坂村真民 先生

「念ずれば花ひらく 」

念ずれば花開く
あまりにも有名な言葉なので何処かでお聞きになった言葉と思いますが、一遍上人を敬愛して午前零時に起床して夜明けの川のほとりで地球に祈りをささげる生活を続けていた人、それは「坂村真民 先生」です。そこから生まれた人生の真理を紡ぐ言葉は弱者に寄り添うことで癒しと勇気を与えるも、私たちの世代にも多くのフアン層がおられましたね。

いつも母が唱えていた言葉「念ずれば花ひらく、念ずれば花ひらく」との、言葉が真民先生の詩魂に火をつけ、詩の道一筋に人生を歩む原点となったと云います。「自分を作るために詩を書く」「そして人びとの心に光を灯す」地球の地面に口をつけて「地球さん、ありがとう」と感謝の念を込めての毎日だったそうです。

「念ずれば花ひらく」その本心                                                                                                                           

苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを                  わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび                わたしの花がふしぎと ひひとつひとつ ひらいていった

多くの作品名言を残されています是非ともご照覧ありますように・・・。


坂村真民さん さかむら・しんみん
明治42年熊本県生まれ。
愛媛県で高校教師を務め、65歳で退職。
37年、53歳で月刊個人詩誌『詩国』を創刊し、平成16年95歳まで通算500号を発行する。
18年97歳で永眠。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。

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人生は80歳から

 80歳!もう歳だから・・・あとはお迎えを待つばかりだなんて思っている人はいませんよね? もうここまでやって来たんだから「余生」を楽しまなくってなんて思っていませんよね? いやいや私にはまだまだやる事がある、これからが人生の面白いところですよね! 熟成された美味しいお酒はこれから出てきますよ。    今からでも遅くない居眠りばかりしていないでもう一歩踏み出しませんか!

日本人の平均寿命は、現在男女ともに80代を超えています。やがて人生100年時代はすぐそこまで来ています。80歳になったら、もう出来ることなんてないなんて・・・と、ただ何となく日々を過ごすなんてのは勿体ない話です。
年齢に関係なくまだまだやれることは沢山あります。

   ーーー  人生これからも前向きに  ーーー

まだまだ元気!
趣味を再確認しておく                              年齢に関係なくその先の先を見越して今のうちに少しずつ趣味となるものを広げていきましょう。80代以降のことを準備期間としてイメージしておくと趣味を探しやすくなります。

友達を見つける

70代のうちに仕事以外の友人を確保。
職を退くしてしまうと付き合いが少なくなってしまう人も多いかもしれません。
そう言う意味でも趣味の友達は本当に大切です。
ボランティアや自治会活動などで地域活動の友人を作るのも良いでしょう。

バランスよい食事                                        70歳からの生活を考えるとき、心がけるのはバランスのとれた食事ですね。たんぱく質、ビタミン、食物繊維、炭水化物などがバランスよく取れるように心がける。健康なくしては、70代、80代の生活を楽しめないですん。

エンディングノートを書く                         70代は人生の大きな一区切り。 これからの人生を考えるためにエンディングノートを書いてみましょう。エンディングノートは、残された家族のためだけのものではない。自分の人生を整理することは、これからの人生を充実させるためにも必要です。


他に ウォーキング、旅行、ガーデニングなどもお勧めです。

日本人の平均寿命(2019年調べ)平均寿命 男 81,41歳  女 87,45歳


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梅干しの話

 今年も近くの農家の庭先では梅の木がたくさん実をつけています。梅は古来より身近に親しまれている植物で梅干しとして無くてはならない食品でもあります。

梅干し
「塩梅(あんばい)」と云う言葉がありますが、これは元々梅の塩漬けがうまくいったことを表していて、その加減や調整がうまくいったときに使われています。 

お花見と云えば現代では桜の花を見ることを指していますが奈良時代より以前は花見と云えば梅の花を愛でることだったそうです。平安時代の半ばごろから、徐々に梅の人気を凌ぐようになり、江戸時代ごろからは「花見と云えば櫻」が定着していったそうです。

