危 険 とは

「危険」とは危害や損失、事故、災害などが生じる恐れがあることです。生命や身体に損害が及ぶ可能性をさし、「危ないこと」や「好ましくないこと」が起こる可能性がある状態」と表現されます。

「生きることには死の危険が、愛する事には失恋の危険が付きまとう。  

 求める事には失望の危険が、挑戦する事には失敗の危険が付きまとう。      

 しかし危険は冒さなければならない。                     

 人生最大の悲惨は何一つ危険を冒さないことにある。               

 危険を冒さない人には、何も成しえず何も手に入れられず何もない人生を送る。  

 危険に対しておよびごしでいる人には自由を剥奪された奴隷のようなものだ。   

 危険を冒す者だけが自由に人生を生きられる。」 (フレデリックウイコックス)

物事のリスクについて注意することでは                         1 どんな「リスク」があるのか、事前に確認する                2 どの程度「リスク」を受け入れることが出来るのかを確認把握する

いろいろと経験を重ねると、「リスク」を冷静に判断することが出来るようになると思います。 その上、新聞や雑誌その他各種セミナーなどで知識を深めることも可能になります。「リスク」のとらえ方は人によっていろいろあると思いますが、今迄危険だと思い込んで避けて来たのであれば、その付き合い方を見直すチャンスがあると思いますね。 こんなことを思いました。 

 

出雲大社



この季節出雲の神様は忙しい。

 神無月         八 大  










迦陵頻伽(かりょうびんが)

迦陵頻伽(人頭鳥身)
ずい分遠い昔の話ですが近くの寺の住職さんに極楽鳥の話を聞いたことがありました。それは迦陵頻伽(かりょうびんが)と云い、極楽浄土に住むとされる美しい声で鳴く想像上の鳥がいると云います。「人頭鳥身」の姿で描かれ、楽器を奏でたり仏の説法に例えられたり、美しい声の例えと云われています。

美術工芸品、絵画、雅楽の演目など、様々な分野にモチーフとして用いられており 共命鳥と共に極楽浄土に住むとされています。 上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物と云います。サンスクリット語のカラヴィンカの音訳で「阿弥陀経」では、共鳴鳥とともに極楽浄土に住むとされています。

殻の中にいる時から鳴きだすとされており、その声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられ、「妙音鳥」、「好声鳥」、「妙声鳥」、「逸音鳥」、「妙声鳥」とも意訳されているそうです。また、日本では美しい芸者や花魁(おいらん)、美声の芸妓を指してこの名で呼ぶこともあったと云います。

迦陵頻伽の壁画
一般に、迦陵頻伽の描かれた図像は浄土を表現していると理解され、同時に如来の教えを称えることを意図するそうです。中国の仏教壁画などには人頭鳥身で表されるが、日本の仏教美術では、有翼の菩薩形の上半身に鳥の下半身の姿で描かれています。敦煌の壁画にも舞ったり、音楽を奏でている姿も描かれています。共鳴鳥とも言われます。

  • 迦陵頻(かりょうびん) - 仏教行事の舞楽。迦陵頻伽の舞を表現しており、蝶をモチーフとした胡蝶と対で舞われる(「番舞(つがいまい)」。 
 と呼ばれる。


 神無月              八 大







彼岸花(曼珠沙華) 救荒植物

秋の始まりを知らせるこの時季、今年も「彼岸花 」を見かけることが多くなりました。彼岸花は「曼珠沙華」とも呼ばれ突然に花を咲かせ、秋の終わりに葉が伸びて翌年の初夏に枯れるという、多年草としては特殊な性質を持っています。地下の球根に強い毒性を有しますが、その昔には「救荒作物(きゅうこうさくもつ)」として鱗茎のデンプンを毒抜きして食べていたと聞きます。

祖母が生前に「昔から彼岸花には毒があるから触らないように・・」と云われて畑の側でも遠ざけて歩かされた記憶がありました。地下の球根にデンプンを豊富に含んでいるため、毒抜き(水に晒すなど)をすることで食料に出来る事から救荒作物とされました。また、球根の毒でネズミなどの害獣が近づかないため、古くから田んぼの畦や畑の近くに植えられ、作物を守る役割も果たしと云います。

紅白の彼岸花
日本列島では水田の畦や墓地に多く見られ、人為的に植えられたと考えられている。その目的は、畦の場合は、ねずみ、もぐら、虫など、水田に穴を作って水漏れを起こさせるなど、水田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避けるようにするためとされる。墓地の場合は虫除けおよび土葬の後、死体が動物によって荒らされるのを防ぐためとされる。モグラは肉食ゆえにヒガンバナとは無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まないためにこの草の近くにはモグラが来ないと・・。

花言葉 ・・・ 「悲しい思い出」

 長 月                                八 大








危険!

