二本松城址・戒石銘碑

 福島県二本松市にある二本松城址は日本100名城の一つで別名霞が城とも呼ばれ国の史跡に指定されている。

 城の入り口には二本松藩五代藩主丹羽高寛が家臣の儒学者の献策により享保の飢饉の後、財政に苦しんだころ藩政改革と綱紀粛正の指針として刻ませた「戒石銘碑」があります。
 その碑文は「爾棒爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺」(なんじがぼうなんじがろく たみのあぶらたみのあぶら
げみんしいたげられやすし じょうてんあなどりがたし)とある、この城の武士たちは登城や下城に際し必ずやこの碑を見たことであろう。
 その内容は、お前達の月給は給料は民百姓の汗だよ脂だよ、百姓が働いて米を作りそのコメを武士は棒禄として領主から戴いているのである。武士は己が非生産の者であることを片時も忘れず、自分達は百姓の労苦によって給料を得、生かされているのだということを常に考えなくてはならないと訓えているのである。
 下民は虐げ易くも、上天は欺き易し。武士共よ考え違いをするな、百姓や町人は身分として低い者であるから、虐めたりバカにしたりしてはならない。そんなことをしたら天がその行いを許すまい。天を欺くことは出来ないことを心得よ。
 儒教の精神そのもの、なんと厳しい訓えであろうか。
この四行の武士に対する訓えを戦前の政治家の多くは扁額にして座右の銘としていたとのこと。
 選挙の時だけ言葉巧みに演説し国民を一時的にごまかすことが仮に出来ても天を欺くことは出来ないぞと云っている。
私はこの話を30年ぐらい前に足立区から出た孤高の庶民派代議士、鯨岡兵助先生から訓えを聞いたことがあった。
今日は東京都議会議員の選挙だ!
          平成29年7月2日   八大







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