松尾芭蕉の名言

「松の事は 松に習え、竹の事は竹に習え。」 これは江戸の俳人松尾芭蕉の言葉です。教科書にも載っているお馴染みの「奥の細道」は皆さん後存じの松尾芭蕉の紀行文です。東北や北陸など2400KMの道のりを旅をしながら俳句を詠んだ旅の俳人の言葉です。

松尾芭蕉の名言
そんな芭蕉が残した言葉の中に「そのものをしっかりと見なさい」そして「じっくりと観察をしなさい」と云う意味が入っていると云います。 素直な気持ちで物事をよく見て感じると云うことが、良い俳句をつくるコツにも繋がるんだと言っています。

これは俳諧における自然観察について述べた言葉で、調べまわったり人に聞いたりするよりも直接「対象そのもの」にじっくり向き合った方が、その本質が見えてくると云っています。人間関係や仕事の上にもにも通じる言葉ですね。まずは「じっくり              と向き合うこと」から始めるそうです。


「 月日は 百代の過客にして 行きかう年も また旅人なり 」 

     月日は永遠に旅をする旅人のようなものである。             

        去ったと思えばまたやってくる旅人のようである。 と 


 神無月             八 大  








自分の人生は自分で

 「自分の人生は自分で決める」これが自分の幸福感に直結すると思います!        長野県・諏訪中央病院の名誉院長である鎌田先生がおっしゃる言葉はいつも心に響きます。[幸福感に密接に関係するものは何ですか?」と云うアンケート調査がありました。

先生のアンケート調査によりますと一位から順に「健康、良い人間関係、自己決定、収入、学歴」へと続くと云います。物事がうまくいかなくても自分で決めたんだから諦めがつく、でも他人に強制されて失敗したとしたら心理的ダメージは大きい。収入・学歴以上に自己決定が幸福感に大きく影響を与えると云います。

自分のことは自分で決めると云うことを決めておくことは大切です。何時も他人に同調することなく「これで良い!」と自分で決める事が大切であると思います。その結果で出会った景色やその光景に出会えたことに満足すると幸福感が増すことになります。

恵比寿神 神不在の留守居役


自己決定を貫いたことには少しの迷いはあったにしても、そこで良い景色やそこで出会えた光景を受け止められれば幸福感は益々増すばかりだと思います。自分の人生を決めるのは自分自身の人生なのだから、他者の何者かを生きる必要は無い、最後まで「自分らしく生き抜く」ことです。

 

 神無月            八 大


 



 







物忘れから認知症

「あのテレビに出ている人の名前は・・・誰だっけ?」「顔は判っているのにどうしても名前が浮かんでこない・・?」 こんなやり取りを最近度々起こるので困ったもんですね。このように人の名前を度忘れしたり約束をうっかり忘れてしまったりする「物忘れ」は誰にでも起こる老化現象の一つですね。

しかし「赤の他人ではなく、家族など身近な人の名前が出てこない」「予定表を見ても、何の約束もなく思い出せない」と云った症状になると認知症のまえぶれと考えられているそうです。最近こんなやり取りを 仲間うちで多く耳にしますが、そう云えば人の名前を忘れしまったりする度忘れと云うか物忘れすること多くなりました。

誰にでもある事ですがこれが老化現象なんですね。認知症の前触れで、いやもうすでにその仲間入りしているのは確実です。物忘れの原因は「老化?」の性ですか? それとも「認知症かな?」微妙なところですが気になるところす。

「老化によるもの」物忘れ 

「体験の一部を忘れる」 旅行に行ったことは覚えているが、旅先での夕食でのメニューまでは思い出せない。                                                                                                                   「忘れたことを自覚している」買い物から帰った後、買い忘れがあったことに気が付く  「生活に支障はない」日付や曜日、場所を間違えることがあるが間違いに気が付く。物をなくしても探して見つけることが出来る。

「認知症による」物忘れ       

「体験そのものを忘れる」 旅行に行ったにもかかわらず旅行したことや旅先でのことを全く思い出せない。                                    「忘れたことを理解できない」買い物に行ったことを忘れ再び同じものを買いに行く。     「生活に支障をきたす」物をなくすと、パニックになったり誰かのせいにしたりする。 