 フレデリック・ウイルコックス の言葉


 生きる事には死の危険が 愛する事には失恋の危険が付きまとう

 求める事には失望の危険が 挑戦する事には失敗の危険が付きまとう

  しかし危険は冒さなければならない 人生最大の悲惨は何一つ危険を冒さないことにある

   危険を冒さない人は 何も成しえず何も手に入れず 何もない人生を送る

    危険に対して及び腰でいる人は 自由を剝奪された奴隷のようなものだ

     危険を冒す者だけが 自由に人生を生きられる

      

 この言葉に重みを感じますね ・・・ ?   


 危 険            八 大

入道雲は何処に!

 最近この暑さの中で気が付いた事があります。この暑さの中で入道雲に出会ってないのはどうして・・? 今年の異常気象の原因について気象庁では入道雲が海上では強い日照でも急に温度が上がることはないので、地上の特に海から離れた内陸に出来やすいようです。

入道と云うのは、力持ちの大きな体をした、積乱雲と云うカミナリ雲の子供の雲でお坊さんのことですよね。この入道雲は地面近くの暑く湿った空気が上空に行きそこで冷やされて雲になったもの。この雲の中は上昇する空気と雨の粒や氷のつぶの混じった下降する空気とが入り乱れています。

空気は、上空にいくほど温度が下がります。熱くなって上昇した空気は、急に冷やされ雲になり、また水蒸気が雨つぶや氷のつぶになるときには熱を放出する。この熱が空気を押し上げる力を強める働きをしていると云います。このようにして入道雲が出来ると云います。

また日本で一番 夏のカミナリの多い都道府県は栃木県と云われています。地元では雷親父とも言われますが、稲妻と云う言葉もありますよね。


 長 月           八 大

















癒しの言葉

 [癒しの言葉]  に出会った

         会いたい人には会った方がいい、二度と会えないかもしれないから

          やりたい事はすぐやった方がいい、時間が経つとすぐ忘れてしまう

           余計な事は言わない方がいい、一度吐いた言葉は取り消せないから


  何でもない日常が毎日毎日が通り過ぎて行きます、そんな毎日が私はが好きです。近くの猫が縁側に寄って来て勝手に寝そべっている、私の寝椅子に上がり勝手に占領して寝ているときの寝相は無我の境地だ。 

この頃、明日も明後日も続くであろう日常の光景がたまらなく好きです。何をする目的もなく猫を見ているとひとり寝の自由を謳歌しているようで腕を広げたくなる。 この瞬間を写真に残して置きたいとし動こうとするが、猫の察知力がそれを許さない。何を考えているのか気持ちを察知したいと思うこと多し。

野良猫


そんな毎日でしたが考えてみれば永遠に変わらない日常なんて、存在しないんです。天下無敵だった頃の日常から峠道を過ぎると自分は急いでいるつもりはないけれど、どんどんスピードがついてしまい心の一里塚を追い越してしまう。そんなに急ぐことはないのに・・? いつかこの日常が終わって回顧するときのために、出来るだけ写真や記憶に残しておこうと今は思っているの。 この頃思う独り言

 葉 月          八 大


朝顔 の話

アサガオ らしき花
今年も自宅近くの古利根川沿いに毎年、朝顔らしき花が繁茂します。その開花の期間は長くお盆の頃から秋口にかけて沢山の花をつけてくれますが、どうやら朝顔ではなく通りがかりの人からも「花の名前は・・?」と聞かれます。その内に図書館に行ってモヤモヤを解決したいと思います。

 小学生の頃夏休みの観察日記のために朝顔を育てた経験がある人も多くいたでしょう。朝顔は薩摩芋科の植物で同じ属のサツマイモは食用になりますが、朝顔は食べると激しい下痢を起こしてしまいます。現在でも種子は下剤として薬になりますが、毒性が強いため、一般人が朝顔の種から下剤を作ることは非常に危険な事です。

