辛抱と我慢

 「我慢」と「辛抱」の違いは何だろうか? 

公園橋の河津桜
我慢は自分がしたくないことや嫌なことを堪えること。                 辛抱は自分の為や人の為に自らの志したものを実現するための 努力をする辛さ。                 

すなわち、人から押し付けられたものであれば苦労ですが、自分が先頭に立って人の為、自分の為に困難を克服しなければならなくなれば苦労とは思わなくなりますよね。

我慢と辛抱の違い                                『辛抱』は? 将来の明るい結果を実現させるためにこらえたり耐え忍ぶこと。       それに対して、『我慢』は ?   言葉の通り。我慢(われまん)ずることです。 本当はやりたいのに止めておいたり、こらえたりすることですが人によって色々な考え方がありますね。今の時代でも『辛抱』を積極的に取り入れていくことを若い人たちに取り入れていくことが必要で大切なことであると思っております。

コロナ過が一段落しているように見えていますが少しでも前向きな言葉、「我慢」よりは今の現実を乗り越えたら、と明るい未来を考えながら、「辛抱」しながら向き合っていきたいと思っております。コロナ禍に対しても、少しでも前向きな言葉で「我慢」よりは今の現実を乗り越えたら明るい未来があるよと、「辛抱」しながらも向き合って行きたいと思います。常にポジティブ!どうせ生きるなら人生楽しく・・ね。

【我慢と辛抱の違いについて】

我慢は 嫌なことただただ、堪えること。(不満の気持ちが残る)                      辛抱は 好きなことをする為に堪えること。(その先に希望の光が見える)

我慢という言葉には 不満や我儘の気持ちが含まれる。                辛抱という言葉には 希望思いやりといった気持ちが含まれる。

我慢は 気持ちが人に向かっていく。                         辛抱は 気持ちを人と共有されていく

我慢は いずれ限界がきてしてしまう。                        辛抱は かならずや果実となっていく

我慢は ネガティブな言葉。                             辛抱は ポジティブな言葉

「我慢の先には 不満 しかないが・・・、辛抱の先には 希望 の光がある。

 

 弥 生           八 大


 

 

 




黒石寺の蘇民祭

如月の頃
千年以上の歴史がある伝統行事、岩手県奥州市の奇祭、黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)が17日夜に開かれた。御利益があるとされる「蘇民袋」を上半身裸で下帯姿の男衆が奪い合うことで知られています。関係者の高齢化や担い手不足を理由に今年で最後となるそうです。 

2008年にこんなことがありました。奥州市が蘇民祭の観光ポスターを駅構内などで貼り出してほしいとJR東日本に依頼したところ、「裸の姿が不快感を与える恐れがある」と断られ全国的に注目を集めた。

 蘇民祭は五穀 豊穣 などを願い、護符が入った麻袋(蘇民袋)を下帯姿の男衆が奪い合うクライマックスの蘇民袋争奪戦で知られている。今年の争奪戦はコロナ禍を経て4年ぶりに行われた。午後10時過ぎから約1時間、200人以上の男衆らが勇ましい掛け声を上げながら押し合い争奪戦を繰り広げると、境内は湯気が立ち上るほどの熱気に包まれていた。


10年程前に黒石寺を訪れたことがありました。門前の入り口にこじんまりとした池があり階段を上がってお参りをして境内を一巡り、そこに草むしりをしていた女性現る。何気ない立ち話から寺の庵主さんであることが分った、人口減少が進み檀家さんの都会への流出、今年はお葬式が3件しかなく寺の維持にも困惑しているとのこと、そして都市への人口流出・・・など。

お喋りが2時間以上続きましたが問題は檀家離れだそうです。今すでに結果が表れてきて延々と先祖から引き継いで来た檀家さんが離れて都会に新しくお墓を建てていく家族が多くなっている。現在、将来を含めて悩むことが多いそうです。昨年のお葬式は僅かの3軒だったそうです。どうしたら良いでしょうと云われ困ったことを思い起こしました。

