また、乾燥させた小さなつぶつぶの実はより分けて良く洗ってから煮つけにしたり、大根おろしと混ぜて食べていましたが、プチュプチュして歯触り良かったのを覚えています。中国より伝わったころには食用として渡来したもので、その頃から「とんぶり」と呼ばれており私たちの育ったころは畑のキャビアと呼ばれていましたね。
令和3年 長月 八 大
また、乾燥させた小さなつぶつぶの実はより分けて良く洗ってから煮つけにしたり、大根おろしと混ぜて食べていましたが、プチュプチュして歯触り良かったのを覚えています。中国より伝わったころには食用として渡来したもので、その頃から「とんぶり」と呼ばれており私たちの育ったころは畑のキャビアと呼ばれていましたね。
令和3年 長月 八 大
里芋の皮をそのまま蒸し,その皮を剥いで食べる料理を「きぬかつぎ」(衣被き)と云う。
泥だらけでお世辞にもきれいとはいえない姿の里芋ですが、その独特のねっとり感とやわらかさは、和食のメニューには欠かせない野菜です。子供の頃「おやつ」として、小腹の空いたころに食べた塩味は今でも口元に残っていましたが、何できぬかつぎと云うんだろうと思っていましたが、本当に変な名前として頭に残っていました。これは平安時代以降に登場しました女性が外出時に頭から被った布のことだそうです。その時代には婦女子が衣もしくは薄衣を頭から被るようになり、脱ぐことが簡単であることから衣被かづきになぞらえてそう呼ばれたようです。その背景として風や埃を防ぐ目的と共に、顔を人前に晒すのを恥とする意識があったとみられています。衣服には単に手で前方をつぼめるものと腰のあたりで帯を結ぶものがありました。里芋のぬめりは胃の粘膜や腸の働きを活発にし、血糖値や血中コレステロールを抑える働きがあると云われています。そのほか塩分の取りすぎを抑える効果や、足のむくみの防止にも効果があるそうです。しかも他の芋類に比べると低カロリーで女性にはお勧めの野菜であると云われています。料理の主役ではありませんが煮物には欠かせない一品すね
また里芋は親芋のまわりに子芋がついて、更に子芋のまわりに孫芋が連なるところから、子孫繁栄の縁起物とされています。そのため、里芋の煮物はおせち料理やお祝いの膳の定番となっていて重箱の中では欠かせない一品でもあります。
令和3年 長月 八 大
日本には江戸時代初期の頃中国から渡来したが、花を見ることしか考えなかったため雄株しか入ってこなかったが挿し木で簡単に増やすことが出来たので多く庭木として採用され増えて行ったようです。雌株は冬にクコの実程の小さな実を付け、熟すと紫色になる。そんなことから中国まで行かないと実を見ることは出来ないようです。
この季節に良く降る「桂花雨」の合間を縫って地上に白い布を敷いて竹竿で木の枝を叩き花を集め、その花を使って「桂花茶」「桂花酒」が加工されこの時期に食べる桂花入りのお菓子を作られたと云われています。 木犀や障子閉めたる仏の間 正岡子規
令和3年 長月 八 大
旧暦八月十五日の満月は中秋の名月と云われ里芋の収穫時期にあたり芋名月とも呼ばれ、農村を中心に庶民の間の間で行われていた収穫祭と結びついて豊作への感謝を込めて芋をお供えする習わしがあった。
満月の前後の呼び名は、十三夜、子望月(こもちずき)十五夜、十六夜(いざよい)立待月、居待月、寝待月、更待月と、一夜一夜の月に名前を付けるほど月が身近に、愛でたい存在としてあったのでしょう。また十五夜が雲に隠れて見えないことを無月、雨で見えないことを雨月と雲の向こうの満月を言い表しました。
昔の日本は太陰暦で、月の満ち欠けと太陽の動きを基にして作られた暦で農業中心でその暮らしに役立てておりました。旧暦の7,8,9月を秋としておりその真ん中の日の8月の15日を「中秋」と呼び、その晩に上がる月を「中秋の月」と云いました。旧暦と新暦では1か月~2か月のズレがあるため現在の中秋は9月だったり10月だったりします。
