GAFA それって何

GoogleAppleFacebookAmazon このIT系超巨大企業4社の頭文字を取ったもので、言われ始めたのは最近ではないのですが、メディアに取り上げられ目につくようになってきましたね。
スマートフォンやパソコンを使っていると、本人は意識しなくとも検索や買い物の履歴などの膨大な個人データが企業に蓄積され、事業に活用されます。その個人データを圧倒的な規模で集めている勝ち組企業4社を総称してGAFAと言っています。

米国でもそして日本でも、GAFAに代表されるアメリカの大手IT企業が、データ市場を“支配”している現状を問題視するようになってきた。例えば、ネットの検索や閲覧の履歴は「グーグル」、携帯電話は「アップル」SNSは「フェイスブック」、買い物の検索や履歴はで「アマゾン」が身近に入り込んできいます。私たちの暮らしはこの4社に取り囲まれて、情報が筒抜けになって来ていると云われています。

これらのサービスは「便利」ですが、大量の個人データに囲い込まれていることに気がついた時、あらゆる情報が吸い上げられてしまうから早くにGAFAの牙城に風穴を開けなければならない。正常な競争が成り立たなくなるという危機感も芽生えているようで4社による寡占状態を何とかせよと米国のメディアからも声が上がっています。

企業が個人データを収集すると「情報漏洩」や「情報悪用」をされることのリスクが付いて回り曳いては信頼感を失うことに繋がります。日本でも欧米でも個人データを有効活用しようという取り組みは更に進んでいくと思われますが、私の中では益々わからない世界に入り込んでいくようで不安にもなります。

現在の私たちはIT革命の緒についたばかりこれからも世の中は飛躍的に進歩拡大を続けて行くことでしょうが、あまりにも大きな変化が起こっていることに戸惑いを感じています。不安に思う反面どうにでもなれ、心配するより尻尾につかまって振り落とされないようにする事の方が重要かなとも思います。

最近、ふと思うのは、誰も「携帯電話」を持っていなかった頃は電話で約束をしてから待ち合わせをして面談をしたわけでそれが普通でしたが不便は全く感じませんでした。人と人の関わり合いにもっと“ぬくもり”があったような気がします。一度携帯電話を忘れた時の不安感は何とも言い難いものがあって、いかに自分が携帯電話に依存しているのかが良くわかります。

昔はどうしていたんだろう、と思いますが一日一日の流れが段々と早くなっていることにこの頃特に不安が増してくるのを覚えます。傘を忘れても携帯を忘れないことの方が気になっていることは何なんでしょうか。一日ぐらいその不便さを楽しめる自分になりたいと思う時もありませんか?

                    平成31年2月          八 大









 大坂なおみ

大坂なおみ
 先日の全豪オープン多くの観客が全世界で見られたようで、翌日の新聞の他あらゆるところで話題になってその余韻が我が国にとっては嬉しいことでしたね。
 小生も遥か若かった頃テニスボールを追って一生懸命に励んだ時期がありま、現在は体は動かず口先だけの応援でが解説者並みの理論では人並です。
 3ゲーム目のファイナルセットでの心理戦と言うかお互いの心の読みは凄いと思えた。最後は強烈なサービスエースがとどめを刺してザ・エンド、、バンザーイ! 始めから終わりまで食いついてみられたが、中には視線を落として目を伏せて歓声けを聞き入っている人も見られたが、私にとっては久し振りの興奮を味わえた時間だった。 
大坂なおみ 話は変わりますが来年のオリンピック競技にもテニスが種目に入っていますが、日の丸を期待する我々の思い通りになるのか一部の不安が胸をよぎる。ご存知のように国籍という条項がありまして、世界中の多くの国では生まれた子供が22歳になるまでには自由に自分の国の国籍を選ぶことが出来す。またその先に自国の旗がヘンポンと翻るのです。
 「なおみ」にはそれからの事を考えるにはいろいろなことが考えねばならないことがあるようだ。弱冠20歳にして世界のテニス界で現在四大大会で二つを制しており、これからの活躍は勿論その後も女王の座に君臨できる可能性があることから本拠地を置いたままにして・・・国籍はどうするのか?
 わずか3歳からテニスを始めたが母親は日本人、父親はハイチ人。現在のホームグラウンドはアメリカであるという、どこに国籍を置こうが自由であると云われるがその結果如何では星条旗なのか日の丸の掲げられるのかが注目の的になる   

