ネモヒラ 国営ひたち海浜公園


 今年もこの時期にネモヒラの丘が見られるということで、早めに行ったつもりでしたが9時には駐車場は超満車状態、手ごろな家族散策の場所として人気があるのですね。
 ネモフィラは、カナダからアメリカ、メキシコの西部にかけて分布しているそうでルリカラクサ(瑠璃唐草)とも呼ばれている。花径2㎝くらいで、よく見ると白に空色の深い覆輪で、花弁は5裂して中心部に黒い点が5つある。ここでは丘一面に咲いているが自然の中では茎が横に広がり、茂みの中の明るい日だまりに自生しているそうです。
 近くの土手や畑の畦道などに見られる雑草でオオイヌノフグリが良く見かけられますが形は7~8㎜ぐらいで色も形も似ているが花弁は4枚であります。これは帰化植物で日本在来種のイヌフグリ(3~5㎜の薄いピンクの草花)に似てそれより大きいために付けられたと云います。フグリとは陰嚢のことで、イヌノフグリの果実の形が雄犬の陰嚢に似ていることから植物学者の牧野富太郎博士がこの名前を付けたと云われています。実際のオオイヌノフグリの果実はハート型で、犬のフグリに似てはいないようです。
オオイヌノフグリ
先日イヌノフグリのことを調べたら日本在来種のイヌフグリは帰化植物のオオイヌノフグリに生育地を奪われて、この辺では見かけられなくなったそうです。
そう云えば子供の頃に在来種の日本タンポポが西洋タンポポという帰化植物によってその土地での生存競争に勝てなくてその数を減らしている事を調べたことがありました。
 私達純粋?の日本人もやがては他国人との混血によってその生息地を追いやられていってしまうのかも知れないことを思うとネテモヒラレない。
          平成29年5月  八大




ゴシキヒワ・コンサート

 二子玉川の駅近くのライブハウスでオカリナとハープのコンサートがあるので若者の街二子玉に足を運ぶ。

 ゴシキヒワとはオカリナと二台のアイリッシュハーブのユニットの名前ですが、カラフルな色彩と姿勢が良くさえずりが美しいので世界中で愛玩鳥として飼われている鳥の名です。
 休日と云うこともあり駅周辺の賑わいは春日部の夏祭り並であり、何処からこんなに人が集まってくるのか不思議と思ってはいけないのかも。街にもエネルギーがあるといった人がいたが、ここでは身をもって感じられた。
 私達の仲間から文化祭で聞くオカリナを想像していたが同じ楽器とは思えない音色は素晴らしい。演奏中3つのオカリナを吹き分ける音域の広がりは全くの別世界にいるようで、正に神業であると思えた。
 またハープもアイリッシュハープと云い普通見られる形の半分ぐらいの大きさでビロローンと響く音色は柔らかく心に届いていた。ダニーボーイやアメージンググレイスなどは聞きなれた曲名なので久し振りに感動を覚えた。
 アンコール後、演奏者がライブハウスの音響設備の良さを褒めていたが会場100人余りの人たちもキットそう思ったに違いない。
 最近は音楽に縁の薄い生活をしている私にとっては、やはり音による心への養分を送ってやることも大切なことであると身にしみて感じ、しばらく忘れていた遠い記憶を思い起こし「干天の慈雨」を味わった時間でありました。
         平成29年5月  八大



つぶやき


「朽ち果てないために」

 孔子曰く「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ
四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を超えず。」
論語の有名な言葉であり人生の終盤まで充実した日々を送った自分の経過を記したそうですが凄いことですね。
現在の日本に当てはめると年齢は十歳以上延びている事が違いますが見習いたいものです。
 そのようなことを思うとき、ふと思いついたことがあります。それは人の一生は学びであると云いますが若い時と今とでは少し違うように思います。その違いは若い頃のように新しいことに挑戦することも大切であるが、社会の一線から退くまでに仕込んだつもりの知識をもう一度発酵させ結実させるとき、新たな喜びが生まれることを感じることがありますが如何ですか。
 これからも老いて朽ち果てないためには好奇心を失わず
学び続けることが大切で、その姿勢を無くした時に人は老
いるのではと思います。
            平成29年3月21日  八大