今では庶民的な花ですが、江戸時代には朝顔ブームがおきて、盛んに品種改良がおこなわれるようになりました。珍しい品種は高額で取引されるようになり、普通の品種も広く一般市民に広まりました。それが、東京・台東区にある「真源寺」で今も行われている「入谷朝顔市」になったと云われています。

朝顔は奈良時代に中国から入って来たと云われていますが、平安時代だとする説もあるそうです。「万葉集」などにも朝顔の歌がありますが、朝顔が平安時代に入って来たとすると、「万葉集」で詠まれている「朝顔」は、同じように青い花を咲かせる「桔梗」だったのでは、とも云われているそうです。まだまだ解らないことが沢山ありますね。

 盛 夏             八 大

生姜の効用

生 姜
 スーパーでよく見られる「生姜」実は根ではなく肥大した地下茎の部分のことであり一年中手に入るものです。薄茶色をした生姜ですが新しく育った新生姜を数か月貯蔵すると「根生姜」と呼ばれ、辛味が強くなっています。

「新生姜」(しんしょうが)と「ひね生姜」(ひねしょうが)は、どちらも生姜の一種ですが収穫時期や特徴が異なります。新生姜は初夏から夏にかけて収穫される若い生姜で、水分が多く辛味がマイルドで皮が薄く柔らかいのが特徴です。一方、ひね生姜は秋に収穫され数ヶ月貯蔵された生姜で、水分が少なく辛味が強く繊維質が多いのが特徴ですね。

ひね生姜は「根生姜」(ねしょうが)とも呼ばれ漢方薬としても活用されています。生姜には、体を温めるだけでなく新陳代謝の促進や殺菌作用などがあり免疫力アップや風邪予防が期待できると云います。特に生姜特有の成分には白血球の量を増やし免疫力アップに繋げてくれ、花粉症などのアレルギーに悩んでいる方にもお勧めとのことです。

豚の生姜焼き
新生姜を「ひね生姜」(または「根生姜」)にするには、収穫した新生姜を数か月間保存し、熟成させる必要があるそうです。具体的には、新生姜を土付きのまま、新聞紙などで包み、涼しい場所で保管することで、辛味が増し、ひね生姜特有の風味が出て来るそうです。

「はじかみ」・・とは? 葉生姜の一種で、特に 焼き魚などに添えられることが多い食材です。漢字では「矢生姜」と書くそうです。茎が赤く、根元が白いのが特徴で、口の中をさっぱりさせる効果があります。

生 姜
生姜の効用「体を温める作用」 「発汗作用・熱を下げる作用」 「喉の痛みの緩和・抗炎症作用」 「血圧の調節」 「食欲の増進・吐き気の軽減」 「免疫力アップ・風邪予防」 「抗酸化作用・アンチエイジング」 「口臭予防」とあります。

生姜は独特な香りと辛みが特徴の食べ物ですこの夏、「香味野菜」といって、香りが高く夏の食欲を増進させる為には、夏バテ解消や疲労回復には役立つといわれています。 今年の暑さ対応には是非とも生姜の活用を!


 八 月         八 大





































穴 子(あなご)

穴 子
「穴子」は皆さん後存じの通り1メートル近くにもなる細長くヌルヌルした体が特徴です。姿かたちは鰻ととても似ていますが体全体に鱗がなく、淡水にすむ鰻と違って海で一生を過ごす魚類です。うなぎに比べ脂質が少ないあなごは淡泊な味が特徴なので、天ぷらやお寿司などで食べるのがお勧めで夏が旬だそうです。

 夏の時期、愛知や兵庫、島根、長崎と西日本の漁場で多く水揚げされる為、関西方面では穴子を使った料理が豊富で「焼き穴子」を基本に、「穴子丼」「穴子茶漬け」があり白く透明な穴子を、生(なま)か湯通しして食べる、穴子の「のれそれ」など様々な食べ方があります。穴子は鰻と同じように脂と栄養価が高くビタミンAや、ミネラル、DHAを豊富に含んでいるそうです。

醬油ベースの汁に浸した穴子をウナギのように焼いて食べるのが関西風。天ぷらのほかに、醬油汁で煮た穴子を寿司にして食べるのが関東風とよく言われています。最近では国内での穴子の漁獲量が減少し、輸入品が増えているそうですが穴子は鰻と同様に暑い日本の夏には欠かせない滋養食材の一つと言えますよね。