認知症の前触れにご注意を!。 協和発酵からの参照

 神無月              八 大




 

清津峡の水鏡

トンネルからの眺め
「清津峡渓谷トンネル」は、黒部渓谷・大杉谷と共に日本三大峡谷の一つとして知られており渓谷の美しさを安全に楽しむために作られたトンネルです。1988年から雪崩やその後の落石事故が発生したため、遊歩道の通行が禁止されましたが地元や観光客の要望を受け、1996年に歩行者専用のトンネルが建設されました。

川を挟んで切り立つ巨大な岩壁は全国に誇るV字形の大峡谷をつくり、国の名勝・天然記念物にも指定されています。トンネルに入り少し進んでチケットを買い舗装された通路を何と片道で750㎡もありますが長いなあと思うだけで道幅も余裕あり安全な道路です。

柱状節理
進んでいくと3か所の休憩所がありそれぞれの奇岩と谷川の流れを楽しみながらしながら進み左に折れると景色は一変する。トンネルの下半分は水鏡となり水面に立ち入った人の動きとなり、顔を上げると遥か遠くに越後の山々が望めると云う。この嘗て味わったことのない異様と思える空間は何だろう暫く言葉を失う。

清津峡の特徴でもある柱状節理(ちゅうじょうせつり)について一言。柱状節理は、地表に出てきたマグマが冷却・固結する際に体積が収縮するためにできる割れ目のことです。冷却面に垂直に六角柱状ができます。峡谷の断崖に連続して発達する柱状飾理は、その長軸方向が南東方向に 40 度~ 60 度の角度で傾いています。

 神無月             八 大
















りんどう「竜胆」

 秋の彼岸に欠かせないお花、暑かった今年の夏も秋の彼岸を迎えるこの時季ようやく本来の季節に戻りつつありますね。日本中が異常気象と云われておりますが30℃を超す日が2カ月もあったなんて気象庁もびっくりの様子。彼岸墓参りの皆さん達も日照りを避けた夕方日が沈むころにお参りに行く人たちのお出ましになられる。 

竜胆の花
秋の訪れを感じさせ落ち着いた雰囲気が魅力の「りんどう」1本の茎に連なるように花をつける姿は、山道を歩いていても凛として上品な雰囲気が漂いますね。花言葉は「勝利」「正義感」です。花言葉は「勝利」「正義感」です。

りんどうは漢方として利用されており、効能によって病に打ち勝つ姿が、花言葉に由来しているとも考えられますね。鮮やかな青や紫のイメージが強いですが、最近では白やピンクもあり色別にも花言葉が存在する花です。

日本で「りんどう」と呼ばれるようになったのは、中国で「りゅうたん(竜胆)」と呼ばれていたことに由来し中国から「りゅうたん」の名で伝わり、平安時代までは「りむたう・りんたう・りんだう」など呼び方にバラツキがあったようです。その後、呼び方が変化して現在の「りんどう」の名前になったのではないかと云われています。

 りんどう の花ことば                                            紫色のりんどう     「満ちた自信」 「誠実」                                                                                                                         桃色のりんどう   「愛らしい」                         

名月の祝い
白色のりんどう 「貞操」「誠実な人柄」  

 中国でなんで「竜胆」と云われたのかは、りんどうの根っこは漢方薬として活用され苦みが強く「まるで竜の胆のように苦い」と表現され「竜胆」と名付けられたと云います。

りんどうの花は敬老の日や秋の彼岸には欠かせない存在です大切にしたいお花です。


秋 分             八 大

                         
















中秋の名月

お月見
今年の夏は記録的な暑さが今でも残っていますが暦の上では「中秋の名月」の頃となってきました。この時季秋の虫達も草叢の中でじっと出番を待ってます。夜間もまだまだ少し蒸し暑さが残りますが、草叢を覗くと出番を待っている虫達が蠢き始めています。夏から秋への季節の移り変わりを感じられそうです。