 平成31年2月         八  大










睡眠の質とお茶の効果

朝起きた時に疲れが取れず元気が出ないということがこの頃よくありますがどうしてなんだろう? もっと寝ていたいけれど取りあえず起きなければと思って起きるのがこのところのスタートです。起床時に感じるその眠気や疲労感は、「睡眠の質」に原因があると思われます。
最近、「睡眠負債」という言葉が注目されていますが日々の睡眠不足や睡眠の質が低下した状態が負債のように積み重なっていくこが云われています。この睡眠負債が続くと、仕事や日々の生活の悪化に繋がって来ます。

大切なのは「睡眠の質」であると思います。たとえ睡眠時間を長く取っていても、睡眠の質が低ければ睡眠負債につながりますよね、睡眠時間の長さを気にする人は多くても「睡眠の質」まで気にしている人は少ないのではないでしょうか。しかも、睡眠の質の低下は、自覚しにくいから厄介なんです。

睡眠の質を上げるためには
〇 就寝前には暗めの照明にする
〇 就寝前にはスマホなどの電子機器の使用を控える
〇 ゆっくりと入浴する
〇 日頃から適度の運動をする習慣をもつこと

休日は寝だめをして日頃の負債を取り戻そうなんてことは良くないらしい。
 それを解決するには何と「お茶と睡眠」だそうです。でもそれって緑茶にはカフェインが入っているので夜には眠れなくなってしまうよ? 目が冴えてしまうんじゃないの? と思っている人が多いです。

お茶には日光の下で育てて煎茶として飲むものと、日光に当てずに薄暗いネットの下で育てて作る碾茶(てんちゃ)があります。茶葉を摘むまで20日以上被覆してその生葉を蒸して揉まずに乾燥させたもので、玉露と同様に収穫前に被覆した茶葉を蒸し碾茶炉で乾燥して製造する。煎茶の様に茶葉をもむ工程がないため、形状は青海苔に似てその香りは独特だそうです。茶葉の成の中に「テアニン」というアミノ酸の一種が多く含まれ、リラックスと集中力を高める効果があるそうです。

この碾茶はアミノ酸の一種で「テアニン」の成分が入っているので「お茶を飲むと、ホット気分が和らぐ気分になれます。このリラックスを感じさせるテアニンが興奮系の神経伝達に働きかけ、イライラ、ドキドキ、を抑えリラックス状態に導いてくれます。その効果は睡眠状態への働きにも認められています。
「抹茶 歴史」の画像検索結果テアニンの効果は同じ睡眠時間をとっても長く寝たように感じ疲労感が回復し、満足感が得られるそうです。たまには改まって一服のお薄に和菓子を添えて気分を変えてみてはいかがですか。

漢方薬なんて歯牙にも留めなかった私ですが、良い眠りを得るためには先人の言われることにも耳を貸すべきではないかと今にして実感しております。

抹茶とはこの碾茶を石臼すでひいて粉末状にしたもので、その保存に用いられたものがあの有名な「茶壷に引かれてとっぴんしゃん」の壺であります。

                     平成31年1月      八 大


 ガーベラ


『一粒は 胸に蒔く 花の種』
ガーベラ                             どなたの句だったか覚えておりませんですが、楚々として気品があり何とも味わいのある句ですね。こんな表現に私は心打たれます。
 ガーベラは花の少ないこの時期に暖かいピンク系の花達が「私はここよ」とばかり、鮮やかに振る舞っているようです。
 原産地は遠い南アフリカでキク科の多年草の花はタンポポにも似て赤・橙・黄など・・・競うように花を咲かせる。
 種類が豊富で彩り豊かなガーベラはかわいらしく以外にも存在感があります。
寄せ植えやガーデニングで楽しむ他、切り花としてのプレゼントとしては一般的に広く愛用されています。
 ガーベラの名前の由来は、発見者であるドイツの植物学者ゲルベルの名前から取ったそうです。別名は「オオセンボンヤリ」や「アフリカセンボンヤリ」といわれる?
 花言葉は「崇高美」とか「神秘」と云われていますが、花の色に依っていろいろと
多くの花言葉を与えられているそうです。

