長いこと肺結核を患い小さな庭を愛でながら愛用の机に向かい文学の近代化の為に精力的に情報発信し続け句会や歌会を通じて門人たちを育てました。
移り住んでから8年後、明治三十五年九月十九日「糸瓜咲いて 痰のつまりし 佛かな」の句を絶筆として僅か35歳の生涯を終えた。
それから100年以上も経った今でも下町の何の変哲もない小さな空間であるが人々は何かを求めてやって来るという。それは病に伏せながらも太く短く生きた正岡子規その人の生き様が人を引き付けるからであろう。
我が家の庭にも遠い昔、へちまを夏の陽除けのため植えたところ大きなものが採れて「たわし」や「へちま水」を作ったことがあった。その「へちまコロン」を顔に塗っていた娘も今は小母さんになっている。
平成29年10月 八大
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