日本では十五夜の月見が盛んになったのは平安時代に貴族の人達が、空を見上げて月を眺めるのではなく、水面や盃の酒に映った月を愛でたという事が書かれております。月が美しいから感激して眺めていたんでなくて、水面に映し出されたその月を愛でていたとは何と奥ゆかしいことか言葉が出ません。
また本場、中国の中秋の名月は、中華三大節の一つ中秋節として、家族や親しい友人を招き月餅を食べ月を見るという風習があり、現在の月餅はその時期の贈答品として定着したものだそうです。
令和2年 長月 八 大
社日と云う言葉は知らない人が多くなっていると思います、前後にある祝日に埋もれてしまって、最近ではその影がますます薄くなっており昭和の時代が益々遠くなっていることを実感してます。春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃に最も近い戊(つちのえ)の日を「社日」と云います。令和2年春の社日は3月16日で秋の社日は9月22日になります。その土地の神様を祀る日とされております。
社日(しゃにち・しゃじつ)
その由来ですが春の社日の頃は種まきの頃であり、秋の社日の頃は収穫の頃にあたります。そんなことから社日は重要な節目と考えられ、春は五穀の種子を供えて豊作を祈り、秋には初穂を供えて収穫を感謝するようになりました。
社日を祝う習慣は元来中国にあり「土」と云う意味がある「戊(つちのえ)」の日に豊作を祈願するするもので「社」とは土地の産土神(生まれた土地の守護神)のことを表しています。この風習が日本に伝えられると、土地の神様を信仰する日本の風土に溶け込み、重要な農耕儀礼として全国に広がったと云われています。
社日は「土の神」を祀るので、この日は農作業など土をいじることを忌む風習が各地にみられます。信州・上田平の地を訪ねた時には「お社日様は」春は神迎え、秋には神送りとして餅をついて祝っていることが現在でも行われております。そういう昔からの風習が残っているところを訪ねると改めて日本人としての歴史や民族の誇りを感じますね。
令和2年 長月 八 大
鶺鴒(せきれい)
古利根川の人道橋付近は川幅も広くゆったりとした流れは釣り人も多く、何となく人の心も穏やかになっていくようで楽しいスポットですね。いつものように水面を眺めていると朽ちた釣り船に留まって尻尾を上下させている鶺鴒を見つけました。その細めの体と長い尾が特徴的な鶺鴒はその長い尾でちょんちょんとリズムをとるようにして、歩き回り水生植物や昆虫をあさっているようです。その長い尾を上下に振る習性から地方によっては「石たたき」「庭たたき」などとも言われています。
日本書紀には日本神話の国生みの伝承として「恋かぞえ鳥」「恋知り鳥」という異名もあるそうですが、これは神話の中にあるエピソードが由来だそうです。それは日本の国を創ったイザナギノミコトとイザナミノミコトは結婚したものの、子供の作り方が全くわかりませんでした。そこへ鶺鴒が飛んできて盛んに尾を上下に動かす動作見せると納得し二人の神は性交の仕方をすぐに覚えたのです。
神様のやることは早いです、直ぐにイザナミは大八嶋(日本列島)を産み落としたのでした。今の日本列島があるのは鶺鴒のお陰かもしれませんね。そんな伝説からか鶺鴒は結婚にゆかりの深い鳥になっており皇室での成婚時には、新床の飾りとして鶺鴒が置かれていたとも言われております。
また鶺鴒は盛岡市や喜多方市、水戸市、あきる野市、板橋市、岡崎市など全国各地の自治体で愛される鳥として指定の鳥として選ばれているようです。一般にみられているセキレイは日本ではセグロセキれレイ、ハクセキレイ、キセキレイが主であるが中国地方にいるイワミセキレイと云う種は長い尾を左右に振る習性があるそうで見られると面白いですね。
令和2年 長月 八 大