脂質やビタミン類は鰻よりも少ない穴子ですが、たんぱく質やミネラル類はうなぎと同等かそれ以上! あなごも栄養価の高い魚なんですね。また、うなぎより安価で手に入れることができる点も魅力的です。穴子は一生を海で過ごす魚です。日本全国各地に生息しているので、身近な魚のひとつだと言えます。        鰻に比べて廉価な穴子、この夏にお勧めです!。


 文 月            八 大






山背(やませ)とは

「やませ」
毎年6月~8月ごろに、北海道、東北、関東などで吹く北東の風の事を「やませ」(変東風)と云うそうです。この風は、冷たい親潮の上を吹かれてくるので、冷たくて湿った風となり冷害をもたらすことがあると云います。

特に田んぼで育てる稲にとっては、穂が出たり開花したりする大切な時期なので、山背によって気温の低い日が続くと、大きな被害(冷害)が出てしまいます。昔から冷害風とか餓死風と呼ばれて恐れられて来た風です。

また東北には晩春に遅霜という現象もある。大気中の水蒸気が氷の結晶となって地面に付着するもので、夜間に晴れるときに起きる放射冷却で発生しやすいと云います。昔の話になるが30年以上前だが、キウイフルーツを栽培している農家が対策として農園で古タイヤを燃やしていた。地面に霜が降りる量を少なくするための工夫だったのだ。この遅霜もやませも短期間ながら毎年起きる現象で、ときには深刻な冷害をもたらしたと云います。

やませは漢字で「山背」と書くが、春から夏に吹く冷たい偏東風のことを云うそうです。親潮の上を通過した寒風は太平洋の北東から東北地方に入り込み、それが停滞してしまう。というのも、その下層雲の上に高温の高気圧があり、頭を押さえつけられて奥羽山脈を越えられないのだ・・とも。新潟地方が25度の日に東北は19度くらい、これが山背現象です。

ついでに書けば、東北には晩春に遅霜という現象もある。大気中の水蒸気が氷の結晶となって地面に付着するもので、夜間に晴れるときに起きる放射冷却で発生しやすい。

昔から「冷害風」とか「餓死風」と呼ばれている風です。

 文 月          八 大















風 鈴

今年の夏はどうなっているんだろう? 気象庁は7月の3日に梅雨が明けたようなことを言っていたようでしたが・・・❓ その後は何となくムニャムニャとなっているようで今日になってもハッキリとしたコメントはありませんね。

急激に襲ってきたこの熱波はどうしたものか、夏が熱いのは承知しておりますが、この頃身に応えますね。6月の後半から続く熱波は最近には味わったことの無い経験です。この異常気象が天変地異に繋がらなければ良いですが・・・心配のし過ぎですかな? ヒマラヤ山脈地方からの熱波ではと・・思い過ごしかも。

 気象庁は何とか、かんとかして異常気象の説明をしているようですが・・・何か納得は出来ません。一時は早い梅雨明けの話もありましたが東海地方まででその後はどうしたものか、じっくりと様子見の状態が続いて何となく今週半ばの発表を予定しているように感じられますね。気象庁も・・大変ですね。

ここで気分一新にと、物置に片付けられていた何の変哲のない一個の風鈴、久しぶりに音色を確かめると、涼し気に出番を待っていてくれていたこの音色。目と耳で味わえる久しぶりの音色は遥か遠い思いを伝えてくれます。むかしむかしの古い思い出が浮き出て来て、更に「涼」を感じられる夏の風物詩です。

夏を知らせる風物詩【江戸風鈴】で日本の音色を楽しもう|THE ...
我が家の風鈴
風鈴は、短冊が風を受け揺れることで音が鳴りますが日本人は風鈴の音色を聴くことで、風が吹いている涼しい・・と連想させる。また風鈴は異なる高さの音が重なり合って聞こえてくることから、その音の揺らぎにより脳がリラックスした状態になる様に感じられます。

その起源は、古代中国の風の音で吉凶を占う道具「占風鐸(せんふうたく)」であるとされています。これが仏教と共に日本に伝わり、寺院の軒先に吊るされる風鐸となり魔よけの器具としても好まれたようです。その後に風鈴という呼び名が使われるようになったと。江戸時代にはガラス製のものが作られ、夏の風物詩として広まったと云われています。


 文 月           八 大




半夏生(はんげしょう)

疲労回復に 
半夏生(ハンゲショウ)は、初夏に葉の一部が白く変化するドクダミ科の植物です。梅雨の時期に水辺や湿った土地に群生し6月下旬頃になると、花に近い上部の葉の部分が半分ほど白く変化します。これは花びらではなく葉、そのものの色が変わる現象です。半夏生の花は小さく目立たないため、葉を白くすることで虫たちの注意を惹きつけ、受粉を手伝ってもらうという植物の賢い戦略だとか?