梅の花が咲くのは二月ごろから四月にかけて実が赤くなるのは六月のこの時期ですね。その梅の実は梅干し・梅酒・ジャムなどに利用され、おにぎりやお弁当には欠かせません。強い酸味が特徴でクエン酸が豊富に含まれていることから健康食品として愛用されていますね。

私が子供の頃夏の暑い日に、祖母がコメカミノところに梅干しを張り付けて夕食の支度をしていたのを見て何のお呪いなの?・・と聞いたことがありました。すると即座にこれは攪乱除けだよと云われ、忙しいんだからアッチへ行ってなさいと相手にされませんでしたね。そんな梅干しの思い出がありましたネ。

元々梅干しは湿布のように貼る薬のようにコメカミに梅干し片を貼りつけ、頭痛や癇癪の治療に使用されたり漢方薬として梅干しを黒焼きにして腹痛、駆虫薬(体内に寄生している虫の駆除薬)解熱、腸内の消毒などに用いられ、当時では人々にとって欠かせない薬で、ご飯のおかずや酒の肴としても愛されていたと云う

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百合の花

百合
今年も咲いてくれた百合の花有難う。15年程前に那須岳に登った帰りに駐車場のおばさんが記念にどうですかと云われてお土産に買い求めた球根でしたが早夏の知らせを毎年知らせてくれます。

細い茎に大きな花が咲き風に揺られることから「ゆる(揺る)」それが変化して「ゆり」になった・・と。漢字の「百合」は漢名からで葉や鱗茎(りんけい)が多数重なり合うこと。風に揺れることから「ゆる(揺る)」、それが変化して「ゆり」になったと云う。

我が家の百合
ユリの最も一般的な花言葉は「純潔」「無垢」「威厳」です。「純潔」と「無垢」はキリスト教の聖母マリアの逸話(マドンナリリー)に由来し、威厳はそのその堂々とした花姿からと云われています。

「百合」の語源には他にもありますが、花が風に揺れる姿を「揺り(ゆり)」、鱗状に重なり合った球根の形を「寄り(より)」といったことや、古事記に登場する伊須気余理売(いすきよりひめ)の「余理(より)」に由来するなど諸説あるそうです。


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「麦秋」の頃

麦秋 と云うけれど、まだ6月に入る頃なのに・・・秋が来るの?  秋の意味は麦が実り収穫を迎えるところから麦秋と呼ばれたのですよね。二毛作の農家では短い秋を過ごしてもう一仕事です。雨の少なかった季節ですがもうすぐそこに梅雨が迫ってくる頃、麦の刈り取りがが始まります。

麦の穂
また古い話になりますが、小津安二郎監督の名作映画にも「麦秋」のタイトルがあります。年頃の娘を持った家族が縁談を心配していたところ立て続けに結婚話が舞い込んできます。生育の早い麦は手間いらず孝行娘のようなもの、まさに実りを迎えた娘の複雑な思いを原節子が演じておりましたね、他に笠智衆や杉村春子と云った面々が好演していたことを思い出します。

日本国の半分ぐらいの地域では有難いことに同じ田んぼと畑でお米と麦が収穫できる。そのやり方を「二毛作」と云うんですよね。春の5月頃に水田に田植えをして、秋に稲を刈りとる。その後11月ごろに麦の種を蒔き3月から4月にかけて麦刈りをするようなスケジュールになっているようです。                 

アジア・モンスーン地帯最北地域の島国としての特殊な気象条件を生かして日本に於いては、水田に夏は湛水して湿潤熱帯性の水稲を栽培し冬は水を落として畑地化して冷温帯性畑作物のムギを栽培すると云う水田の米麦二毛作技術が確立した。

何となく植物って暖かい時期に育つのでは・・・?との、イメージがある方が大半かと思いますが麦は冬に芽を出すんですね。寒い冬を越えて暖かくなる時期を待つ麦って我慢強くて力強いと思いませんか? そんな麦だからこそ体に良い様々な効力を持っているんですね。冬を越えた力強い麦を想像しながら麦を食べています。

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