今現在9号台風が長崎県の西方沖を通過中で関東地方にまで影響しているらしく、一方で南方海上の遠くであるが暖かい湿った空気を伴った10号台風が北上中とのことです。間にある日本列島が息を吸ったり吐いたりしているらしく、その為かアコーデオンの風琴のように息をしている感じであり私達にとっては出ることも入ることも出来ずいい迷惑である。そんな状況をにわか雨と云われていますが、都合の良い話ですよね。国語辞典によると「にわか」の意味は、物事が急に起こるさま。病気が急変するさま。一時的であるさま、かりそめであるさまの意味がある。にわか雨には「にわかファン」の意味もあります。
江戸から明治にかけて宴席や路上などで行われた即興芝居を指す言葉が語源であったと云います。俄狂言(にわかきょうげん)を略したもので俄=素人が演じたことからこう呼ばれたようです。この俄が各地で起こり、大阪俄は現在一般的な漫才などのお笑い文化の源流になっており職業化されだし道頓堀相合橋には俄専門の舞台が作られたと云います。
これらが新喜劇に繋がり、松竹新喜劇の旗揚げで初代渋谷天外なども俄から出て楽天会を主催していたと云います。それからは横山エンタツ・花菱アチャコと続き現在のお笑い界に続いております。地域は違いますが九州俄の系統があり博多俄・肥後俄・佐賀俄・・と広がりを見せており、そんな中では半面(目かづら)を付けて演じる博多銘菓「二〇加煎餅(にわかせんべい)」なども今に残っています。午後になってから俄が通り過ぎたようです。 令和2年 長月 八 大
出穂水(でほみず)って言葉を聞いたことありますか? あまり聞いたことがない言葉ですが、昨日古利根川沿いの小さな田んぼにポンプで水を汲み上げていた農家のお百姓さんがいました。連日酷暑日が続いていますが「この時季一番大変なことは水の管理なんです」朝夕の水の管理の良しあしによってお米の味が変わるんですと云って話をしてくれました。此の田んぼも今ではスイッチを入れれば水が上がってくるが、昔は水車(みずぐるま)を足で漕いで水を確保していた頃が昭和の初めごろまであったんです。
その水車を踏車(とうしゃ・ふみぐるま)と呼んでいて、日本においては江戸時代中期以降に普及しておりました。この古利根川の付近でも足踏み揚水機は古くからの農家や古民具の展示場などで見られます。人が車の羽根の上に乗り、羽根の角を歩くことで車を回し、水を押し上げるからくりで使われており、田んぼに入るにも、舟(サッパ舟)で移動していたそうです。今でもその風景は遠くは東南アジアの稲作地域にも見うけられます。
私達日本の稲作農家にとって一番大切なことは水の管理だそうで、日照りの頃の水争いはその地域の中でも大変な騒動になったことが語り継がれて来ておりました。またお米の品種がコシヒカリをはじめひとめぼれ、ササニシキなど評判の種類が品種改良されて美味しいご飯が食べられますが、何と云っても田んぼの水の管理によって愛情をかけて出来たお米が美味しいと古利根の古老が熱く語ってくれました。水の管理(加減)は一番大切であるとのことです。
令和2年 文月 八 大
此のところ暫らく暑い日が続いており寝床にスズムシの籠を置きクーラーのお世話になっていましたが、昨夜は久しぶりに気温が少し控えめに感じたので、網戸にして眠りに入りました。 だが、しかし快い感じを予想していたにもかかわらず五月蠅いほどの虫達の奏でる大合奏となってしまいました。
スズムシの優雅な音色に合せるように、ギイッチョン、ガチャガチャ、ジ~ジ~っと・・・一晩中秋の虫たちの競演が続き夢のようなナイトタイムを過ごすことが出来ました。勿論その夜の主役はコンサートマスターである我が家のスズムシ君でありました。こんな夜が来るとは思いませんでした、草むらの演奏者の皆さん有難うございました。都会でのマンション暮らしの人達には恐らく味わえない程の極楽気分でした。