今日、旧暦8月15日に出る月のことを「中秋の名月」と云われます。 昔から秋の収穫を喜び感謝する祭りの日として家族や親しい友人、恋人などと月を愛でながら 昔から秋の収穫を喜び感謝する祭りの日として月見団子のように月にちなんだものや秋の収穫物を食べたり、お供えしたりしていました。 また、災いや邪気を遠ざけるために、「秋の七草」のひとつであるススキを供える風習もあります。  
 
その昔、農民達は月の満ち欠けで時の流れを計り、季節の変化を感じ取って農作業をしていた。そんな農民たちにとって、秋は作物の収穫時期です。月が満ちた姿を模した丸い団子は豊作への祈りや感謝は勿論、物事の結実や幸福の象徴ともされ供えた後のお団子を食べることで健康と幸福を得られると考えられていたそうです。

お月見のお供えと云えば月見団子ですよね。平安時代に中国から伝わった風習と云われている伝統菓子である「月餅」を備える風習がありますが、日本ではイモ類や豆類を供え形を変え今の月見団子になったそうです。月がよく見える場所にちゃぶ台を置き十五夜にちなみ、15個の団子を大皿にうず高く盛るのが昔ながらの伝統的な供え方。山のような形に団子を積むのは、一番上の団子が霊界に通じると信じられていたからとも云われています。


 長 月             八 大





















秋野菜と御山洗い

 「食欲の秋」と云う言葉にふさわしく、秋になると元気で健康な土が育んだ根っこや葉っぱ、イモ類やキノコなどが旬を迎えます。秋は季節の変わり目のため、夏の暑さによる疲れとまじかに控えた冬のせいで体調を崩しがちです。秋野菜に含まれる豊富なビタミン・ミネラル・食物繊維は夏に蓄積した疲れを癒し、腸内環境を整え肌荒れなどを改善すると共に寒い冬に備えた体力づくりに役立ちます。

秋の野菜
里芋は弱った胃腸のケアや体を温める効果があり、ビタミンCが豊富なブロッコリーとの相性は良好です。茄子は一般的に7月から8月が旬の夏野菜とされていますが「秋ナスは嫁に食わすな」と云うことでわざがあるように、初秋に収穫されるナスは身がしまっていて種が少なく、特に美味なるものとされている。

生姜も本来は秋きが旬の食材だそうです。9月から10月ごろの収穫期に採ってすぐに出荷される生姜を新生姜と云います。色が白くて繊維が少なく、非常にみずみずしいのが特徴です。この時季テレビでもすっかりお馴染みとなった栃木産の岩下の新生姜も頑張っていますね。

お山洗いと云う言葉があります。富士山麓地方で陰暦7月26日に降る雨のことを「御山洗い」と云います。聖なる山を清め洗い流すさまにたとえた素敵な言葉です。厳密には富士山を指すのでしょうが各地方の霊峰にも当てはめて、この時季に山に降る雨を「御山洗い」と呼んでいるようです。きれいに洗われ水分を取った山々はこれから黄葉し、あでやかに「山装う」へと向かいますよ。

 長 月               八 大 

今、米騒動?

 このところ俄かに、わいわいガヤガヤと聞こえてくるのは「お米の話」です。現在の農林水産相は27日の閣議後記者会見で備蓄米の放出について要望があったが、民間流通が基本のコメの需給や価格に影響を与える恐れがあるため、慎重に考えるべきだ」・・・と語った。それって何ですか?。

農水省が放出するのは、小売店や卸売業者など民間が抱えるコメの在庫が著しく減り、需要に追いつかない恐れが高まった時。緊急に調査したうえで専門の部会を開いて検討する。最終決定者は農相だ。民間には在庫はありますと農水省の大臣が云う。現状について、農水省の立場は「民間に在庫はあり、備蓄米の放出が必要な状況ではない」というのが基本線だと言う。現在は民間には在庫は一杯ありますと農林水産大臣・・。それってどういうこと! 

