大嘗祭

 大嘗祭とは天皇が即位後初めて行う新嘗祭を云う。その年に新たに収穫された稲の初穂を天皇自ら祖神天照大神をはじめ天地のよろずの神々に差し上げる一代一度の大礼であります。祭りに用いられる新穀はあらかじめ卜定(ぼくじょう)された悠紀、主基の国から奉られ祭りの日の夜、天皇は新しく造られた大嘗宮の悠紀殿(東方の祭場)、主基殿(西方の祭場)で、これを神に供え、自らも食する。即位後必ず行われるから践祚大嘗祭といい、一世一度の新嘗祭であるから大新嘗祭とも云う。儀式は即位の礼が七月以前ならその年で、八月以後ならば翌年で大嘗祭の日に行う。
 天武天皇の2年(673年)から後土御門天皇の即位(1467年)後に起こった応仁の乱の以後しばらく中絶していたが、東山天皇の時(1683年)から再興された。その後、中御門天皇の時(1710年)大嘗祭は行われず中止となり、桜町天皇の時(1738年)復興がなされ現在に至っている。大嘗祭を、おおにえのまつりとも云われる。


大嘗宮の造営中
 大嘗宮とは大嘗祭を行う祭祀の場所をいう。この場所は大嘗祭のたびに造営され、斎行された後は壊され奉焼される。古くから造営場所は朝堂院の前庭であった。祭りの10日前にに木材と諸材料と併せて茅を朝堂院の前庭に運び、7日前に地鎮祭を行い、そこから数えて5日間で全ての殿舎を造営し、祭りの3日前に竣工していたという。後に大嘗祭宮の規模は大正、昭和、の大典時と同規模と企画されるも、一般建築様式の大きな変化と共に、その用材調達、また技術面でも大きな変化があるためといった理由で、古来の大嘗宮のように5日間では造営できなくなったため、現在では数か月かけて造営しているそうです。古来から茅葺の屋根も諸事情もあり見た目にも簡素になっております。
大嘗宮(11月8日)

 令和元年  11月    八 大 

















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