草むらや地上に鳴いている虫の声を文字で表現するのは非常に難しいのですが、鳴き声から察するに、キリギリスがギィ―チョン、カンタンがルルルルッ、ウマオイがスィチョンン クツワムシがガシャガシャ、エンマコオロギがコロ・コロ・コロ、マツムシがピリッ・ピリリッツ、と続きます。聞くところによるとこのカネタタキという虫がいるそうでがチン・チン・チン、と鉦の音に聞こえるそうで、お寺に居るように感じるとか?。
日本人が虫の音を愛でて秋を感じるようになったのは、平安時代だそうです。この頃すでに虫の音を愛でる風習があったことが記録に残されています。鳴き声を楽しむことが貴族の間で流行していたそうです。清少納言の「枕草子」の中には「スズムシ、松虫、キリギリス、はたおり」が登場していますし、紫式部の「源氏物語」のなかにもスズムシや松虫が描かれております。
令和2年 文月 八 大
私たちが子供の頃「藪入りという言葉が残っており前日の15日はお盆と云う重要な祭日でし
た。そこで奉公先や嫁入り先の用事を済ませ、その翌日の16日が実家の行事に参加ができるように休みが与えられたようです。現在のように定休日がなかった時代に、正月と盆の藪入りは奉公人たちにとっては大変貴重で待ち遠しい日でした。また親元に帰れない者も芝居見物などに出掛け年に二回だけのお休みを楽しんでいた。嬉しいことが重なったとき「盆と正月が一緒に来たよう」と云いますが、昔の奉公人にはこの2つの藪入りは本当に楽しみだったに違いありません。今日8月16日には決まって茗荷の葉でくるんだ炭酸饅頭をおやつに食べさせてもらったことを思いだいました、遠くなった昔の話です。何でこんなお呪い(おまじない)のようなことをして・・?と思いながらも食べることの方が先だった。この地方の風習で酷暑に負けないお呪いと疫病除けの意味もあり有難がって食べていましたね。
戦後世の中の労働スタイルが大きく変わって日曜日などの定休日が出来ると藪入りは遠く忘れられて行きましたが藪入りの伝統は正月休みや盆休みの規制として残っていて、最近では大型連休や最近ではコロナ禍と相まってGO-TOキャンペーンと云う言葉まで臨時に拡大して来ていますね。
また「地獄の窯の蓋が開く」云われるこの日は、お盆の時期、霊が里帰りして地獄にいないので地獄番の鬼も休みです。その頃に畑の土に耳をつけると、ゴーッという地熱の沸くような音がするそうで、地獄の窯の蓋が開いて霊が飛び出してくるので、仕事をしてはいけない日とされたそうです。仏教では藪入りの日を「閻魔の賽日」といい「地獄の蓋が開き亡者も責め苦を逃れる日」であり「罪人を責めていた地獄の鬼たちさえもこの日は休むから、人も仕事も休む」と考えられたのでしょう。
令和2年 文月 八 大
火焔型土器 「なんだコレは」
新潟県の山奥であった現在の十日町市の笹山遺跡から1,980年~1,986年にかけて火焔型土器
の発掘調査が行われ教科書に出て来るような形の土器が出て来て、大きく立ち上がる突起が燃え盛る炎のように見えることから命名されました。日本一の大河である信濃川の流域は、8000年前に大きな気候変動があり一転して雪国となったと云われています。遡る事5,000年程前に何とも奇抜なかっこうの「火焔型土器」が出現したそうです。鶏の頭のような4つの突起があり、縄文土器を代表するものです「なんだコレは!」と叫んだのは岡本太郎でした。火焔型土器の芸術性を発見したその後世界的な評価を得て新潟県では初の国宝に指定されました。
「火焔型土器 6つの秘密」
1 ニワトリだと思ったら実は魚だった?
いちばんの特徴は4つの大きな「鶏頭冠突起(けいとうかんとっき)」鶏のトサカに似ていますが、この時代・地域に鶏がいた記録がなく、「水面を跳ねる魚」か「4本足の動物」を象ったと云われています。突起には左向きと右向きがあります。
2 逆さまに埋まっていました
1982年に新潟県十日町市の笹山遺跡から出土。鶏頭冠突起を下にした逆さまの状態で発見され、突起も尻尾も完ぺきな状態だったそうです。
3 人類初の化学製品?