つぶやき

人は120歳まで生きられる。
「医者イラスト」の画像検索結果

 ナグモクリニックの院長南雲吉則先生の著書「大還暦」によると人間は120歳まで生きられるように出来ているとあります。

 そうすると私達は今、まだ折り返し点を過ぎた所ですが気を付けなければいけないこともあります。それは60歳は様々な病気になりやすくなる時期であると云います。病は感染症を除けば人生の積み重ねの末に現れるものでありまして、喫煙が肺がんと云う形で表れるには約30年かかると言われています。
 また肥満が動脈硬化につながり心筋梗塞や脳卒中を発症するまでには平均して20年から30年。不殺生を続けてきた人には最も気を付けなければならない。

 120まで生きられる根拠
 心臓は生涯で30億回拍動するように作られているそうで、1分間の心拍数を約50回として計算すると一年間では2500万回となり、30億回は約120年となります。
 脳については脳細胞は約140億個あるそうで毎日10万個が死滅していると言われているが、単純に計算すると120歳までに44億個壊れる計算となりますが、まだ3分の1が残っていれば実生活には困らないそうです。
 実際には長寿大国と云われる国でも100歳がやっとの現実ですが、それは不摂生が原因とのことです。高齢者が死亡する原因として4分の3を占めるのが食生活、喫煙、感染症であるとされています。しかし逆に言えば長生きの為に特効薬は必要ないことを意味している。だとすれば私たちは生活習慣を変えることが大切であります。
 それがなんと朝昼晩の3食を食べるという常識を捨てることだそうです、そしてお腹がぺこぺこになった時だけご飯を食べるのです。チョット我慢するぐらいが丁度良いらしいです。
 何故これが良いかと云うと、人類が地球上に出現して約17万年経ちますが、ずっと飢えとの戦いでした。しかし飢えを耐え忍ぶ「生命力」を発揮したからこそ今日の繁栄があります。
 その生命力とは何か、医学的に言うと成長ホルモンであります。これは飢餓状態の時に現れ生命機能の維持と体力の増進を促すと言われます。お腹がペコペコになったら食べるということは、わざと軽い飢餓状態を再現することで延命物質を体に作らせるためだそうです。

 その他私の耳学問
 睡眠の質すなわち22時~2時までの4時間が大切なことであり、般若湯は百薬の長とも云われ有難いことです。また高齢者でも無理をしない程度にセックスをすることも長寿に繋がると云われていますが、何といっても目的をもって生きることが重要であり、充実した日常こそ人生の目的であることに気ずくことが最も大切であると思います。
                          平成28年4月8日    八大



つぶやき 靴の下取り

 先ごろ仲間の集まりがあった後、昼飯を食べることになったが椅子席が空いてなかったこともあり靴を脱いで畳の上でゆっくりと足を延ばし例の井戸端会議となった。
 女性たちのリードでなんと2時間も過ぎて帰る段になり靴箱に残された履物は私の一脚のみ、その時は少し違和感があったがあまり気にもせず、そそくさと我が家へ帰る。
 デザインはよく似てはいるものの踵の中に当たるものがあり、よくよく見るとかなり履きこまれたもので、これはやられたな・・と落ち込む。食事をしたお店に問い合わせても交換される可能性は全くないと諦めることにした。
 後日近くの大型靴専門店へ新しい靴を探しに出かける。沢山の展示された靴の中から散歩用の軽くて履き心地の良いものを選んでレジへ持っていくと店員さんは「これは4㎝防水になっております」と、へ~最近は靴が防水になっているんですかと云うと、「そうですよ今は消費者の希望もありますので」と、そうかな私なら「防水よりも靴の中が蒸れないようにしてもらいたいね」との会話。
すると更に「今ですとキャンペーンで靴の下取りもやっています・・どうしますか、ここで履き替えて下取りにしますか?」と。「靴も下取りしてくれるんですか・・・?」
渡りに船とはこのことです、捨てていく履物を下取りしてくれるとは、けれどもこの先どうするの😑ですか気になります、時代は変わりましたね。
 断捨離なんてことが云われているこの頃です、是非とも捨てる前に下取りの活用をお勧めします。     
           平成27年4月27日 八大





G・SIX

 あの松坂屋は何処へ行ってしまったの?


