近くの田んぼでは刈り入れが終わり、コンバインの姿は見えなくなりました。子供の頃、稲刈りの作業は農家にとっては家族総出の一大年中行事だったようで小学校が休校になったことも思い出しました。その後時間を置いて刈り取った稲の間に飛び回っているイナゴを捕まえ布袋に取り込むころが懐かしく思い起こされ・・そんな時期があったな~と今でも思い起こします。
小学校の教壇の前には「ミレーの落穂ひろい」の額があり、何か老婆達が腰を曲げて落穂を拾っている様子がありました。何をしているのかなんて考えることもなくそのまま受け入れていたように思っていました。そんな事より母親に縫ってもらった布袋に如何にしてイナゴを沢山捕まえる事だけが私にとっての仕事だったように思っていました。
ミレーの落穂ひろい |
旧約聖書の中に、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」とあります。「畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。
収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい」。「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」とある。これは近代の農村社会でも貧者の権利として一部に残っていた慣習であると云います。貧しいながら力強く生きる生命力を感じさせるミレーの巧みな技法によって評価される作品と云われます。
霜 月 八 大
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