粘土に鉱物や繊維を混ぜ、低温で焼いて固い器にする。縄文土器は人類が初めて化学変化を応用して作ったものでした。石や骨を削るのと違い、成形途中で形の修正が出来る点も画期的。個性的な造形を産みました。
4 ギザギザの秘密は?
口縁にノコギリの歯のようなギザギザがあるもの、火焔型土器の特徴。このギザギザが「火焔」の語源となりました。その特徴的なデザインを強調するように、年度のひもで縁取りされている点も見どころです。
5 「縄文」じゃないんです
縄文土器ですが、縄で文様をつける「縄文」はナシ。胴体の表面は年度のひもを張り付けたような隆線や隆帯と渦巻き文で埋め尽くされています。「トサカとノコギリはあるが縄目がない」のが火焔型土器のスタイルです。
6 実際に煮炊きしてました
器の内側にオコゲ(炭化物)や変色が見られることから、食物の煮炊きやアク取に使われたことが分かりました。縄文人の主食は木の実。どんぐりやクルミと動物性食材を合わせた料理も作られていたようです。
信濃川は日本で最も長い河川になり長さは367キロメートルです。新潟県と長野県東部を流れる一級河川であり信濃川水系の本流になります。新潟市で日本海に注ぎますが信濃川と呼ばれているのは新潟県のみで長野県の部分は千曲川と呼ばれています。信濃川と呼ばれている部分より千曲川と呼ばれている部分は214キロメートルと60キロメートルほど千曲川の方が長いですが河川法上、千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定してます。
令和2年 文月 八 大
♬「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」
「暮れて河原に 星一つ 宵待草の 花の露 更けては風も 泣くそうな」♬
黄色に咲いているのは「待宵草(まつよいぐさ)」 で原産地は南北アメリカで元々はなかった植物でしたが、戦後~昭和の30年代に繁殖力が強く日本中の空き地に大群落を作ってしまったものです。けれどもその待宵草も今ではご存知の通りセイタカアワダチソウに取って代わられてしまっているのが現状ですすね。
月見草っていう名前は誰でも聞いたことがあると思いますが宵待草、宵待草は何だか分かりずらいですよね。花に興味のない人でも、すぐに竹下夢二を思い起こす人がいるでしょう。この月見草という花はマツヨイグサ属に属するメキシコ原産の一年生草本で、江戸時代の末頃に観賞用として日本に入ってきました。ところで、月見草の花は黄色だと思っている人が多いことにビックリですが白なんです。月見草っていうくらいだから、夕方から咲き始めて翌朝には萎んでしまうんだけど、萎む頃には花びらは薄ピンク色に染
まっている。
夢二の「宵待草(よいまちぐさ)」っていう詩は、最初は「待宵草(まつよいぐさ)」と本人の自筆で書かれていたようだけど、語感の良さから夢二本人が途中から「宵待草(よいまちぐさ)」と書き換えたらしいです。でも、それにメロディーがついて大ヒットしたもんだから、「宵待草」という呼び名も大正~昭和の始め頃までは、メジャーになってしまったようです。でも、最近は聞かれなくなりましたが懐かしいですね。
さて、マツヨイグサの仲間には昼咲きのものもあって、その代表格がヒルザキツキミソウと呼ばれるピンクの花を咲かせる宿根草です。一度植えておけば、大した世話をしなくても、初夏から夏にかけて爽やかなピンクの大きな花を咲かせ続けるので、先の園芸ブームの頃から結構人気がありましたから、皆さんの中にも庭に植えている人がおられるでしょう。
名前の由来 夕方を待って咲き始めることから来ているそうです。
〈花言葉〉 打ち明けられない打ち明けられない恋・無言の恋・自由な心・美人![]() |
蛇の目傘 |
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昔の番傘 |
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蝙蝠 |
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貴婦人の日傘 |
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