 今世界中で注目されている新しい形の商業施設として20日GINZA SIXがオープンしました。朝早かったためか入り口は開館待ちの人の列、横から蛇の道をすり抜けて屋上テラスへ直行する。
 都会のオアシスとのうたい文句ですがフラットな水辺の向こうに小鳥を待つ植栽の林が木陰を作っている。周りを見て一瞬14Fの高さで約56Mのテラス周辺を一回りすると東京タワー・皇居の緑・スカイツリー・築地市場が目に入ってくる、まるでゴビ砂漠のオアシスの中にいるように思える。
でも、このテラスから見える景色が坪1億円を超える価値のある所にいる贅沢と云うものかもしれないね。

 早速に絵筆を持つ芸術家風な老人がパレットにチューブから出した黄色をひねり出して腕をまくっていた。
 6Fへ降りると大きな中央部分に蔦屋のスペースがなんとも贅沢な商品配列で本屋さんでこんな感じを味わったことはなかった。四方の窓側にはヨコ文字の食事処がこれまたセンス良く並んでいて準備中の立て札の横から何処も長蛇の列が続いている。まだ一時間以上もあるのになんと好奇心の強い人たちが多くいるもんですね。

 下りエスカレーターで降りていくとパッと目につく草間彌生さんデザインの水玉模様のかぼちゃをイメージした照明飾りが独特の雰囲気を作っており、これを空間芸術いやインスタレーションと云うそうです。さすが世界的なアーティスト先ごろには国からの勲章を授かりましたね。

 ここでは世界の高級ブランド品やファッション系の店舗を中心に250店も入っているそうで見るだけでも楽しくなる気分、そのコンセプトは ~最高に満たされた暮らし~ だそうです。他にも1Fに観光バスの乗り入れ、地下には駐車場はもちろん観世流能楽堂も入っているそうす。
 19世紀の中頃からヨーロッパで発祥した百貨店の形態がこの銀座シックスでその形を大きく変えようとしているようにも思えます、これが時代の変革の始まりなのでしょうか。
        平成29年4月26日 八大
              

三囲神社の三柱鳥居



 桜花爛漫の時を過ぎて、静かになった隅田公園に向かう途中久し振りに向島の三囲神社にお参りした。此処の神社は隅田川七福神めぐりでも有名で大黒天と恵比寿さんを祀っておりお正月の間は大賑わいをしております。

 ここには不思議な謎めいた形をした三柱鳥居と云うものがあります。平面的に見ると正三角形に組み合わされ隣り合う鳥居同士が柱を共有するため柱は三本である。笠木は井桁上に組み合わせられ貫(ぬき)は柱を貫かない。中央には鳥居に囲まれるように神聖な井戸があり三井家の守護神として崇められています。
 三越は伊勢松坂の商人、三井高利が江戸本町(今の日本銀行辺り)に呉服店「越後屋」開業したことで東北の鬼門に当たる向島の地に三囲神社があり囲の文字に三井の井が入っているため「三井を守る」と考えられて守護社に定められた為繁盛を極めていたようです。
 三柱鳥居の原型は京都市太秦の広隆寺近くにある、木島神社の境内に元糺の池(もとただすのいけ)に神泉が湧き出ていましたが、そこに三柱鳥居があります。鳥居の中央に神坐を設け渡来人である秦氏一族の信仰の中で身に罪や穢れがある時には、この池で禊(みそぎ)を行って心身を清める場所だったのではないかと云われています。
 隣には日本書紀にも載っている「蚕の社」と呼ばれる蚕神社(こがいじんじゃ)も並んでおり、養蚕・機織・染色の技術をもって多くの渡来人が移住して来ていたことが分かります。
           平成29年4月15日   八大