夏至から11日目頃のことを言い、今の暦では大体7月2日前後が半夏生となりま

す。なんと半夏生の間は天から毒が降るとされていたそうで、昔はこの期間ま

でに田植えを終わらせておく必要があったそうです。半夏生は農家にとって大

切な節目の日とされていていたそうです。


半夏生までに 田植え完了を
また半夏生にタコを食べるという風習はあるものの、「半夏生って何?」「そもそもなんて読むの?」と思われる方も少なくはないかもしれません。半夏生は季節の移り変わりを表す雑節のひとつです。夏至から11日目頃のことを言い、なんと半夏生の間は天から毒が降るとされていたそうで、昔はこの期間までに田植えを終わらせておく必要があったと云います。半夏生は農家にとって大切な節目の日とされていたんですね。


半夏生が農作業にとって大切な日という事は分かりましたが、どうしてタコを食べるのでしょうか? 農作業とタコ、全く関係がないように思いますが? ではタコの足を想像してみてください。タコの足は8本あって吸盤がたくさんついている。そのため田植え後の稲がしっかり根付いて離れないようにという願いを込めて、この季節の旬であるタコを食べたと? 確かにタコの足のような根っこならしっかりと根付いて強い稲が育ちそうな気がっしますね。


また、食べる物は違っても半夏生に関する風習は今でも各地に残っているようで、タコではなく、サバうどん芋汁などを食べる地域もあるそうです。最近はタコの値段が高くなった(何で❓)ようですが栄養豊富な食材で疲労回復などの効果もあると云います。これからやって来る夏本番タコをお忘れなく!


 文 月          八 大








凌霄花(のうぜんかずら)

凌霄花(のうぜんかづら)とは何か・・言葉からは怪しさを感じるのは私だけではないでしょうか。

のうぜんかづら
 凌霄花の開花時期は6月の今頃~9月の中旬です。中国原産の花で古くから薬として使われており日本には平安時代9世紀頃に中国から渡来したそうです。

とても寿命が長い木で豊臣秀吉が朝鮮半島から持ち帰ったと云われるものが、金沢市にはまだ健在らしいようで樹齢は400年以上になっているそうです。

凌霄花は漢名からで「凌」は、しのぐ、「霄」は、空の意味で  つ、つつるが木にまといつき、天空を凌ぐほど高く登るところからこの 名がついたと云われています。つるが木にまとわりつき天空を凌ぐほど高く登るところからこの名がついたと云う。

花や樹皮は漢方薬では利尿や通経に使われるそうです。園芸品種が複数存在し、ピンクや黄色などの花色もあります新梢に房として花が枝元から次々に咲き、毎日のようにすぐに散る。

ピンクや黄色などの花色が一般的ですが新梢には房となって花が枝元から次々に咲き、毎日のように散った花が積み重なる。花が終わった梢をそのままにしておく、樹の姿が乱れ、樹勢が衰えるので適切な剪定が必要です。


 水無月         八 大        








梔子(くちなし)の花

くちなしの花
 今を盛りに古利根川べりの桜の木の下に脂粉の薫りを漂わせているのは山梔子の花です。毎年この時を目指して芳香豊かに我が存在を誇っているが桜のあとでは存在感は薄い梔子です。

「梔子」の名前の由来は諸説あるそうですが、一説に「果実が成熟しても実が開かない」それで「くちなし」と云われたとか。平安時代初期の「古今和歌集」の歌にも「山吹の 花色衣 主や誰 問へど答えず くちなしにて」(素性法師)という歌があるそうです。また「嫁にもらうくちなし」と言って、女の子がいる家は植えてはいけない風習もあったとか・・?。

「梔子」の花言葉、「私は幸せ者」「喜びを運ぶ」など、ポジティブなものばかり。」醇な香りと「幸せ」のイメージはぴったり。白一色の「梔子」は西洋では「天使が地上に降ってきた花」と云われ、とても縁起のよい花といえます。

アメリカでは男性から女性にダンスのお誘いとして贈られる花で、甘い香りが女性の喜びや幸せを表しているとか。花言葉の「とても幸せです」はここから付けられたといわれています。

一方、日本では、名前の由来になっている「実が熟しても口が開かない」様子から「音をあげない」「まっすぐに黙々と努力する」と吉花とされる一方で、「くちなし=くちがない」と疎まれる習慣も…。「死人に口なし」という言葉もあるため、怖いイメージをもつ人がいたのかもしれません。

遠い昔、誰もが口ずさんだ「くちなしの花」ありましたね!

