年末の「上野アメヤ横丁」は毎年のことながら大混雑である。終戦後の闇市の名残りで終戦直後には東京も新橋、新宿、上野と三大闇市場が建ち、その他も渋谷、池袋と国電沿線の各処に闇市がありました。世の中が平静になるに伴い淘汰されて、東京上野のアメや横丁、大阪の鶴橋市場などに面影が残っている程度になりました。
先ごろアメ横を探訪して見てきましたが昔のような穴場ではなく、二、三級品の雑然とした雑貨物を売る店になっています。ただ、アメ横と云う人気だけで商いをしているだけに見える上野の闇市は、田舎から運んできた米、麦,芋などの物々交換の「路上市場」が国電のガード下に群がっていたのが始まりと云われています。
アメ横入り口 |
JR上野駅の不忍口(しのばずぐち)を出ると、交差点の向こうに「アメヤ横丁」という看板が見えます。ここから御徒町駅まで線路沿いに続いているのが「上野アメ横」。戦後の物がない時代、当時は貴重品だった飴を売る店がガード下に並んだことからアメヤ横丁と呼ばれるようになり、やがて米軍物資や舶来品を売る店が集まってアメリカ横丁とも呼ばれたのが、名前の由来といわれています。アメ横のエリアには400軒もの店があると云う。
『アメ横』は元々は”アメヤ横丁”と呼ばれていました。戦後の闇市があった場所で飴を売る店がたくさんあったことが名前の由来となっています。昭和25年以降になると、朝鮮戦争の勃発の影響もあって駐留米軍などからアメリカ物資がマーケットに大量に流れ込んできたと云う。アメリカ屋(実際にある)等のジーンズや革ジャンなどの舶来品を販売する店が多いからと思っていた方も多いと思いますが、その歴史は大変に古いんですね。
睦 月 八 大
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