 この寒い時期に咲いてくれる暖色系の
花は何となく見ただけで、心が温まる気
分になりますよね。

平成31年1月     八 大



























元号とは 

本家中国の話
そもそも元号とは中国前漢の武帝の時代、紀元前115年頃に統治の初年に遡って「建元」という元号が創始されて漢字と数字の組み合わせで年次を表した物でそれ以降、清まで用いられたと云われています。
皇帝が国の独立や力関係、領土や領民を時間的に支配する象徴だった,という説が有力で、次々と漢字を使う国に広まったとされています。
武帝の時、「元」は祥瑞によって決めるべきで、即位の年を「建」、彗星出現の年を「光」、一角獣(麒麟)捕獲の年を「狩」とすることが献策された。これによって「建元」「元光」「元狩」といった元号が作られ、以後、このような漢字名を冠した元号を用いる紀年法が行われるようになった。
1911年に辛亥革命によって清が倒れると元号は廃止された。各省政府は当初、革命派の黄帝紀元を用いていたが、これもまた帝王在位による紀年法であり、共和制になじまないという理由で、中華民国建国に際し、1912年を中華民国元年(略して民国元年)とする「民国紀元」が定められた。
そうすると現在の中華人民共和国の年号は西暦2019年で中華民国108年である?

日本の元号の歴史
元号使用の歴史
『日本書紀』によれば、我が国初の元号は、西暦645年の「大化」である。その後は、一時的に元号のない時期もあったが、西暦701年の「大宝」から「平成」まで、1300年以上にわたって継続的に元号が用いられています。
大化から平成までの元号数は合計247回を数えられています。そんな中で我々は、元号といえば「漢字2文字」と思いがちですが、実は四字熟語の元号名が過去に5つありました。奈良時代に「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」の時期があったので必ずしも2字熟語にしなければならない、という規則がなかったからでしょうが、調べてみますと昭和54年に元号法の改正があり二文字に決められました。
また7世紀後半頃からは元号よりも一般市民の多くに多用されていた「干支」の使用が主流だったことも聞きます。
改元にもいろいろな形がありました、元始改元、(天皇の死もしくは譲位によって低位の交代が行われた際で即位改元)祥瑞改元、災異改元、革命改元、(辛酉革命)があった。
歴史を振り返りますと、天皇1人につき元号一つという天皇一世一元制が定められたのはつい最近の明治からでありました。それまでは、むしろ同じ天皇の在位中に改元されることが珍しくなかった。
1895年(明治28年)118日、三国干渉の結果、遼東半島還付条約が成立して、日本の「明治」と清の「光緒」が二ヶ国の年号が記されている事もありました。

元号制定の条件
・ 元号は本邦はもとより言うを俟たず、志那、朝鮮、南詔、交趾(ベトナム)等の年号、その帝王、后妃、人臣の諡号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるも のなるべきこと。
・ 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るべき言。
・ 元号は、古典に出処を有し、その字面は雅にして、その意義は深長なるべきこと。
・ 元号は、称呼の上、音階調和を要すべき言。
・ 元号は、その字面簡単平易なるべき言。

 元号制定6つの (手続きの条件)
 ・国民の理想として相応しいか(良い意味で)
 ・漢字2文字 ・書きやすい ・読みやすい ・これまでに用いられていらない
 ・俗用されていないか 
などが示されております。
元号については、中国の古典に使われているもので典拠を明確にしてください
とい決まりがあるということです。

委嘱される有識者の条件と決定メンバー
新元号の「考案メンバー」には、文化勲章受章者・日本学士院会員の漢学者・
国文学者・歴史学者・日本学士院会員・文化功労者文化勲章の受章者など数名が選ばれるという。
また、決定メンバーは前回の『平成』同様、日本新聞協会会長、NHKと民放会長、
国立大学協会会長など数名だと見られています。

新元号の発表は
元号の正式決決定はいつなのか最も気になるところでした。政府内では、平成312月下旬以降という見方が強くなっていました。理由として、いまの天皇陛下の、ご在位30年記念式典が224日に東京国立劇場で開かれることが決まっているのでそれ以降となる。
201913日に現在の政府方針では、新元号の方針では201951日改元の一か月前の201941日とする発表がありました。
 


〇 この先は面白エピソート

6つの原則から推測していくと
・「平」の一文字を受け継いだら
「文平」「和平」
・「成」の一文字を受け継いだら
「天成」「天啓」「天恵」


 江戸時代最後の天皇・孝明帝は、
 在位20年間に
 「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶應」と6つもの元号を用いている。改元の理由は、天変地異によって飢餓が発生したり大地震や大火が起きたりと、さまざまだ。あるいは、疫病の流行があったときも改元は実施された。