唐招提寺の障壁画
 先日、茨城県近代美術館で唐招提寺障壁画展が開かれていたので偕楽園の梅見を兼ねて拝観に行って来ました。
 ご存知の唐招提寺は多くの苦難を乗り越えて来日した鑑真和上が開基したと云われるお寺ですが平成27年から大改修工事に入っており、その間に障壁画が全国に行脚しておりまして現在水戸の美術館に来られているということです。
 唐招提寺は鑑真和上の御心を慰めるためその苦悩の旅を御影堂の障壁画に描くことを東山魁夷画伯にお願いしたもので日本と中国各地を巡ってスケッチを重ね自分の生涯のすべてをかける気持ちで取り組んだと云われており作品は圧巻であります。
 5年ほど前に唐招提寺の年中行事になっている「団扇まき」の行事に参加した時に御影堂での障壁画を拝観をしていらいですが感動を覚えたことを思い出しました。
「山雲」と「濤声」は青や緑を基調にした日本の自然を描く一方、鑑真の故郷である唐の風景を題材にした水墨画も楊に風の表現が中国らしくて素晴らしい作品でした。
                         平成29/2/24 八大


冬ごもり (パウダースキー)



この寒い時期ではありますが、私はここ十数年一週間程度の冬ごもりと称して東北の八幡平周辺でスキーを楽しむことを恒例としてリフレッシュに心がけております。

友達の別荘にこもりパウダースノーのゲレンデを滑って、疲れた体を温泉で癒し疲れた足取りで飲む一杯のウヰスキーも例え


様のない至福の時であります。
この辺りはすぐ近くに安比高原や雫石スキー場をはじめ多くのスキー場がありますのでスキーのハシゴもできます。
全長2000Mのコースを一気に風を切って滑り下りる様はなんともいえない快感です。今年は残念ながら脚のこわばりが感じられ途中で小休止もあり・・・体力の衰えを感じま
したが体調さえよくなれば何とかなると自分
に言い聞かせています。
今日はスキー場のトップは氷点下17℃、更に吹雪のプレゼントがありゴーグルは曇って視界不良、終了時間に追いかけられるように一気に急降下しスキーハウスで待つ友のもとへ無事滑り込む。
その時「あれー 大切な髭にツララが付いているよ」そんなことってあるの?といって顎に
手をやるとなんと3㎝~5㎝のツララが確認
できた。
どうしてそうなるの・・・とアレコレ考えまするに、犯人は気象条件だとわかりました。
気温と吹雪と風(スピード)が一緒のなるとツララが出来るという新発見です。
それにしても顎髭にツララとは恥ずかしい限りでした。  以上現地からの報告です。

人それぞれリフレッシュの方法はいろいろ

なやり方があるとは思いますが極寒の中、
炬燵でみかんより、その効果は大であると
信じ継続を目指しております。   八大
              
 



越後で候(そうろう)

 こんな言葉をどこかで聞いたことありませんか?


そうです、昨年の秋に仲間の皆さんと越後の旅を訪ねた際「魚沼の里・八海山雪室」を見学して、魚沼の澄んだ空気の中でしぼりたて原酒の試飲を楽しみましたね。もう少し飲みたいと思いながら弥彦の宿に入り大宴会の後、二次会の部屋の中で誰かがお土産に買っていたと思われる「しぼりたて原酒越後で侯」を気前よく出してくれました。その酒の旨かったこと今も覚えていました。
 昨日、日本橋界隈をうろうろして昼飯を食べようと立ち寄ったところが、なんと八海山酒造
のアンテナショップでした。
不確かな言葉でしたが「なんとかでそうろう・・」なんてお酒あるの?と店員さんに聞くと二つ返事で出してくれました。
小さなグラスでしたのでひと息にグ~と・・・喉が覚えておりました、「越後で侯」は美味しかったですね。
注文した海鮮定食を待ちながら
あの雪室での試飲の味を思い
出し納得のいく至福のひと時を
味わいました。