 雨 月       八 大  




鯨岡兵助 先生

 鯨岡兵輔 先生

「戒石名」
福島県の二本松の城址にある石碑の文であります。世に「戒石名」であります。その昔この城の武士は登城や下城の際に必ずこの碑を見たことであろう。なんじが俸、なんじが禄、と同じことを二度言っている。そして民の膏、民の脂と二度繰り返している。現在の言葉で言うならば、お前の月給は、お前の給料は、民百姓の汗だよ、あぶらだよとう意味である。百姓が働いて米を作り、その米を武士は俸禄として領主から頂いたのである。

士農工商と云って、武士は一番の上の階級に属してはいたが、生産には携わっていなかった。しかし、もし領地を侵す外敵があれば、その命を賭してそれをこれを防ぐ任務が武士にはあった。その任務を尊いものとして非生産の武士が尊ばれたのである。

しかし、武士は己が非生産のものであることを忘れず片時も忘れず、自分達は百姓の労苦によって給料を得、生かされているのだと云うことを常に考えていなくてはならない事と訓えているのである。

下民は虐げ易く、上天は欺きやすし                       武士どもよ、考え違いするなよ、百姓や町人は身分として低い者であるから、いじめたり馬鹿にしたりすることは、必ずしもできない事ではないが、そんなことをしたら、天がそのその行いを許すまい。天を欺くことは出来ないと心得よと!            


 水無月       八 大          


   





 


カマキリ

カマキリ

 最近はカマキリの姿を見かけることが少なくなりましたが日本には約11種類が生息しているそうです。私たちがよく見かけるのは大カマキリで、他にハラビロカマキリ、コカマリ、ウスバカマキリなど五種類がいるそうです。カマキリの特徴と云えばあの鎌状に変化した巨大な前足です。最大の武器となる前足を使って昆虫だけでなくカエルやトカゲと云った両生類や爬虫類を捕まえて食べる捕食昆虫です。

大カマキリは大きい物では体調が10cm程に成長して我が家にも時々顔を見せてくれます。外敵が少ないことからと思いますが比較的住宅地に近いアスファルトの道路上や、ブロック塀の上で堂々と姿を見せチョロチョロと動いているトカゲを捕えている姿を見つけることがあります。

人と向かい合っても逃げ出さず巨大な鎌状の前脚を持ち上げて威嚇する姿は、まさに昆虫界の王様にふさわしい出で立ちです。秋口になると身体の大きい雌のカマキリは泡状の麩のような形をした卵鞘(らんしょう)を草木茎に産み付けます。卵鞘の中には数百個の卵が入っており卵を外敵や気候の変化から守っていると云う。

捕食中カマキリ
雌のカマキリは交尾の後に卵を産み、栄養をつけるため・・? 雄カマキリを共食いすることが知られていますね。当時はカマキリ婦人なんて言葉が世の中を騒がしていたことがありましたね。そして一カ月ほど過ぎると、卵鞘から黄色く小さなカマキリの子供たちが生まれてくるのです。

カマキリのオスは最後にはメスに食べられ、その存在すらなくなってしまうのです。         

カマキリって凄いですね~怖いですね~。  


 水無月           八 大






紅花(べにばな)

紅 花
ベニバナ(紅花)は、キク科の植物で、古くから染料や食用油の原料として利用されてきました。花は黄色から赤色に変化し、その色素は口紅や「衣装の染料」に使われてきました。また漢方では婦人薬として利用され、血行を良くする効果があるとされています。

江戸時代中期以降は現在の山形県の最上地方や埼玉の桶川や上尾、周辺で盛んに栽培されたと云います。山形の米沢藩では江戸時代の初期に紅花を買い上げ「紅餅」として商品化し京都や大阪に送っていたそうです。9代藩主の上杉鷹山の米沢織               にも紅花が用いられ県の花でもあります。