明治の「元号」はくじ引きで決まった
 数ある元号の中でたったひとつ、くじ引きで決まった元号があることをご存じだろうか。東京・明治神宮のホームページには、次のような文言がある。
「『明治』の元号もいくつかの候補の中から明治天皇がくじを引いてお選びになられたのでした」
 慶應497日の夜、前越前藩主・松平慶永(まつだいら・よしなが)が考案したいくつかの元号案をくじにして、天皇自らが賢所(かしこどころ)で抽籤(ちゅうせん)、その結果「明治」を引き当てたという。
 元号を改めるということは、それまでの厄災を振り切って新たな時代を切り拓くという意味がある。なんとなく、日本人のメンタルに今なお息づく、“水に流して忘れよう”的な意味合いを感じなくもない。
 古来より日本ではくじは神の意思を問うための大切な神事とされており、古代には盛んに行われていた。おそらく、王政復古の大号令によって重要な物事をくじで決めていた国古の風習に立ち返り、くじ引きが採用されたのだろう。くじ引きによって新元号が決定されたのは、後にも先にもこの一度きりとの事です。


 当時の小渕官房長官もビックリ
 昭和から平成に代わる直前のことだ。新元号をスクープしようとした某新聞社の政治部員が、大化から平成まで歴代の元号に使用された文字と、過去に候補とされた漢字を組み合わせて一覧表をつくり、当時の小渕官房長官に見せたことがあったそうだ。その中にはなんと「平成」も入っていた為、後に小渕官房長官は「あのときは心臓が止まりそうになった」と語っていたという


光文事件
 過去には、大正から昭和に改元される直前の「光文事件」がある。大正天皇崩御直後に東京日日新聞が「元号制定『光文』と決定」と報じたが、実際に発表された元号は「昭和」だったため、世紀の大スクープのはずが一転して歴史的大誤報となってしまったのだ。真相をめぐっては諸説あるが、事前に報道されてしまったために急遽、次点扱いだった「昭和」が正式採用されたともいわれる。


元号を大胆予想!

平和 和平 安久 未来 自由 新生 大成  希望 安泰 安幸?
 はたして、4月発表される新元号名は何になるのだろう。インターネット上では、早くも予測する動きがたくさん見られるが、私たちが推理した新元号名を出せば出すほど、それは候補から外されていく可能性が高くなるものです。


              平成3113日         八 大



  春待つ心の準備

  小雪の畔を歩く
  枯葉の元に蕗の芽
  寒くないかと問う 
  何時もの春と答う

  春の枝に花あり
  夏の枝に葉あり
  秋の枝に果あり
  冬の枝にあり

  花散りて後に
  葉落ちて後に
  果失せて後に
  芽は枝にはる

  春陽の頃は近し
  日出と共に覚醒 
  朝の光に感謝し
  希望と共に動く

  (内村鑑三の言葉も参考にした)
                      平成30年12月        八 大









 枯 葉

 我が家の窓辺にある山法師の葉が舞い散る今朝は、冷たい北風にほとんどの葉が散ってしまい何と可哀そうな姿になってしまった。それはベルナール・ビュッフェの絵画を見るようです。
あれほど夏には青々と繁っていた葉も枯れ果て裸木になり寒々として可哀そう。
これも大自然の成す技なんだと分かってはいますが・・・ふと思い浮かんだこと、それはイヴ・モンタンが語り掛けるようなシャンソンの調べが流れていた。
 それは私が生意気盛りの高校生の頃に10歳ほど年上の兄貴分から近くの銭湯に誘われた帰りに初めて入った田園と云う純喫茶へ連れて行かれた時です。薄暗い店内に目が慣れてきたときに流れていた曲がシャンソンのスタンダード「枯葉」だったことを今でも鮮明に覚えています。
 駆け出しの頃はそれほど売れては無かったらしいが師と呼ばれるジェリエット・グレコに見いだされて大スターにのし上がった。その後は幾多の浮名を流し一世を風靡しました時季がありましたが、多くの歌手にバージョンョンアップされていることは皆さんご承知の通りです。

フランス語で語りかける哀愁を帯びた甘い囁きを想像して見てください。

ああ、きみがしっかり覚えていてくれたらな
僕たちが友だちだった楽しかった時のことを
あの頃は人生はずっと美しかった
太陽も、今日よりずっと燃えていた
秋の公園のベンチ

シャベルに集められた枯葉
あのさ、僕は忘れてなんかいないよ
シャベルに集められた枯葉
思い出と後悔も

北風が葉っぱを運び去る
忘れ去られた冷たい夜に
あのさ、僕は忘れてなんかいないよ
君が僕によく歌ってくれた歌のことを

                      平成30年12月       八 大
























直角靴下 なんて聞いたことありませんよね?