ひと言 侯(そうろう)について


「越後で侯」とは何だろう?
侯(そうろう)とは物事の状態、それを知る
手がかり・きざしをいう。
時節、時季「春暖の候」丁寧の意味もあり。
越後の酒でござります。 と云うことですね。

ふた言 侯(こう)とは

漢字を分解すると人編に矢が書いてあり
王様や貴人の傍に仕え矢で的を狙う軍人
を意味したものと云われる。
 天候   きざし
 斥候   のぞく うかがう
 候補   ひかえる まつ
 測候所 きざしを測るところ
                      八大

鎌倉瑞泉寺の庭園

昨日、節分明けの瑞泉寺庭園を訪れ春を迎えに行きました。花の寺としても有名な瑞泉寺は朝早かったので身震いのしそうな空気の締まりを感じながら静かな山門を入り本堂前の貴重な「黄梅」にスマホを向けましたが残念ながら3分咲というところでした。
皆さんご存知のことと思いますが鎌倉市指定の天然記念物に指定されていまして満開の時の黄色は鮮やかで見事ですよね。
傍の立て看板に牧野富太郎博士が「オウバイ」と名付けたことが書いてありました。
近くには破天荒の歌人、山崎方代さんの歌碑に「手の中に豆腐を載せていそいそと、いつもの角を曲がって帰る」が目につきます。


瑞泉寺は鎌倉公方の菩提寺として鎌倉五山につぐ関東十刹に列せられた格式のある寺院であります。開山の無窓国師は鎌倉時代後期から南北朝期に臨済宗の僧として活躍しておりますが、作庭の名人としても知られておりましてスケールの大きな日本庭園の基本とも言われる多くの有名な庭園を造りました。本堂裏にある空間も国の名勝に指定されており鎌倉の地形に手を加え、やぐらと云われる岩山に掘り込みを入れ借景とした趣のある庭園であります。向かい合って目を瞑り雑念を払うその時はまさに至福の時でもあります。

私は夢窓国師の庭園を訪ねたことがありまして、この他にも京の天竜寺・甲斐の恵林寺、美濃の永保寺、苔寺の名で知られる西芳寺などがありいずれも国の特別名勝に指定されておりまして素晴らしいの一言です。特に永保寺の庭園とは岩山を取り入れたところに趣が似ており同一の作者が作られたのが良く分かります
                                    八大






八幡塚古墳
  群馬県高崎市のはずれ(旧群馬町)に保渡田古墳群があります。この地域には八幡塚、二子山、薬師塚の三つの古墳があり「かみつけ古墳公園」として整備され公開されております。
 昭和の50年代上越新幹線の調査工事で古代豪族の居館(三ツ寺Ⅰ遺跡)が発見され5世紀後半の出土品からは古代上毛野の有力者と、近くの古墳からの埴輪片・葺石や石棺からの出土品と同時代の繋がりが確認された。
 形状は前方後円墳、墳丘は全長96mで3段に造られ内堀・外堀・外周溝がめぐり、それらの間には内堤、外堤があり、墓域自体はなんと190m×148mにも及びます。さらに内堀の中には4つの島(中島)があるのが特徴です。埴輪は6000本ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようです。また、墓は後円部に2箇所設置されており、1つが古墳を造らせた豪族本人、もう1つがその近親者であると考えられているそうです。
 古墳と云うと畿内周辺や九州方面を思い浮かべることが多いと思われますが関東地方にもさきたま古墳群やここ群馬にも立派な大型古墳があります。さらに古墳について少し調べてみると、国内の古墳としては約16万基あるそうでそのうち前方後円墳は5200基が確認されています。またその中で宮内庁の所管となっているのが893基ありこれについては、発掘調査は出来ません。理由は皇室の安寧と静謐と尊厳を守るためとなっておりますが、あの箸墓古墳などについては古代のカギを握る部分となるので是非とも調査をされ古代史の解明につながることを願うものであります。
 1500年の昔に思いを馳せ古代人の生活のたくましさ技術の素晴らしさと、埴輪から見える心の豊かさに触れてみるのも楽しいことです。
                          H29/3/13 八大
 