如 月             八 大


立春大吉

「 立春大吉」と云うお札を見たことはあると思いますが立春と云う、季節の変わりめには邪鬼が発生すると考えられていました。古くからこの時期は万物変化が激しく不吉で、邪気が発生すると云われていました。この事から節分で豆をまいて邪気が発生すると考えられていた。


立春大吉と云う文字は左右対称で縦書きにすると表からも裏からも同じように見えます。一度くぐったものの、まだ入ってない家があると勘違いしてそのまま門をくぐって鬼は外に出て行くという。こうして、立春大吉は邪気を追い払う縁起の良い言葉として門に貼るお札になっています。

お正月のしめ飾りに東北地方では「蘇民将来」という言葉を書いていることで除災招福になると言い伝えられているものもありますが、このような説話から今でも生活に深く根差した文化が見られています。

万が一、悪い鬼が家に入ってきても、外から見えていた立春大吉と同じ文字が読めて、「まだ家の外だったのか」と勘違いして外に出て行ってしまうという言い伝えから、「立春大吉」の文字が厄除けとして使われるようになったと言われます。

節分とは季節の分かれ目・区切りを示す日。もともと「立春・立夏・立秋・立冬」の前日」が節分の日でしたが、今では立春の前日が『節分』として残っています。

節分の日付が変わるのには、この「立春」が関係しています。そもそも立春とは、日本で春の季節が始まるとされる日。現在では、太陽の位置によって決められ、「太陽黄経が315度の時刻が立春」と、国立天文台で定義されているそうだす。

地球が太陽を1周する時間は、1年(365日)とぴったり同じではありません。
そのため、今年2021年には、「立春」の時刻が2月4日に入りきらず2月3日になったため、立春の前日である「節分」も2月2日に移動したと云います。


 如 月           八 大   

                   
















如月(きさらぎ)

春はそこまで来てます
 毎年、新しいカレンダーが出回るころ年中行事の一つと称して「冬籠り」です。 この時期仲間と連れ立って岩手八幡平に合宿です、年中行事の一つとなり十年以上が続いており楽しみの一つとなっていました。そんな折でしたが人間引き際も大切だということで、一昨年に愛用のスキー道具を地元の友達に引き継ぐ。大雪の舞うゲレンデに別れを告げ一区切り。パウダースノーのゲレンデに別れを告げたのは一昨年の今日でした。

二月には如月の他に様々な別名.異称があります。 

令月(れいげつ)                            …物事を行うのに良い月で、めでたい月のことをいいます。万葉集の歌にも使われており、新元号「令和」の「令」はこの歌のなかにある令月が由来となっています。 

仲春(ちゅうしゅん)                          …初春と晩春のあいだの季節のことをいいます。それらの総称を「三春」といい初春から順に、仲(中)春、晩春と季節は流れていきます。仲春は2月頃を指します。

梅見月(うめみづき)                          …梅の花が咲く季節のことをいいます。旧暦の2月は現在でいうと2月下旬から4月上旬頃とされていました 

令月、仲春、梅見月・・と二月の別名には冬から春への季節の移ろいを感じ、暖かい日差しを浴びて草木が芽吹いていく、そんな表現が多く感じ取れますね。また、心機一転、気持ちを切り替えて「立春」という言葉があるように二月は一年の始まりとされいます、心機一転、気持ちを切り替えて新しい何かを初めて見るのも良いことですね。

古利根川の流れはこの処、澱みの状態が続いておりますが、春の一大イベントである「古利根川の大掃除」が今年もやってきます。地域の住民が御礼の意を込めて一年間の大掃除、雑草や空き缶等の不要物の回収も行われます。その後、水・草・花・鳥が一斉に舞踊り古利根川に本来の春の息吹が運ばれてきます

如 月            八 大                                  















 