今無印良品で売られている靴下は全て、「足なり直角靴下」になっているそうです。実際に足首の部分が直角になるように製造されているので突っ張り感がないので履いて立つと、全く靴下からのストレスを感じません。

重ねてみました。上が一般的な靴下。下が直角靴下です 靴下の『角度』は、はき心地に大きく影響してきます。靴下がズレたりもたついたりするのは、足の角度と靴下の角度がぴったり合っていないからなんだそうです。

市販されているユニクロの靴下は、ほとんどの場合120度の角度が付いた「くの字型」ですので、上側に少しのもたつきが感じられる。
 それに比べると直角靴下は足の形にしっかりとフィットするので靴下のずれ落ちがありません。

 そう言えば今まで履いていた靴下は、ずり落ち防止のために口の部分のゴムが強めに働いていて、足に赤く跡が付くこともありました。

このところこの話を聞いたので「足なり直角靴下」を愛用しています。

チェコのおばあちゃんがヒントをくれた

チェコに住むルジェナおばあちゃんが編んだ靴下は、靴下のかかとは、90度に編まれていました。
「チェコは雪国なので、出かけるときはブーツの下に分厚い靴下をはいてしっかり防寒するんです。チェコのおばあちゃんは、自分の家族が少しでも心地よく過ごせるように、どうしたら靴下がブーツの中でずれ落ちてこないか考え抜いたといいます。そしてたどり着いた結果が直角に編むことでした」
「足なり直角靴下」が生まれたそうです。

                   平成30年11月          八 大














 神宮外苑のイチョウ並木
 明治神宮外苑のイチョウ並木の黄葉が見頃を迎えている。11月29日現在でのイチョウの色付きは既に8割~満開で見事な黄金の輝きを見せくれています。
20年ほど前から開催されている「いちょう祭り」ですが、外苑イチョウ並木噴水池周辺には飲食40店舗が出店していますが、夜間にはライトアップも行われているとの事。実行委員会によると、同時期の来街者は約180万人に上るという。
天気にも恵まれ陽気となった28日午後にも、黄葉を一目見ようと多くの家族連れや観光客がカメラをもって訪れ、色付く並木を背景に写真を撮る姿がそこここに溢れていた。



 あれは何だったのか? 
 太平洋戦争の戦局悪化を受けて戦死者が増加したため兵員の補充のため、学生の修業年限の短縮をして入隊の措置をとった。確か昭和18年出陣学徒を前にここ明治神宮外苑競技場にて学徒出陣式が行われ当時の首相も出席して7万人が集められ出陣壮行会が行われたのが明治神宮外苑の地だったと云う。
この暖かなイチョウの黄葉を眺めながら昔日を思い起こし複雑な思いがよぎった。
                      

                        平成30年11月      八 大

                                          
    

  























 
 






月と星
 昨夜の満月を見られましたか? 
この時期の星座の輝きは先月十五夜の月とは一味違って素晴らしかった。
夜半を過ぎようとする頃西の空に月輪は輝き隣りの家の屋根に沈もうとする寸前でしたが、十五夜の月より一回り小ぶりな姿で神々しく黄金の光を放っていました。東の方角には明けの明星が輝き、また頭上に目を移すと北斗七星がくっきりと見えた。
まるでその恰好は土俵の下で力水を付けているような姿に感じられた。
更に目を凝らしてみると虚空一面にかすかな光を放つ無数の星座
群がみえた。
見上げているとふと金子みすゞの詩「星とタンポポ」の一節が思い浮かんできた。
それは次のような詩です。


 

「星とタンポポ」

青いお空の底深く、
海の子石のそのように         
夜が来るまで沈んでる、
昼のお星は目に見えぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ  
  見えぬものでもあるんだよ。  