日向薬師(宝城坊)

  丹沢山系、伊勢原の地に日本三大薬師として親しまれている日向薬師がある。かつては修行僧や山伏の修業拠点としてその名をとどろかせ12の坊を持つ大寺院でありました。昨年夏、久し振りに訪れたところ本堂には大きな仮設の足場が築かれていて入れませんでしたが隣の宝物殿に仮安置された仏像が狭い空間に所狭しと展示されておりました。ご本尊の薬師如来は鎌倉時代には病気平癒を願って源頼朝や夫人の政子が参拝したと云われております。明治時代に入ると神仏
分離の波が押し寄せ多くの坊が消滅したが奇跡的に宝城坊の
みが残ったものです。
 お寺に話を聞くと宝城坊本堂は江戸時代、万治3年(1660)に再建されたものでその後数度の修理は行われたが大規模な修理は行われなかった。
 平成22年から全解体の改修を開始6年かけて昨年11月20日に改修が終わり落慶式が行われました。その偉容は国内最大級と云われる本堂のかやぶき屋根が堂々として見えま
す。屋根の面積は1000㎡もあり,かや材の重量は約50tも
要したとの事。そのかやを確保するため御殿場のかや場で3
年もかけて集めたそうです。
 またここの薬師三尊像は鉈彫りと云う独特な技法で彫られておりその柔らかなお姿は仏像ファンにとっては正に垂涎の的になっております。今年のお正月は6年ぶりのご開帳と云
うこともあり地域の信者さんはもとより仏像ファンの参拝で久し振りの賑わいだったそうです。
 ただし薬師三尊像は秘仏になっており残念なことに拝観が出来るのは特別ご開帳のある1/1,2,3,1/8と4/15に限られております。     
                 平29/3/7  八大

             










赤山街道
 昔越ケ谷駅の構内に赤山街道の踏切があった。確か20年ぐらい前に鉄道が高架化されて交通渋滞はなくなったが当時は開かずの踏切で事故もあって市民の皆さんには大変に不評だった。
 この辺では日光街道や御成街道・例幣使街道の名前は聞きますが、赤山街道なんてどこへ行く道なんだろう?と前から疑問を持っていましたが先ごろ暇つぶしに越ケ谷から道なりに走ってみました。
 越ケ谷西口から七左町の交差点を真っすぐに進み綾瀬川を渡ると草加市に入り程なくすると川口市安行の文字が、道なりにどんどん行くと赤山の地名が出てきた。小さな表示で赤山日枝神社とありました。細い道を右折するとすぐに小高い丘の上に日枝神社が構えている。駐車場に車を止めて表示の案内に目を凝らすと、なんとこの辺一帯が江戸時代に関東郡代として権勢を誇っていた伊奈氏の赤山陣屋(居城)跡で埼玉県の遺跡指定としての解説がありました。
 徳川家康の信頼をあった伊奈氏の業績は大変なもので利根川の東遷を始めとする河川改修、土木、橋梁、新田開発、富士山の大噴火や大地震に対する対応と村人への配慮は信頼も厚く神様・仏様・伊奈様と崇められていた。
 早速に探検散策を始めるも周りは赤い土一面の植木畑(安行植木)でした。小道を歩くと赤山城址の石碑があり、僅かに何か所か空堀の復元跡がありますが当時の建物は全くありません。
 帰って調べてみると伊奈町小室の地に築いた代官所から3代目忠治の時に赤山の地を開拓し居城として以来200年続いた関東郡代の伊奈家は12代忠尊が家中不取締の罪で改易され赤山城が破却された為全くの更地になってしまったとの事。今ではその地に植木の畑が出来ているとの事らしい。すぐ近くに大蛇のような高速道路が横たわっております。
 奈良時代の東山道や中世の鎌倉街道・日光街道と時の為政者や有力者が築いたものと並んで今でもその名前が残っていることに昔日を偲びます。
 意外と短い街道ではありましたが日光街道への繋ぎ道として当時は賑わいを持っていたことでしょう。    八大