日本人の主食であるお米、もともとは中国の野生種で調べによると、日本に稲作が伝わったのは6千年前だという説があります。稲は田植えから約100日で穂が出てすぐに花が咲きます。諺で「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、これは人格者ほど謙虚になると云う意味ですよね。

稲刈り
又、雷のことを稲妻と云いますが、これは稲穂が実る時季に雷が多く昔は雷が稲を実らせていると考えられていたことが由来となっています。近年では一人当たりのコメの消費量が減少していますが、コメ不足に対応するはずの備蓄米だが何で農水省は放出に否定的なの?

新米が本格的に出回る9月末頃には品薄は解消すると云う、スーパーなど小売店の関係者も一致した見方と云います。現状の品薄感から新米への期待は大きく価格は上昇するばかりに感じられます。現在の値上がりラッシュの家計にとっては重しになるが、備蓄米の放出になれば米価を抑えることが出来ますよね。現在、農            水省は価格対策としての備蓄米の吐き出しには全く否定的な様子            です。 備蓄米を何故放出しない?  庶民は怒ってますよ!!

農林水産大臣殿  スーパーのコメ棚は空っぽですよ!

 葉 月            八 大










秋刀魚の思い出

「秋刀魚の歌」 あはれ秋風よ、情(こころ)あらば伝えてよー                                  男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思いにふける と。 佐藤 春夫


 いよいよ私達庶民が待望のサンマの季節がやってきました。今朝も新聞できれいな水の流れる河原で家族連れの仲間が、さんまパーティを楽しんでいる様子がに記事が載っていましたね。秋といえば絶対に欠かすことのできない魚がサンマですよね。

自分が子供の頃、父親に草履を履かされ川の向こうで今風で云うと「さんまパーティー」でわいわいガヤガヤとその数ザッと20人余り。河原で木箱に入ったサンマと沢庵漬とおにぎりの大パーティ・・・。煙の中で一人3匹の割り当てがほゞ完食となって大声で歌わされた思い出はをいまだ脳裏に残る。
秋刀魚の塩焼き
サンマの名前の由来は何処から。サンマは横から見ると刀のように細長く、正面から見ると縦に狭い体をしています。この体の特徴からサンマは古くより「狭真魚(さまな)」と呼ばれていたことがあるようです。この狭真魚という言葉が「さまな→さんま」…へと諸説あるようですが転訛し、今に至るとい云われています。

狭いという漢字が使われているサンマですが、旬の時期は背中に丸みを帯び、肉厚でとてもおいしそうですよね。しかし、時期の外れたサンマはとてもスリムで、まさしく狭いという漢字がしっくりくるような、そんな姿をしています。

 葉 月              八 大






       

 

極楽の余り風

金山城址からの眺め
群馬県太田市の金山公園を散策をしていた時に眼下に見下ろす市内を見ながら一息つく、爽やかな一条の通り風がさわさわさわっと優しく頬を撫でていく。これですよ風の流れを感じましたね・・仲間の一人が「極楽の余り風」が通り過ぎたよっと呟く。「ああ~~ええ風やねえ」と誰もが口にします。

酷暑に吹く心地よい涼風、なんと表現すればよいのか言葉が見つからない。 夏の暑いこの時期に金山城に向かって通り抜ける甘風に云い様のない爽やかさを身に受ける有難さは仏の心を感じる。山道など歩いて汗だくになった身に、ときおり清々しい涼風が木陰を抜けて吹いてくる。 ああ、天の恵みでは・・とその風に感激!!

金山城址公園
私がこんな表現を聞いたのは『夏の医者』という落語を聞いたのが初めてだった。父親を助けるため息子が老医者を伴って帰る途中、山頂で一服している時に涼風が吹いてきた。「ああ、極楽の余り風じゃ」と喜ぶ。落語ではそう言った途端にうわばみに飲み込まれてしまうが医者は冷静に構え蛇の胃の中で下剤を撒くと云う・・・。こんな奇想天外な話があり笑い転げてしまう。

語も名作だが「極楽の余り風」はこちら関東方面の話づくりとは違っているようで江戸と上方の違いを感じさせますね。もちろん落語より先にそうした言い回しがあったのでしょうが、今でもその違いが残っていることに感謝ですね。


 葉 月              八 大












 