ちってすがれたたんぽぽは、
かわらのすきに、だぁまされて、
春がくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  みえぬけれどもあるんだよ。
  見えぬものでもあるんだと。



 金子みすゞとは、26歳の若さでこの世を
去った童謡詩人。
その生涯に、500あまりの童謡詩をつ
くる。西條八十に認められながらも、夫
に詩作を禁じられたり不治の病を負った
悲しみから自殺をとげているが、我が子
が話す言葉を丹念に書き留めて言葉の持
つ神秘さや奥深さに感動していた。
もっと長く生きて詩を作りたかったに違
いないと思った。               
   
                  
                   
                    

                     平成30年11月          八大

  




 五浦の六角堂と岡倉天心

 あの東日本大震災から7年の歳月が過ぎた先ごろ五浦の六角堂に足を運びました。地震と大津波に飲み込まれた六角堂は土台だけを残して無残にも姿を消しましたが、わずか一年後に原型の復旧がなされ白波の打ち寄せる断崖に再建され前の姿と変わらず依然として波の音の中に威容を見せていました。錣吹風を感じさせる赤い腰回りの六角堂は小さいけれど外海に向かって威容を誇っています。
 天心がここに座って太平洋を望み東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動した姿が思い起こされます。

 すぐ近くに茨城県天心記念五浦美術館がありますが日本近代美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心の偉業は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め美術運動家として大きな功績を残しました。その活動には、日本画の改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館の日本美術部長を務めるなど、目を見張るものがあります。
 
六角堂 また天心は明治の初め新政府の神仏分離令によって廃仏毀釈が盛んになり多くの仏像等の美術品が破壊されたり、海外に流出される事を憂い古美術品の保護に関心を持ったそうです。その頃アーネスト・フェノロサとの出会いから、明治17年法隆寺夢殿を開扉し、秘仏であった救世観音像に出会えたことは「一生の最快事なりと云うべし」と熱く語っていたそうです。このような文化財保護に関する調査保護活動は「古社寺保存法」に反映され現在の文化財保護法制定に受け継がれ今日の文化財保護の礎
になっています。

 天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む五浦に居を構える一方、横山大観、菱田春草、下村観山ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活していました。

                  平成30年11月            八大




 ソシエテ 5・0

 最近多く聞かれるようになった言葉に「ソシエテ5・0」があります。
仮想空間と現実空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会を云うそうです。
 これからの社会の変化について・・・聴きましたのでここに記します。

 IoT、AI、ロボットを中心とした先端技術によって社会課題を解決していこうという、日本政府が提唱する科学技術政策の基本指針の一つですが、人類史上5番目の新しい社会(Society)と表現されているとおり、私たちの生活の姿、そして社会の在り方までをも変えうるイノベ-ションによって、今後の日本はもちろん、世界を大きく左右する可能性を秘めています。 
 IoTに五感、AIに頭の役割を担わせ、人間の仕事の一部をロボットに実行させる社会
  1. IoT等で集めた山のようなデータを、
  2. AIで処理、判断させ、
  3. ロボット(機械)等に実行させる、社会です。
これまでの人類の社会の変化を整理すると




狩猟社会(Soceity 1.0)⇒農業社会(Soceity 2.0) :農耕革命
農耕革命では農業の発明により、食料の生産手段が狩猟採集から農業へと変わりました。その結果、人類は定住生活が可能となりましたが、余剰食糧の多少により貧富の差が生じ、社会における階層が生まれました。
農耕社会(Soceity 2.0)⇒工業社会(Soceity 3.0) :産業革命
18世紀末の産業革命は蒸気機関の発明を端緒とみなされたもので、これまで人や家畜に頼っていた動力が機械に変わりました。20世紀初頭の電気の発明に至るまでの一連の過程で、人類は圧倒的な生産性の向上と移動時間の大幅な短縮等、生活の利便性向上を実現しました。生産要素として人+資源が重要となり、近代資本主義が成立しました。
工業社会(Soceity 3.0)⇒情報社会(Soceity 4.0) :情報(IT)革命
1994年ごろからインターネットが広く一般に使われるようになり、ブラウザを介して世界中の情報がいつでも、どこでも手に入るようになりました。電子商取引(EC)の発展は人々の購買行動を変え、小売業は大幅な構造改革を迫られました。
情報革命は生産性革命にも大きく寄与しています。1994年から2014年の間の20年間のGDPの伸びは、「失われた20年」の中にいた日本を除く先進主要国では2~3倍、インドでは6倍、中国では18倍となっています。
情報社会(Soceity 4.0)⇒超スマート社会(Soceity 5.0)
Society 4.0までの社会では、「人」が自らサイバー空間にアクセスして情報を得る必要があるのに対し、Society 5.0では、情報をIoTで収集し、AI、ロボット等が処理、実行するまでを自動で行うようになります。
このように、人が行っていた作業の機械化、自動化が進められることで、生産性が爆発的に向上します。この社会変革はここまで挙げた三つの革命に匹敵し、変革実現後の社会はこれまでの情報社会(Soceity 4.0)とは別物であるということから、変革実現後の社会のことを「Society 5.0(ソサエティ5.0)」と表現しています。

