アルカイック・スマイル

法隆寺の隣にあの「微笑みの御仏」で有名な飛鳥時代に造立された中宮寺門跡があります。

「世界三大微笑像」の一つとして「スフィンクス」(エジプト)」「モナリザ(ジョコンダ夫人像)と並んで中宮寺の「木造弥勒菩薩半跏思惟像(もくぞうみろくぼさつはんかしゆいぞう)は、私達の時代の人達は修学旅行などで多くの人が一度は拝観されたことと思われますが別名を如意輪観音像とも伝えられています。

半跏思惟像は朝鮮の三国時代に当時の朝鮮半島で造立されたものとと思われていました。その当時は銅造りが総てでしたので楠が使われていることから朝鮮半島伝来物ではなく弥勒信仰だけが日本に伝来し、日本で作られた仏像であるという結論に至っております。

材料は楠の寄せ木造りであり、真っ黒い色ですがそれは下地の漆があらわになっているので銅像のように見えています。造立当初は色彩が施されていたようで、足の指の間にはわずかに色彩が残されておりますので肌の色や衣にも金色、朱色、緑色などの顔料が使われていたことが明らかになっており、それはそれは見事の色彩が想像されますよね。

弥勒菩薩とはお釈迦様の修行中の姿を云いますが、その次の時代に仏陀(ブッダ)になる事を約束された菩薩であります。現在も修行を重ねている仏様で「思惟(深く考える)」の形をを取っています。その修業が終わるのは、釈迦が入滅した後の56億7千万年後に現れてその成果を発揮し全世界を救済してくれるという未来仏であります。

半跏思惟像をよくよく見ているとあの二つのたんこぶは何だろうと思いますが、双髪(そうけい)と呼ばれる仏像特有の髪型の一つで、主に飛鳥時代後期から奈良時代に造立された仏像に多く見られる髪型であります。長い髪を頭頂で結い上げそれを2つ束にまとめて、髪の一部を肩へ垂らす形です。

アルカイックスマイルとは像を造立する際の表現語で「古い微笑」の意味で基となっている語源は古代ギリシャ語のアルカイク(古い)という意味で長い間にアルカイックになったと云われています。

 令和3年 神無月        八 大




外郎(ういろう)

小田原城と外郎(ういろう)

久し振りの晴れた日に小田原城を訪ねた。急な階段を一気に天守閣まで駆け上がってみると家並みの向こうに大海原が広がり素晴らしい眺望であります。この相模灘を越えると伊豆諸島に繋がりその先の大海原の向こうに北アメリカ大陸に繋がっている。黒船来航もこのルートを通って来たことを思うと何となく親しみを感じる。

15世紀頃に大森氏が城郭とし、北条早雲の攻略以降、北条氏の本拠となった。北条氏は城を逐次改修し、上杉謙信や武田信玄の侵攻をも退けた難攻不落の城となり、関東を制覇した。そのころ豊臣秀吉が天下統一を目指し、4代氏政に降伏を勧告したが、これを拒み、1589年(天正17)から城の防御力を高めるべく、土塁や堀で城下町を含む総延長9kmにおよぶ総構えを構築したが、城は1590(天正18年)年秀吉軍率いる20万の大軍に包囲され、3ヶ月余の籠城戦のうえ開城され、徳川の譜代大名大久保忠世・忠隣によって近世城郭として整備された。

小田原の名物に「外郎」(ういろう)というお菓子があります。中国元の時代に王様が汗臭さを打ち消すために仁丹によく似た形状で口中清涼・消臭薬として使用された大衆薬がありました。応安年間(1,370年ごろ)陳宗敬という医者が日本に渡来し、以後代々医を業として「外郎家」(ういろうけ)と呼ばれ「透頂香」などの薬を製造していましたが、この透頂香が外郎(ういろう)と通称されて普及したと云われています。

九州の博多で創製したものが京都を経由して小田原に伝わったもので去痰(きょたん)の丸薬として売り出したものである。ういろうは蒸し和菓子の名で、もち米粉、うるち米粉、黒砂糖、くず粉などを練り合わせ蒸したもので白砂糖、抹茶、ワラビ粉、ニッケイなどで風味をつけたものであります。