紅花栽培風景
乾燥させた花は紅花(こうか)と呼ばれ、血行促進作用がある生薬として薬としての活用され養命酒などにも含まれているそうですまた、ベニバナから作った生薬を体のツボなどの部位に塗る紅灸(べにきゅう)というお灸の一種もあると云います。

ベニバナの原産地ははっきりとは確定されていませんが、有力な候補地として古くから栽培されていたインドやエジプトと云われます。また  アザミ類の野生が多いアフリカ・ナイル川流域                ともいわれています。

山形地方では江戸時代に最上紅花の栽培が盛んでし               た。このため,山形県の県花に指定されています。


 皐 月            八 大









 




















蚕(かいこ)の話


蚕はカイコガと云う「ガの幼虫」ですが、「お蚕様」と呼ばれるほど、農家にとっては貴重な現金収入源だったそうです。蚕はミツバチと並んで飼育される珍しい昆虫です。そのため数え方も牛や馬と同じく一頭二頭と数えていたそうです。

飼育の目的はもちろん天然繊維の絹糸の採取、蚕の作った繭から取れた高級繊維で着物の材料になるだけでなく、海外への輸出品として日本経済を支えていました。けれども、女工哀史と呼ばれていたように、絹糸の製糸工場の女工さん達に過酷な労働を強いることになっていました。

日本の絹糸は丈夫で上質であり、卵や蚕も寒さに強かったため、ヨーロッパから遠路はるばるやってきて、卵を高い値段で買いにくる商人もいたようです。取れた絹糸では繭から取れる正絹(しょうけん)が最上級で、丸繭、くず繭とランく付けられていたそうです。最上級の絹糸から作られるのが紋付きの訪問着、繭から作られるのが紬などでした。

しかしどちらにしても庶民には手の出ないもの高級品で、庶民は綿の着物を着ていました。しかし戦後になって安く強く肌触りのよい化学繊維が登場すると、養蚕業は衰退してしまいます。今では一部の着物愛好家と高級洋服の生地で使われる伝統工芸の範囲にとどまっているそうです。

また、長野県の信州地方では、蚕が作る繭の中から取れた蛹(サナギ)は貴重なタンパク源として佃煮にされた瓶詰が販売されているそうです。


お蚕さん

蛹の瓶詰







        

 皐 月         八 大










「タケノコ」 生活

 スーパーの店先に今年も「筍(タケノコ)」が並び始めましたね。この筍は広い意味ではイネ科のタケの若芽の事を指すそうです。地表に出たときには日に数センチずつしか成長していなかったものが、急に成長が早まって十日目ぐらいから急に成長が早まり数10cm~Ⅰメートルに達することもあり、成長の早い植物ですよね。

また「雨後の筍」とは良く言ったもので呼ばれるようにこの季節、雨が降ると次々とタケノコが急激に成長が早まる。雨後の筍                  とはよく言ったものですね。

この筍「古事記」にも登場することから、日本では古来から食べられて事が分ります。食物繊維が多く含まれており、ヘルシーかつ食べ応えがあり人気ある食材でした。新鮮な筍の頃は、生でも焼き物にしても美味しく食べられますね。ただし旨さを最大限に味わうためには切ってからー時間以内が目安と云われています。

・・と云うのも切った直後からえぐみが急激に増加しますね。 それを避ける為に、出来るだけ早く調理を行うのがコツだそうです。 この旬の時期、煮物は勿論ですが炊き込みご飯を食べると何故か母親に云われました。 「腹も身の内だからね」と云われたことが今になってその意味が分かったような気がする。

私は4歳まで中国・石家荘市に生活しており、その後日本に初来日した家族でいわゆる大陸からの引揚者の一員です。中国にいた頃にはそこそこの生活をしていたそうでしたが引揚者の一員となって、浮浪者同様に戦後の混乱期には物々交換の時代を経て
山法師(季節の花)
「タケノコ生活」
となった。そんな時代を超えて今に至りました。

タケノコ生活 とは、戦後初期の物々交換の時代に、筍(たけのこ)の皮を一枚ずつ剥ぐように衣類などを売って食いつなぐ生活であっ               たという。しかし、物々交換で手持ちの品物がどんどんと減っていくの見聞きした時には悲しい思いでしたね。

皐 月           八 大