(1)生活の各場面で、AI、ロボットの恩恵を受けることが可能に

現在、AIやロボットを利用するサービスはまだわずかですが、Society 5.0実現後は、私たちの生活、産業の各分野で、どんどん増えていきます。
例えば健康・医療・介護分野では、AIによる遠隔医療、介護ロボット等が活用されます。
金融分野では、Fintechの発展とともに、AI判断を根拠とする投資が行われます。農林産業分野ではデータ分析に基づいた安定生産が計画され、作業は無人農機、ドローンにより自動化されます。そして移動分野では、まず公共交通機関等の車両の自動化が先行して進み、宅配もドローンにより自動化される見込みです。

(2) 2020年ごろには、一部のサービスが実現

  政府のロードマップでは2020~25年ごろと見込まれていますが、政府広報では「すぐそこの未来」と表現されています。政府は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが一つの目標タイミングとして重要であるとしているのです。
 例えば自動車分野では、高速道路(新東名)でのトラックの後続無人隊列走行、地域では無人自動走行による移動サービス(小型カート等による移動で、ルートは限定)の実現が目標とされている。

 5.0”の意味とは

これまでの人類の歴史では、科学技術のイノベーションが人間の生産活動を根本的に変え、その結果、社会構造までが大きく変化してきました。人類史の最初の社会である狩猟社会を一つ目の社会とすると、現在はSociety 4.0(情報社会)にあたりますが、IoT・AI・ロボット等が活躍する社会は、Society 4.0に続く人類史上五つ目の社会となることから、Society 5.0と命名されているのです。

iot とは「internet of things]の頭文字をとった略語で、読み方は「アイオーティー」となります。直訳すると「モノのインターネット」、つまり、インターネットによる情報伝達機能を「モノ」に対して組み込むことで、モノとモノ、モノとヒト、最近ではモノとコトも、インターネットでつなぐ仕組みを表せるそうです。

IT は「Information Technology」の略であり、情報技術という意味を持ちます。インターネットなどの通信とコンピューターを駆使する情報技術をIT技術と呼んだのです。
         平成30年10月                  八 大














 

「深大寺白鳳仏」の画像検索結果深大寺
 私達多くの人が一度は訪れたことがあると云われる奈良時代の白鳳仏で知られる深大寺ですが意外と思われるのが昨年の三月に国宝に指定されたことであるりますが国宝の指定までにはそれなりの経緯があったそうです。
 こんなに素晴らしいお釈迦仏が何で今頃になってから「国宝」になったとは、お釈迦様でも知らなかったでしょう。
 よくお姿を鑑賞するとお顔に微笑みを浮かべたお顔は法
隆寺の夢違観音や鶴林寺の聖観音像に共通するものがあり、今までの時の流れをまったく感じさせない。
当、釈迦如来像は飛鳥時代の後期(白鳳期)7世紀の作品で高さが60㎝の関東地方では数少ない古代の仏像です。

お顔は童顔で眉から鼻に連なる線と並行して流れる衣文、適度に張りつめた肉付けなどは厳しいお顔の飛鳥寺大仏に
比べると何とも癒される親しみやすい仏様でこの時代の特
色を表していると云われている。
 釈迦如来のお姿の多くは「立像」や「座像」が主流
ですが椅子に座った形の「椅像(いぞう)」であります。

 また江戸時代より名物の深大寺蕎麦は評判でありますが、蕎麦は勿論ですが何と云っても深大寺湧水からの贈りでしょう。
喉ごし爽やかお店の水車が自慢の呼び込みにも一役買っているようですね。

                 平成30年10月              八大