蝋梅と早咲きの梅に出会いながら久し振りにさきたま古墳公園の周りを歩きました。翌日には大雪の注意報が出ておりましたが穏やかな日和で一段と梅のつぼみが膨らんできたようです。明治から昭和にかけては前方後円墳や円墳の大小合わせると二十数基の古墳が確認されていましたが田畑の開拓などがなされ現在では国宝になった金錯銘鉄剣で有名な稲荷山古墳をはじめ大型の古墳9基が整理保存されているようです。
その東側の端に円墳とみられる浅間塚古墳があります。その墳上には延喜式(927年)の式内社である前玉神社(さきたまじんじゃ)が鎮座しておりますが、墳丘部がやせ細り石積みで補強されてはいますがあまりにも粗末で見るに忍びなかった。
由緒書きを見ると前玉とは武蔵国前玉郡の表記であり前玉の中心であったことで700年代の半ばに漢字の変更があり前玉から埼玉になり県名発祥の神社であるとのこと。
歴史ある大切な遺跡の保存が現在の人たちで出来ていないと云うことは後世の人たちに申し訳なく残念に思います。階段入り口には形の良い灯篭があって竿の部分に万葉集にある歌 「埼玉の津に居る船の風を疾み綱は絶ゆとも言な絶えそね」 が刻まれており当時の風景が思い起こされます。 また平安の歌人西行法師が奥州途上に詠んだ歌碑もあり
さきたまの宮の地名が刻まれておりました。
平成30年1月20日 八大
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