茗荷と物忘れ

 ミョウガを食べると物忘れがひどくなるって本当なの?

庭の片隅に毎年恵みを届けてくれる氏神様から今年もミヨウガの献上がありました。大きく繁った葉の下に透き通った新芽が顔を出しています。頭の中はすぐ反応します、素麺や蕎麦の薬味・・新鮮な歯ごたえと香りを届けてくれるものが浮かびます。季節感があり田舎暮らしには欠かすことのできない一品です。

「ミョウガ」と呼ばれるものの内部には開花前の蕾が3~10個程度存在する。その為この部分を「花蕾」と呼ぶ場合もあります。一方、若芽を薄紅色に着色したものを「みょうがたけ」と呼び春の食材ですが、晩夏から初秋にかけて発生し秋を告げる風味として喜ばれるのが「花みょうが」です。独特の香りが好まれ麺類や冷奴の薬味など香辛料としての利用はご存知の通り。その他に天ぷらや酢の物、味噌汁の具など、田舎では山椒、ミツバと並んで屋敷林の木陰に丹精に育てて日常のチョットした薬味として確保しておくものでしたね。

俗説に「食べると物忘れがひどくなる」と云われておりますが、記憶への悪い影響は学術的にも根拠は全くないそうです。寧ろミョウガの香り成分には集中力を増す効果があると専門家は云うそうです。                                ここで落語の中にミョウガに関わるおもしろい噺をご紹介します。


「茗荷宿」 落語のあらすじ
東海道の神奈川宿に茗荷屋と云う代々繁盛していた料理屋があった。当代の亭主は道楽者で身上を潰してしまい仕方なく宿場のはずれに小さな宿屋を出したが、客あしらいも悪く家も汚くなり泊まるものもいなくなる有様でした。亭主夫婦は宿をたたんで江戸に出て一から出直そうと決めたある夜更けに、年配の商人風の旅の男が一晩泊めてくれと入ってくる。

男は商用の百両が入っていると云う荷物を預け、すぐにぐっすりと寝入ってしまう。百両に目がくらんだ亭主は台所から出刃包丁を取り出し客間に向かうが、女房に気ずかれ浅はかなことと思いとどまる。

だが女房も喉から手が出るほど百両が欲しい。そこで妙案が浮かんだ。宿の裏にごっそり生えているミョウガを刈って客の男に食べさせるのだ。茗荷は物忘れをさせると云う。客に茗荷ばかり食べさせ預けた荷物のことを忘れさせてしまおうという算段だ。

翌朝、ぐっすり寝て気分良く起きてきた男に、宿の女房は「今日は先祖の命日で、茗荷を食べる慣わしになっています。」と茗荷茶、茗荷の炊き込みご飯、茗荷の味噌汁、茗荷の酢の物など茗荷ずくしの膳に並べる。男は「美味い、美味い」と茗荷をたらふく、満腹、満足して預けた荷物も忘れて宿を立って行った。

宿屋の夫婦はまんまと計略が成功し百両が手に入ったと大喜びも束の間、男はすぐに戻って来て預けた荷物を持って行ってしまった。糠喜びでがっかりした夫婦は・・

 亭主 「何か忘れて行った物はないか」、暫くして女房が気ずく
 女房 「ああ、あるある」
 亭主 「何を・・」
 女房 「宿賃の払いを忘れて行っちゃったよ~・・・」

  令和3年 文月       八 大     





凌霄花(のうぜんかずら)

 古利根川沿いをいつものように歩くと鮮やかな色をした花を見かけます。電信柱の途中まで伸びた赤朱色は・・そうです巨人軍のマスコットカラーの凌霄花(のうぜんかずら)です。春ですからいろいろの花が見られますが特に目立っていますね。

ノウゼンカズラは夏から秋にかけて橙色の美しい花をつけ樹木や壁などの他の物に付着してつるを伸ばしていきますね。中国原産ですが平安時代に朝鮮を経由して日本に渡来したものと云われています。中国語でノセウが訛ってノウゼンとなって蔦が他の木に絡んで昇っていくためカズラの名が付いたと云われます。英語名では花の形がトランペットに似ていることから「トランペットフラワー」と呼ばれているそうです。

話は変わりますが若かりし昭和30年代の駆け出しの頃に、島倉千代子が歌っていた「ふるさとの花」がありましたがのうぜんかずらの歌詞が入っており何故か心に残っておりました。                         「 一人の兄が大学へ 立つ朝駅で見送れば さみしい妹の肩先を                                    ・  やさしく撫でた凌霄花 あゝ思い出の花 ふるさとの花 」                 