「親切」と云う言葉

親切と云う言葉はどうして親を切ると書くのかなと常々思っていました・・・?                         実は『親切』の、親(しん)は、親しい身近に接するという意味があるそうです。 『親切』の切(せつ)は心から、ひたすら強くとう意味があるそうです。 切に願うといったように使いますよネ。 そんなところから親切という漢字には、“より親しい”という思いが込められているそうです。

親切な行いをすると脳内でオキシトシンやセロトニン、ドーパミンといった強力な化学物質が放出され、気分の高揚の増加、ストレスの軽減につながります。 思いやりの心を持つことで心拍数が下がり、冠状動脈障害も軽減されるそうです。 オキシトシンは社会的結合にも関与しており、放出されることで人との結びつきも強くなるそうです。
 親切ってどういうこと? 「親切」とは、困ったり求めを待っている人に対して、ささやかな手助けをすることであります。 困っていない人にする場合は親切ではなく、余計なお世話やお節介になり 負担の大きいものは親切を超えてしまう。 親切にする人は、その辺りを心得て置かなければならない。
また、情けは人の為ならずという言葉もありますが人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分の為になるということで、親切にすればその相手の為になるだけでなく、やがては良い報いとなって自分に戻ってくるということですよね。
誤って親切にするのはその人の為にならないの意味に用いることがあるからご注意も。
ありがとう

 葉 月              八 大







親切と言う名のおせっかい

そっとしておくおもいやり


- 相田みつを -


それは、「受けた恩は忘れない」ということ。どんなことでも誰かにしてもらったことはしっかりと覚えておきましょう。
自分がした「親切」は忘れて人から受けた恩は覚えておく…
これこそが親切の鏡です。



湯楽の里にて

 最近の異常気象には私たち年寄りには付いていけません。今朝も朝から気温は上昇して33℃を超え身の置き所が見つかりません。何処かに涼しいところは無いかと頭を巡らせてみるとありましたありました近くのスーパー銭湯「湯楽の里」です。いつものようにお決まりのサウナから寝湯へのパターンは見上げる青空の解放感は、札幌行きの定期便だろう。下界から見える青空の姿は北へ北へと涼しい風の中へ向うかのようだ・・!

湯楽の里(春日部)
湯楽の里は20年ほど前に開業したと云い、湧出温度は43℃で開業後も安定した湯量もあり多くの利用者に恵まれファンも多い。泉質は舐めると海水を感じさせるようで保温効果は高く寝床に入ってからもその効果が感じられる。湯楽の里では人工の高濃度炭酸ガス発生装置を導入して利用者に答えているという。欲を言えば最近では混雑が激しく日光浴や寝湯のスペースが混雑しており、ゆったり感が失われているようだ。

ブクブク泡の出る湯船に入って居眠りから覚めると、何処かで見たような顔が見えた。こんなところで見かけるとは・・? 誰だったかな・・咄嗟には思い出せない。やっと思い出したのはグラウンドゴルフ仲間であるTさんだった。

最近はお顔を見ませんでしたが・・その後は如何ですか?との声に、先週から夏休みに入ったので暇が出来、朝風呂に来ましたと悠々自適に語る。そう云えばまだ午前中でした。今迄にもこんな時間があったんでしたね。何かに追われている生活の毎日でしたが考えてみると、何かを追っていないと何となく不安だった気がしていました。今からでも遅くない自分の時間を作りそれを自分の為に使おうと思う!

 文 月            八 大




蓮の花

蓮の花
昨日、昼のニュースで関東周辺の梅雨明けの発表がありましたが、これはほゞ例年に近い日付であるそうです。これから梅雨明け10日暑い日が続くのは覚悟しなければなりません。お寺の本堂などで、蓮の花の絵や飾りなどを見かけると改めて極楽浄土を意識することでお盆様が来たことを気づかされます。

花の季節以外にはその存在に気付きづらい沼地から、梅雨の時期にすっと大きな一輪の花を咲かせる姿は他の花々とは明らかに異質に見えます。夏の日差しの中、堂々とした清廉無垢の花の姿は神秘さを感じざるを得ません。生花店で並ぶ蓮の花を見ると改めてそのことを感じます。