冬薔薇


冬薔薇(ふゆそうび)

さいたま市に七福神めぐりに出かけましたが
「冬薔薇」の画像検索結果風もなく好天に恵まれラッキーな一日。
この時期の花壇は咲く花も少なく色を無していますが、そんな中ポッと咲いているバラの花は美しいです。
<遅く咲いても花は花>というように秋に咲くバラと比べても劣ることはありません。
「冬薔薇」の画像検索結果快い風に吹かれながらバラの花が私に話しかけてくれました。
綺麗だと言ってくれてありがとう。
私は季節を間違えて遅れて咲いたわけではありません。
皆と同じように咲くこともできましたがあえてこの時期を選んだのは私の我が儘でした。
あなたが綺麗だと云ってくれたので私は嬉しいので明日にでも散りたいと思います。

ふゆそうび どこかで聞いたことがあると思ったら谷村新司の歌に「群青」というのがあります。歌詞と云い曲と云い素晴らしいもので私も下手なカラオケで歌ったことがありました。


これは昔の「連合艦隊」という映画で戦艦大和の乗組員の物語であり森繁久彌が熱演されていました。多くの観客が涙を抑えて見られたラストシーンにこの曲が流れました。                                                                       八大



              

                                                                                                          谷村新司 群青 
                                                                                                           
                                                                                                            歌詞  

                                    空を染めて行く この雪が静かに
                                    海に積もりて 波を凍らせる
                                    空を染めて行く この雪が静かに
                                    海を眠らせ あなたを眠らせる
                                    手折れば散る薄紫の
                                    野辺に咲きたる一輪の
                                    花に似てはかなきは人の命か
                                    せめて海に散れ 思いが届かば
                                    せめて海に咲け 心の冬薔薇


鈴虫さん有難う

鈴虫さん有難う


11月の15日今年最後の2匹がお亡くなりになりましたので、早速に野辺の送りを致しました。引き続き来年の転生を願っております。今年もあの暑い夏の夜によう泣いてくれまた。

このところ私は耳鳴りの為蝉の声が聞こえておりましたが、それをカバーするようにリーンリーンと一生懸命に奏でてくれ幾度となく夜中にコンサートを聞く機会を得ました。

 この春は例年よりも遅く6月に入っての孵化でした。それはそれは三つの入れ物のプラスチックケースの地中から、出てくるは出てくるは・・・・その数ざっと3,000匹以上、その蠢きは網の佃煮の如きなり。
粉餌とナスを厚さ7~8ミリに輪切りにして与えると翌日には表皮部だけが円形に残り法華の太鼓のようになっていました。

 京都嵐山の渡月橋を渡った先に西芳寺(苔寺)がありますがその手前に臨済宗の華厳寺と云うより鈴虫寺という寺があります。皆さんご存知でしょうがこの寺では、一年中、りーんりーんと鈴虫の鳴き声が聞こえることで有名です。
その為冬の時期は少し減りますが観光客の数は絶えることが無いそうです。
そうすると季節は常に夏なんですね・・常夏?
 どんな育て方をしたらそんなことが出来るのかと思っていましたが・・・・・・どうやら長い年月をかけて次々と時期をずらせて生やしておられるとの事。いろいろと苦労もおありでしょうけれど面白いことですね。
 我が家では今の時期を終わると手厚い養生をして来年の春に再度生まれ変わって来られることを楽しみにしております。
                         八大