外郎(ういろう)と切っても切れない物に「外郎売」(ういろううり)と云うものがあります。享保3年(1718年)正月、江戸森田座の『若緑勢曾我』(わかみどり いきおい そが)で二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の演目の一つである。その劇中に出て来る外郎売の長台詞が有名で俳優や声優などの養成所、或いはアナウンサーの研修等で暗唱、発声練習や滑舌の練習に使われています。それを演ずると8分程の時間がかかるそうですが、それを見てファンの皆様は待ってましたとばかり大喝采となります。

小田原外郎とは元来、小田原の外郎家が製造・販売する薬を指していましたが、和菓子の「ういろう」はその口上の口直しの為に出されたものと伝えられたいます。最近は美味しい和菓子も多くありますが時には、お茶うけに「ういろう」などは如何ですか。

 令和3年 神無月         八 大













ジャネーの法則

最近、一年があっという間に過ぎてしまう・・・と感じませんか? 歳をとると時間が経つのを早く感じたことはありませんか? それは私達が勘違いしているのではなく心理学的にも証明されていることです。「人間の体感時間(心理的な時間の長さ)は、それまで生きてきた年齢に反比例する」フランスの哲学者、ポール・ジャネーが提唱したので「ジャネーの法則」として証明されている現象であります。

(ジャネーの法則ーから引用)                           主観的に記憶される年月の長さは年少者に長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明したものです。例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の一に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の10日に当たることになる。

人は経験したことがないことをやっているときは、それが強く意識に残り時間が長く感じます。反対に、慣れてしまうと時間の長さが気にならなくなり、あっという間に時が過ぎたように感じます。子どもの頃は初めて体験することばかりで、毎日が新鮮で新しい出会いや発見があります。しかし、大人になるにしたがって、新しい経験をする機会が失われます。大人になると時間があっという間に過ぎ去ってしまったと感じるのは、日々の生活に新鮮味がなくなるからだと云われます。

こんな話も 「失楽園」で有名な直木賞作家の渡辺淳一さんは、時間の流れの速さを「川の流れ」に例えてこう言いました。「20代はちょろちょろ流れる小川、30代で川になり、40代で急に早くなった流れは、50代では激流、60代では滝のごとし」だと。

ジャネーは私達に   時間を無駄にしてはいけないよ!

             充実した1日1日を生きなければ後で後悔するぞ!                    

               歳を重ねるごとに時間は加速していくのだから!

光陰矢の如しと云う言葉があります。年を取るほど時間の経つのが加速しているように感じませんか?「まだまだ時間はたっぷりある」と油断せず、早いうちから、人生について考えておくことです。また何歳になっても新しいことに挑戦し新鮮味や刺激を感じるようにする事が大切です。

 令和3年 神無月         八 大






春日部夢の森公園

春日部夢の森公園

とんがり山?
東武スカイツリーライン豊春駅東側の国道16号線を越えた所に、かつて田んぼだった広い空き地がありましたが10月1日に埼玉県営31番目の公園として部分開園をしました。見渡す限りの田んぼだったところですが全体は16㏊と云いますから結構な面積です。この辺も都市化が進んでだんだんと緑が少なくなっていますので「春日部夢の森公園」が出来ることは有難い話ですね。        

公園設立のコンセプトは「みどり再生」のシンボルとなる「新たな森を創出する」事業として、ふれあいの森~人と自然。人と人のつながりを継承する~」をコンセプトに地域の人々の参加により持続的で生き生きとした地域社会を築いていこうと云うものだそうです。私たちが主役になって緑を再生し「トンボの飛び交う水辺」を造り「どんぐりの森」を育てて行きましょうという事です。

隣の松伏町に「まつぶし緑の丘公園」がありますが現地を歩いてみると規模は少し小さいけれど全く同じような内容の公園であります。小さなトンガリ山を造って裾野に調整池を配した構想は全くのコピーそのものに見えてしまう事が残念に思います。

今、世界共通の目標である「SDGsを推進」していくため春日部市に置いても2030年迄の達成を目指して各地でそのアクションが進行中であります。これから10年・20年かけて地域の皆さんと共に手作りで「水辺や緑の森」を造っていく事は子供たちの成長が見られるようで素晴らしいことで楽しみです。

右側、部分開園
調整池












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