中尊寺金色堂

金色堂内部
 現在、国立博物館で「中尊寺金色堂」の展覧会が開かれているので早速、会場へ顔を出しました。本展は上棟された天治元年(1124年)の建立で、中尊寺金色堂900年を記念して開催する特別展だそうです。堂内中央の須弥壇に安置された国宝の仏像11体が一堂にそろう他、嘗て金色堂を荘厳にしていた国宝、金銅の迦陵頻伽文(がりょうびんがもん)華鬘(けまん)をはじめとする工芸品の数々で世界遺産に登録される平泉の文化遺産です。

平安時代、奥州藤原氏の初代藤原清衡によって創建された平泉の国宝である中尊寺金色堂。 中尊寺金色堂は天治元年(1124)藤原清衡(1056〜1128)によって建立された東北地方現存最古の建造物だ。建物の内外は金色で飾られ、螺鈿蒔絵の漆工技法を駆使した装飾が施された絢爛豪華な姿を持つ。本展ではこの金色堂の中央壇の国宝仏像すべてを公開するとともに、金色堂の内部に入り込むような8K映像を巨大なスクリーンで上映する。ほぼすべてが国宝または重要文化財となる約50点の文化財を展示しています。

金色堂外観模型
 会場入口のスクリーンでは、原寸大の金色堂を超高精細の8KCGで再現した映像を上映。実地ではガラス越しにしか見られない金色堂の内部を仔細に見ることができる。内外を覆う金箔や螺鈿をはじめとする漆工や金工の繊細な造形などから、奥州藤原氏の栄華を感じることができますね。

金色堂の特筆すべきところはその豪華絢爛さだけではなく3つの須弥壇内に奥州藤原氏一族の初代の藤原清衡から、基衡(2代)、秀衡(3代)、のミイラと頼朝に敗れた、泰衡(4代)の首が安置されている墓所でもあります。会場では初代清衡が安置されていた金箔押の木棺や、遺体がつけていた装飾具なども見ることができます。また棟木に天治元年(1124年)の銘があり、この年が建立年とされており当時から金色堂と称されていたと云います。


如 月              八 大






 













「本阿弥光悦」とは

本阿弥光悦展
 久しぶりに東博(東京国立博物館)の「本阿弥光悦(ほんあみとうえつ)展」を尋ねました。凄い男だとは聞いていましたが江戸時代初期に活躍した大巨人でしたね。その名前からして異端者のように感じていましたが・・・。

 本阿弥光悦の名前を聞いたことがある人はおられると思いますが、彼が何者であるのかを一言で説明することはまったく難しいことです。どうしてか、それは非常に多才な人物だったからです。その奥深い才能を読み解く特別展「本阿弥光悦の大宇宙」展が上野の東京国立博物館にて始まりました。

江戸時代の永禄元年京都に生まれた本阿弥光悦は日本刀の鑑定家に生まれ書家、陶芸家、画家、蒔絵師などの多彩な顔を持つ人で多方面で活躍したスーパーマンでした。元和元年(1615)の大坂夏の陣の後には徳川家康から京都北部の鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などを率いて移住し、芸術村(光悦村)を築いた。

光悦寺垣


50代後半になった本阿弥光悦は徳川家康から京都、鷹峯(たかがみね)に広大な土地を与えられた。この新天地に職人たちを呼び集めて、芸術村として「光悦村」を運営して芸術の演出家とし頭角を現し光悦自身も創作活動打ち込んでいた。80歳で亡くなるまでの20年間を光悦村で創作活動に打ち込んだと云われています。こういう人を総合芸術家と呼ぶのでしょう。 

そのグループのリーダーが本阿弥光悦と俵屋宗達という二人の画家によって作品が作られるようになったのが琳派の始まりと云われています。      琳派の琳は尾形光琳の名前から取られたものですが琳派の起点となる人物は江戸時代の初めに京都で活躍した本阿弥光悦と俵屋宗達と云われています。