花言葉はラッパ上の花を咲かせる花姿から、英雄や勝者を祝福する際のファンファーレで吹くトランペットを連想する「名声」「名誉」「栄光」が名付けられています。

 令和3年 水無月        八 大




姫百合

 この季節、毎年我が庭に鮮やかな橙色にくっきりとした六花弁を咲かせるユリ科の花ですが、最近はシカの食害によって自生の姫百合は減少を続けているそうです。でもかろうじて園芸の愛好家によって人気があり栽培の対象となって都市部で多く見かけるようになっております。

「万葉集」では女流歌人である大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が姫百合をモチーフにした恋の歌を詠んでいます。彼女は万葉集を代表する歌人で女性の中では最も多くの歌が収録されています。代表的な歌「夏の野に繁みに咲ける姫百合の 知らえぬ恋は苦しきものぞ」があります、説明を入れるほどの事はありませんが・・・姫百合のように人知れず思う恋はつらい物です・・と。

戦時中に若くして亡くなった沖縄の「ひめゆり学徒隊」が有名ですがその関係は殆どないそうです。此のひめゆり学徒隊のもととなったのが、その当時「乙姫」「白百合」と云う二つ広報誌があったため「姫」と「百合」を取って「ひめゆり」になったのが実話だそうです。

ユリは 海外のキリスト教圏では聖なる花として知られていますが純潔の象徴として聖母マリアのシンボルとされており6月27日の誕生花とされており、花言葉は「誇り」「可憐な愛情」「強いから美しい」と云うもので、美しく気高く咲く姫百合にふさわしい言葉ですね。

 令和3年  水無月        八 大



水無月

 六月を和風の月名では「水無月」と呼ばれています。この時期こんなに雨が降るのにどうしてだろうと不思議にと思いませんか、調べてみました。水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞の「な」であるため、「水の月」という意味になります。

水無月
「水無月」は旧暦に使われていた和風の月名で、現在の新暦では6月を示します。和風月名は万葉集や日本書紀にも登場し、音の響き、漢字、意味に至るまでその月を象徴しているものが多く風情を感じさせてくれますね。「水無月」の由来は諸説あって、水が「無い」わけではなく「水の月」であるとか、田んぼに水を入れることを「水張月」とう説などがあります。この時期の雨は稲が実を結ぶために重要なものであるため、豊作を願う人々の思いがこの呼び名に表れている、ともいわれています。

また一方では暑さで水が涸れるところから「水無月」と呼ばれている説もあるそうです。これは旧暦の「水無月」が現在の六月下旬から八月上旬のころ梅雨明けして雨が降らなくなる日が照り付ける暑い時期の事を本来は示していたそうです。

六月には年中行事として、衣替え・田植え・入梅・夏至・夏越の祓と続きます。特に30日はご存知の夏越の祓がありますが全国の神社で神事が執り行われます。無病息災を祈る「茅の輪くぐり」の神事や、人の形に切った紙、人形(ひとがた)に名前を書き込んで息を吹きかけ、身の汚れを移し神社で祓い清めてもらう神事もおこなわれています。

「水無月の夏越の祓する人は 千歳の命延ぶと云うなり」
                    「拾遺和歌集」詠み人知らず
                        
 令和3年 水無月           八 大




漏刻の話

近江神宮 漏 刻
 6月10日は「時の記念日」です。天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻(ろうこく)と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづき、その日を太陽暦に換算して、定められたといわれます。現在ではカレンダーを見るといろいろな記念日が掲載されていますが、各種の記念日のなかでも時の記念日は最も初期に定められています。

第1回時の記念日は今からちょうど100年前大正9年(1920)のことでした。大正時代と云う時代背景からもう分かるように、衣食住をはじめ社会生活の近代化に進もうとする当時の勢いは凄かった。特に時間厳守ということで、時間を節約することによる効率性の向上が近代生活の基本として位置づけられたようです。生活改善運動として当時の渋沢栄一等が活躍した時代でした。私が子供の頃、銭湯の柱時計の隣に「時間守って楽しい集い」なんて古めかしい標語があったのを今でも覚えています。

3年程前、近江神宮を訪ねた時、話に聞いていた漏刻の展示物を見ることが出来ました。これが日本の時計の始まりという事は知られております。三段に重ねたマスから流れ出た水の糧で時間を知るなんて(古代のメソポタミアや中国では水時計として存在していたことは知られていた)昔の人達は大変な思いでこの精巧な水時計を作っていたことを知って、改めて時代の流れを噛み締めた次第でした。近江神宮では漏刻祭として現在も昭和16年6月から絶えることなく現在に引き継いでいるそうです。

 令和3年  水無月          八 大