先ごろ内牧公園に毎年のことですが蓮の花を見に出かけていました。蓮の台に浮かぶ蓮の花は毎年変わらず何処に行っても人の気持ちを落ち着かせますね。多くの仏教を信仰している私達には身近に高い敷居を感じさせず 

鮮やかなピンクや白色の花を咲かせる蓮。インド原産のハス科の多年生水生植物で、地下茎から芽を伸ばして水面で葉を出します。古名である「ハチス」とは花托の形が蜂の巣に見えるからだとされていますが、他にも芙蓉、池見草、水の花と云った別名を持っているそうです。

この蓮の根がレンコンとして食べられていますが蓮の実はその多くが食用になります。「ハスの実」と呼ばれる果実にはでんぷん質が豊富な他に、中の白い種は中国や台湾では餡にしてお菓子に加工されています。若芽や花もお茶として利用されているように、人間にとっては捨てるところがない植物なのですね。

この蓮の果実は皮が非常に厚く、中をそのままの状態に保つことが出来るそうです。嘗ては遺跡から発見された二千年前の種から発芽して花を咲かせたことがニュースに取り上げたことがありましたね。二千年前の花が現代に咲くと云うことはロマンを感じさせますよね。

 文 月              八 大








枝豆の話

茶 豆
 ビールのおつまみとしてのお馴染みの枝豆は大豆の未成熟の豆のことを指し、完熟すると大豆になります。緑色しているものの品種としては味噌や豆腐などの原料となる大豆と同じです。植物分類学上、枝豆は野菜類に属しますが、完熟した大豆は豆類となります。 枝豆という名前は、枝付きのまま収穫されることが多かったことに由来するといわれています。

タンパク質が豊富に含まれている大豆ですが一方で有毒なタンパク質であるプロテアーゼ・インヒビターやレクチンが含まれているため生で食することは出来ないそうです。そのため枝豆のように茹でたり、加工食品にしたりして、食べるのが一般的で、日本では奈良時代には茹でた枝豆を食べていたという記録が残されていたと云われています。

大豆は健康食品として海外などでも多く食されているそうです。毎年五月から七月にかけて大豆は枝が分岐ししているところから紫色の小さな花を咲かせます。その花が自家受粉して作られた種が、サヤに包まれた大豆と云うわけです。

「枝豆」とは大豆の未成熟の豆のことを指し、完熟すると大豆になります。 大豆が熟す前の緑色の状態のときに収穫したものが枝豆なのです。 植物分類学上、枝豆は野菜類に属しますが、完熟した大豆は豆類となります。 枝豆という名前は、枝付きのまま収穫されることが多かったことに由来するといわれています。

「ダダ茶豆の話」 山形県鶴岡市郊外の白山地区で生まれた在来の枝豆でこの地域の特産品で、噛めば噛むほど味わいがあり旨味と甘みが広がる美味しさは「枝豆の王様とも呼ばれていますよ。茶豆の一種で;さやに茶色いうぶげが生えているのが特徴で、わずか数軒の農家が江戸時代からその美味しさを守り続けているそうです。

 文 月              八 大













サラダ記念日

「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日  俵 万智1987年

軽やかな口語体で若者の日常を詠んだ俵万智さんの歌集『サラダ記念日』が刊行されたのが1987年でした。今年でもう37年になるんですね。

サラダ記念日

与謝野晶子以来の天才歌人と話題になって鮮烈なデビューが話題になった歌集は社会現象となった。発効から7か月目には200万部を超えて「何の変哲のない子の歌集がどうしてこんなに話題になるのだろう」?と不思議がられていました。その当時の小生も何がそんなに凄いの・・不思議に思っていました。 

その後に改めて読み返してみると俵万智さんの瑞々しい感性と美しい言葉を紡いで行くセンスに圧倒されたことを思い知らされました。何処からあんなフレーズを思いつくんだろう・・・凄い人だですね。改めて非凡さを感じましたね。

天才歌人は今でもさまざまな賞の選考委員や新聞歌壇の選者などを通して、短歌の魅力を伝える活動を続けています。SNSの発達でコミニュケーションは手軽になりましたが心に響く美しい言葉は大切にしていきたいものですね。


 文 月             八 大