睦 月              八 大










江戸時代初期に活躍した「本阿弥光悦」(ほんあみこうえつ)は、日本刀鑑定の名門家系に生まれ、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家です。書家・陶芸家・画家・茶人など多彩な顔を持つ人物であり、国宝2点、重要文化財18点の作品を残しました。その一方で有力大名にも顔が利くほどの人脈や、並外れた目利きにより若手芸術家を次々と発掘。「俵屋宗達」(たわらやそうたつ)から「尾形光琳」(おがたこうりん)へと続く、総合芸術流派の「琳派」(りんぱ)を興したことでも知られます。


総合芸術家として活躍した光悦

本阿弥光悦の事績  書道家 画家 蒔絵師 陶芸家


40代に入ってから、本阿弥光悦は総合芸術家としての才能を開花。当時駆け出しの画家だった俵屋宗達の才能を見抜き、「厳島神社」(いつくしまじんじゃ:広島県廿日市市[はつかいちし])の宝物「平家納経」(へいけのうきょう:金銀などの意匠を凝らした経典群、平家一族が繁栄を願い奉納)の修復グループの一員に加えます。期待に応えた俵屋宗達は、のちに近世絵画の巨人となりました。

また、本阿弥光悦は幅広い人脈でも知られ、江戸幕府初代将軍「徳川家康」(とくがわいえやす)、加賀藩(かがはん:現在の石川県)の藩祖「前田利家」(まえだとしいえ)、織部焼で知られる戦国大名「古田織部」(ふるたおりべ)といった名立たる人物達と交流を重ねたと伝えられます。






光悦寺

1615年(元和1)本阿弥光悦が、徳川家康より鷹峯の地を与えられ、一族や工匠等と供に移り住み芸術村を築きました。光悦は、刀剣鑑定のほかにも、多くの才能に優れており、芸術指導者としても活躍しました。現在の光悦寺は、本阿弥家の先祖供養が行われていた位牌堂(位牌所)があった場所といわれています。






逆鱗(げきりん)

逆鱗とは
今年は龍の年です。竜羽ばたけば雲を呼ぶ優れた人物や力強い存在が登場すると、その影響が大きな変化をもたらす様子を表現しています。竜は力強く舞い、変化や進展をもたらす象徴とされています。このことわざは力強い行動や存在が周囲に大きな影響を与え、新しい展開や希望が生まれることを期待するメッセージを込めています。

中国皇帝を竜にたとえて穏やかな時には背中に子供をまたがらせることも出来るが、怒らせるて顎の下にある棘に触れるとうろこ状のとげを出して怒り狂うことを逆鱗(げきりん)と云われています。転じて目上の人を激怒させることを言うそうです。

龍年

竜は穏やかな時は背中にまたがることも出来るが、顎の下の刺に触れると、怒り狂って人間を殺してしまうとも云われています。君主という存在にも「逆鱗」があるため、説得などを試みる際には十分な配慮が必要と云われています。

竜は架空の生き物ですが力強く舞い変化や進展をもたらす象徴とされており、古くから「運気上昇」「生命力」の象徴とされてきました。また鯉が龍に変身するという逸話もあり出世運にも繋がると云われています。                  さあ竜年が始まりましたよ!

 睦 月           八 大


























「人生は一度きり」?

ヘップバーンの言葉
 人生は一度きり」 多くの人は人生を一度きりという言葉を知りながら「いつか俺だって」と自分の出番が来ることを考えながら何年も歳を重ねて来ました。この先まだまだ続くかのように思っていた・・・? 輪廻転生という言葉がありますがそんなことはないんですよね。今生は一度きり今の自分もいつかは確実に後輩の皆さんにバトンを引き継いで見守る側に回ります。   

人生が一度限りなら、自分が望む生き方をしなければならないと思う。仕事や人間関係に我慢を強いられる事もあったが人生は楽しむことです。ここに来て頭に思い浮かぶことがあるなら「人生は一度きり」であるということです。毎日やらなければならないことに追われて同じことの繰り返しの中で、つい忘れてしまいがちなことです。    

自分が望む生き方ってどんな事だろう、それを知ることが大切ですよね?                         「自分の好きなことを仕事にする」「家族との時間を大切にする」「田舎でのんびり暮らす」「好きな人との付き合いを大切にする」・・・細かいことはたくさん浮かんで来ますが大きく分けるとこんなところですよね

そしてここからが一番大切なところです。「人生は一度きり」なんですよね。そうするとじゃあ、これらの事を「いつやるの?」ってことになります。テレビでおなじみの林先生の言われる「今でしょう!」考えているだけではダメです、今からでも遅くない今すぐに行動に移すことです!