七五三と七つの祝い


七五三
写真:  今日11月15日は、春日部八幡神社の社頭は晴れ着姿で七五三を祝うたくさんの親子連れで賑っておりました。
 七五三は、古くからの風習である三才の「髪置き」五才の「袴着」七才の「帯解」に由来するといわれています。
 「髪置」は男女児ともに行われた儀式で、この日を境に髪を伸ばし始めました。また「袴着」は男児がはじめて袴を着ける儀式で「帯解」は女児がそれまでの幼児用の付紐をやめ大人の帯を締める儀式です。
 子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、これまで見守って下さったご先祖様や氏神様にお参りをして感謝の気持ちを表し、これからの健やかなる成長をお祈りをします。
  旧暦の10月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月でありその月の満月の日である15日となったという説もあります。現在のように、七五三を1115日に盛大にお祝いするようになったのは江戸時代からのことで、五代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから、それが庶民に広まったともいわれています。
写真
七つの祝い
 今とは違い当時は医療が進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子供を七五三の年齢まで無事に育てることは並大抵なことではなかったと云われています。
「七つまでは神の子」と言われて、それまでの子供の成長は神さまにお任せするしかありませんでした。
 七才になって子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、氏神様に報告し氏子として認められることになります。その祝いが七つの祝いでありますが、男の子は家の後継として相続を急ぐこともあり五つで祝う処もあったようです。
                           八大


シロツメクサ(白詰草)



近くの公園で芝生に腰を下ろすと、なんと目の前に四つ葉のクローバーがあったのだ! ラッキー!
日本名では聞きなれない名前ですがシロツメクサ(白詰草)と云われます。何でそんな名前が付くの? 公園や牧場に沢山見かけるのに・・・ネ。

江戸時代後半は鎖国の世でありましたが、長崎の出島を通
してオランダから献上されたガラス製品の包装にクローバーを乾燥させて緩衝材として詰められて来たことに由来するとのことだそうです・・・・・ へ~ですよね。

四つ葉のクローバーを見つけると幸せが訪れると言われ
ていますが花言葉で云うと我が国では「希望・信仰・愛情と幸福」を表すと言われますが、一方欧州や米国では、「名声・富・満ち足りた愛・健康」と四枚が揃うことで「真実の愛」を表し幸運をもたらすとも言われています。
「四つ葉のクローバー」の画像検索結果
自然界では一万分の一とも十万分の一の確立と云われていますが、五葉、六葉、七葉、八葉も稀に確認されているそうです。信じられないことに日本で五十六葉も見つかったとの事ギネスものであり、その確率は天文学的な数字になりますよね。


早速、幸せを運んでくれるという十万分の一のシロツメグサを押し花にし密かに手帳に忍ばせ、薄くなった白頭を搔きながらも次なる目標に挑もうとしております。


                            八大


レバノン杉


 先日小石川植物園を散策しました。園の中ほどにヒマラヤ杉の大木があり見るからに堂々として威圧感がありました。足元を見ると鳥のいたずらかも知れませんが、青々とした2cm程のどんぐりのようなものが落ちていました。帰宅して調べると雄花であることがわかりました。

 日本ではヒマラヤ杉と呼ばれておりますが中東の地、チグリスユーフラテス河の上流に栄えたメソポタミヤ地方ではレバノン杉と呼ばれています。
 紀元前2500年頃古代エジプト・古王国時代、ファラオであったクフ王のピラミット近くで「太陽の船」と呼ばれる40Mを超える大型木造船が1954年に発見されているが、材料はレバノン杉が使われていました。その30年後吉村作治先生達が電磁波レーダーを使って第二の船も発見されております。
 現在では長い間の乱獲のためその数は激減しており、この地域のレバノン杉は保護対象となっているそうです。
 又この大木の杉はレバノンの国旗に描かれていて国民の宝となっています。
 長い歴史の中で遠く離れた大地に同じ空気がどこまでも繋がっていることを思うと、この小さな雄花を身近なものとして愛おしく感じらます。                              
                        八大