天領の地 日田

 今月4日から降り続いた九州北部豪雨災害は福岡、大分で大変な被害をもたらしました。
咸宜園
 昨年日田市を訪れる機会がありました。山々に囲まれた盆地の中央を筑後川の支流になる三隈川が流れ、江戸後期の儒学者広瀬淡窓の私塾・咸宜園に多くの若者が集まり街が栄えた結果文化的な雰囲気が色濃く残っております。街筋の地名と云い言葉を交わした人々との会話の中にも小京都を感じさせる雰囲気がありました。
 この関東の地からは大分県の日田市を良く知る人は少ないと思いますが、江戸時代には幕府の直接管理する天領として九州では交通の要衝でもあり西国郡代が設置され多いに栄えた所でありました。
 街の名産の日田杉は筏を組んで河流しを輸送手段としていたそうで街の経済を富ませ豊かな文化と富は人口を吸い寄せ日田が「小京都」とも「水郷」とも呼ばれたそうです。
 ここでは儒教の影響もあり言葉を漢語読みする遺風は至るところにあるそうで、水郷をすいきょう、舟遊びをゆうせん、日田をひた、などと京言葉に近い感じを受けます。
 けれどもこの数日の災には集中豪雨、濁流、大災害が連呼されております、この街に濁音は全く似合わない。
古くから云われていた坂東太郎・筑紫次郎・吉野三郎と日本三大暴れ川として番付にあった事を忘れてはいけなかった。
 「咸宜園」           
日本最大規模の私塾で「ことごとくよろしく」とはすべてのことがよろしいとの意。淡窓は門下生一人一人の意思や個性を尊重する教育理念を塾名とした。
江戸後期から明治30年までの80年間に全国から入門者が約4800名に及んだと云われています。
 現在は水戸の「後楽園」と足利の「足利学校」と協力して日本の教育遺産として世界遺産に登録準備中との事です。
追 新しい話として岡山県備前市の閑谷学校が加わりました。


咸宜園概要


                                         

                                             


         


              平成29年7月  八大












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