の集まりがあった後、昼飯を食べることになったが椅子席が空いてなかったこともあり靴を脱いで畳の上でゆっくりと足を延ばし例の井戸端会議となった。
 女性たちのリードでなんと2時間も過ぎて帰る段になり靴箱に残された履物は私の一脚のみ、その時は少し違和感があったがあまり気にもせず、そそくさと我が家へ帰る。
 デザインはよく似てはいるものの踵の中に当たるものがあり、よくよく見るとかなり履きこまれたもので、これはやられたな・・と落ち込む。食事をしたお店に問い合わせても交換される可能性は全くないと諦めることにした。
 後日近くの大型靴専門店へ新しい靴を探しに出かける。沢山の展示された靴の中から散歩用の軽くて履き心地の良いものを選んでレジへ持っていくと店員さんは「これは4㎝防水になっております」と、へ~最近は靴が防水になっているんですかと云うと、「そうですよ今は消費者の希望もありますので」と、そうかな私なら「防水よりも靴の中が蒸れないようにしてもらいたいね」との会話。
すると更に「今ですとキャンペーンで靴の下取りもやっています・・どうしますか、ここで履き替えて下取りにしますか?」と。「靴も下取りしてくれるんですか・・・?」
渡りに船とはこのことです、捨てていく履物を下取りしてくれるとは、けれどもこの先どうするの😑ですか気になります、時代は変わりましたね。
 断捨離なんてことが云われているこの頃です、是非とも捨てる前に下取りの活用をお勧めします。     
           平成27年4月27日 八大





G・SIX

 あの松坂屋は何処へ行ってしまったの?


 今世界中で注目されている新しい形の商業施設として20日GINZA SIXがオープンしました。朝早かったためか入り口は開館待ちの人の列、横から蛇の道をすり抜けて屋上テラスへ直行する。
 都会のオアシスとのうたい文句ですがフラットな水辺の向こうに小鳥を待つ植栽の林が木陰を作っている。周りを見て一瞬14Fの高さで約56Mのテラス周辺を一回りすると東京タワー・皇居の緑・スカイツリー・築地市場が目に入ってくる、まるでゴビ砂漠のオアシスの中にいるように思える。
でも、このテラスから見える景色が坪1億円を超える価値のある所にいる贅沢と云うものかもしれないね。

 早速に絵筆を持つ芸術家風な老人がパレットにチューブから出した黄色をひねり出して腕をまくっていた。
 6Fへ降りると大きな中央部分に蔦屋のスペースがなんとも贅沢な商品配列で本屋さんでこんな感じを味わったことはなかった。四方の窓側にはヨコ文字の食事処がこれまたセンス良く並んでいて準備中の立て札の横から何処も長蛇の列が続いている。まだ一時間以上もあるのになんと好奇心の強い人たちが多くいるもんですね。

 下りエスカレーターで降りていくとパッと目につく草間彌生さんデザインの水玉模様のかぼちゃをイメージした照明飾りが独特の雰囲気を作っており、これを空間芸術いやインスタレーションと云うそうです。さすが世界的なアーティスト先ごろには国からの勲章を授かりましたね。

 ここでは世界の高級ブランド品やファッション系の店舗を中心に250店も入っているそうで見るだけでも楽しくなる気分、そのコンセプトは ~最高に満たされた暮らし~ だそうです。他にも1Fに観光バスの乗り入れ、地下には駐車場はもちろん観世流能楽堂も入っているそうす。
 19世紀の中頃からヨーロッパで発祥した百貨店の形態がこの銀座シックスでその形を大きく変えようとしているようにも思えます、これが時代の変革の始まりなのでしょうか。
        平成29年4月26日 八大