元旦の日夕方16時過ぎ、能登地震あり・・・大混乱

 睦 月             八 大



  



アルマジロ

アルマジロ
この処ようやくお馴染みの顔になってきた政界のスポークスマン松野博一官房長官が世間の目からジワリジワリと攻め立てられ遂に首を取られてしまいましたね。従来の長官に比べて何となくコソコソ感が見られました。そつがなく平穏に過ごせるかと思われましたが、政界の一歩先は闇の世界でしたね。そんな官房長官を、永田町では付いた綽名(あだな)はなんとアルマジロですって?

アルマジロとはスペイン語で「武装した小さなもの」を意味する哺乳類の総称だそうで、体中が鎧のような骨の板で覆われているのが最大の特徴で、この部分は「皮骨(ひこつ)」と呼ばれる組織で骨が丈夫な皮膚に包まれて出来ているそうです。南米の乾燥地帯の草原に住んで雑食性でアリや昆虫、ミミズ、爬虫類などの他に草の根や動物の死骸なども食べる。夜行性で日中は地下に穴を掘って過ごしている。

名前の由来はスペイン語で鎧を着た人と云われアリクイの仲間で敵から身を守るため日頃から地面に巣穴を掘ってその中で敵から身を守るために地面を両足の爪で、しっかりと掴んで踏ん張る。その主な生息地はアルゼンチンの乾燥地帯の草原に住んでいる。

そんな官房長官のあだ名が永田町では『アルマジロ』と呼ばれているそうです。アルマジロは危険が迫ると丸まって堅い殻で守りに入り、外側からいくら突いても出てこない。ここに来て裏金問題が表に出てきて国民の皆さんの見る目が大きく変わって来たようで・・・政界も俄かに騒がしくなってきました。年末年始の話題には事欠きませんね。

師走          八 大          






明日葉 (あしたば)

我が家の明日葉
「明日葉」とは、セリ科シシウド属の多年草です。強い生命力と繁殖力がある植物で、今日に新芽を摘んでも明日にはもう若葉が出ていることから明日葉と名付けられ、その名の由来とされているそうです。                       別名「八丈草」とも云われ、独特の苦みを持つセリ科の多年草で日本では古くから栽培されており、江戸時代の本に滋養強壮の効能がある薬草として紹介されています。最近ではスーパーなどでも珍しい野菜として店頭に並んでいることがあります。

温暖な気候を好み海岸沿いの草原などに自生する日本原産の植物で、房総半島や三浦半島、伊豆諸島など温暖な太平洋沿岸部に自生しております。明日葉は強い生命力と繁殖力がある野菜でビタミン、ミネラル、食物繊維がバランスよく含まれており健康野菜として知られております。

その昔、中国秦の始皇帝は「東方の海中に不老長寿の薬草あり」と聞き、使者を使わしてその薬草を探させたと言い伝えがあります。その薬草が今日でいう、明日葉だったのではないかとも云われています。その若葉はお浸しや和え物、汁の実、てんぷらなどにして食用にされております。 2月から5月ごろがその旬の時期で八丈島の香りそのものですね。納豆に混ぜて食べるとこれもありですね。

若いころ、竹芝桟橋で時刻表を覗いていたら船が出ますよとその声に押されて・・・・・・気が付くと船中の人となっていたことを思い出しました。・・・そんな事がありましたね!


 極 月          八 大